ものぐさ日記

ひとり遊びが好きな中年童女の日常

へうげもの 8

2009年02月24日 | 
 戦国時代の武将にして茶人、古田織部が主人公の漫画、「へうげもの 8服」(8巻)。

 前巻にも増して、恐かったです。なんてったって、秀吉も利休も織部も実在の人物で、どんな最期を迎えたか、わかっていますからね。利休と秀吉の緊張関係は、8巻でピークに達しました。9巻でおそらく利休が死に、まもなく秀吉の時代も終わるわけです。「へうげもの」では、今のところ、家康が、実直で正義感の強い人物に描かれていますが、これからどう変わっていくのか…。

 毛利攻めの時の黒田とか、お吟が松永久永の娘とか、天海とか、「え?」と思うようなことが出てくるので、今回も1日かけて7巻までおさらいしちゃいました。読み返すと、伏線があちこちに張りめぐらせてあるもんですね~。


 飛鳥時代の仏教や、信長時代のキリシタンなどの宗教も、茶道や琳派、歌舞伎などの芸術と同じように、ファッション(流行)に過ぎず、はやりものであるからこそ、政治に利用できるという点が恐ろしいような気がしました。大衆の心を掴む=権力ですよね。芸術家は、最初から権力を持とうとして作品を作っているわけではないと思うけど、利用しようと思えば、利用できちゃうんだ。

 

 流行が過ぎ去った後にどんな形で定着し、定着したあと、どんな形に変容していくのか。完成した絵や陶磁器は変化しないけど、茶道や踊りの所作などは、中には変化しつづけるものもあるんでしょうね。所作や解釈などが変化しつづけるということは、最初の目的も変化するということじゃないかな。…「ワビサビ」「和敬清寂」「一期一会」の精神で始まったという(「へうげもの」の利休を見ていると違うようですが)茶道を家元制度の中で習っている方々を思い起こしてみたりしますと。

 閑話休題。

 結局、自分の美意識や価値観は独自なものであり、他人が作った既存のものでは満足することができないんだなぁ…。自分がシアワセ、もしかして、幸せでなくても、自分らしく生きるためには、自分が本当に欲しいものを探さなくてはならない、といういう厳しいメッセージを感じました。


 「へうげもの」では、1話(一席)ずつ、昔懐かしい曲をもじったタイトルがついていたり、裏表紙に、いろいろな国のことばで、簡単な説明がついていたりと、本編以外でもいろいろ楽しめます。今回の裏表紙はドイツ語。まだヒンディー語は登場していません。

 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿