先日久しぶりに「トルコのもう一つの顔」という本を読み返したら、とてもおもしろくて、何度か読んだ本にもかかわらず、夢中になってしまいました。
フランスに留学中の言語学者(=著者)がトルコ旅行をきっかけに、クルド語に興味を持ち何度かのトルコ旅行で研究をするようになる。しだいにクルド人やクルド語を認めようとしないトルコ政府から睨まれるようになり、実質上の国外退去を迫られる…という内容なのですが、クルド人やアレウィー教徒について知ったのもこの本を読んでからでした。オワジュク方言やラズ方言の採譜した歌も載っています。あまりおもしろかったので、同じ著者の他の著作はないかネットで調べてみましたが、少なくとも日本では出ていないようです。
「父 パードレ・パドローネ」も、同じく言語学者であるガヴィーノ・レッダの作品で、大好きな一冊ですが、彼の作品も他には出ていません。「父 パードレ・パドローネ」も、今はもう中古本でしか手に入らないようです。
サリンジャーも1965年以来作品を発表していません。サリンジャーの本は、いろいろな翻訳者の翻訳が出ていて読み比べするとおもしろいけど、タイトルでいうと、「コネチカットのグラグラカカ父さん」(Uncle Wiggily in Connecticut )が好きでした。最初に読んだ小学生の頃は、なんだかさっぱりわからなかったけど。
フランスに留学中の言語学者(=著者)がトルコ旅行をきっかけに、クルド語に興味を持ち何度かのトルコ旅行で研究をするようになる。しだいにクルド人やクルド語を認めようとしないトルコ政府から睨まれるようになり、実質上の国外退去を迫られる…という内容なのですが、クルド人やアレウィー教徒について知ったのもこの本を読んでからでした。オワジュク方言やラズ方言の採譜した歌も載っています。あまりおもしろかったので、同じ著者の他の著作はないかネットで調べてみましたが、少なくとも日本では出ていないようです。
「父 パードレ・パドローネ」も、同じく言語学者であるガヴィーノ・レッダの作品で、大好きな一冊ですが、彼の作品も他には出ていません。「父 パードレ・パドローネ」も、今はもう中古本でしか手に入らないようです。
サリンジャーも1965年以来作品を発表していません。サリンジャーの本は、いろいろな翻訳者の翻訳が出ていて読み比べするとおもしろいけど、タイトルでいうと、「コネチカットのグラグラカカ父さん」(Uncle Wiggily in Connecticut )が好きでした。最初に読んだ小学生の頃は、なんだかさっぱりわからなかったけど。
そうですね。インドでもパキスタンでも、いろいろな顔の人がいました。
養女になったし、複雑な文化的背景がある人なのかもしれませんね。
それは初耳ですね。 本当によくわからない人ですね。
自身のブログでイラン人(ペルシャ系のみ?)が苦手なはずの飼い猫についての昔話をしたりペルシャ色が薄いイラン人みたいですね。
ご存知でしょうが、イラン人はほとんどが西洋人に近いコーカソイドなのですが、たまにアラブ系がいたりジプシーがいたり様々みたいです。 私は現地で黒人の混血っぽい人を見ました。 パキスタンのインド洋に面した地域に黒人が居住している所があるという話を聞いたことがあるので(外国人は立ち入り禁止なので部族支配地域なのでしょう)イランにもそんな所があっても不思議ではないでしょうが・・・。
トルコの東部は、トルコ人にとっても辺境というか、なかなか行けない場所もあるようですね。この本を読んでから、「クルド人もうひとつの中東問題」という本を買って読みました。ムスタファ・ケマルが新生トルコを作るときに、クルド人もイスラム教徒として、キリスト教徒のアルメニア人、ギリシャ人と戦うために協力しましたが、トルコという国ができてからは、「トルコはトルコ人だけの国」という政策に変えたようですね。
サヘルは、テレビで「自分は拝火教徒」と言っていたけど、イスラム教徒でもあるような発言もしているし、よくわからないです。一般的なイラン人よりは肌の色も濃くて、エキゾチックですね。
あちこちに軍の検問があって、住民が軍から監視されているのは本当みたいですね。
ただ、ペルシャ語に近いらしい言葉は普通に使っていたようです。(ペルシャ語でyesにあたる「ヴァレ」を使っているのを聞きました。)
ベンツが走っているかと思えばロバ車が走っていて格差が極端な印象でした。
あと、トルコのイスタンブールやイズミールのような地中海に面した都会と比べると発展が遅れた田舎という感じもしました。 無論、都会には軍の検問は無かったでしたが空港にあるX線の装置がイオンのショッピングモールみたいなところにもありました。
最後にイラン人タレントのサヘル・ローズなんですが、クルド人の可能性がありそうですね。
http://theyesterdayspaper.blogspot.com/2009/06/blog-post_20.html
長々と失礼しました。
オスマン帝国が崩壊した結果、アナトリア半島には英仏ギリシャなど連合国が分割統治されそうだったのをムスタファ・ケマル将軍率いるトルコ軍が戦いに勝って今のトルコ共和国の建国となったそうです。
その過程でアルメニア人が国を追われ、クルド人の居住地域が分割統治されてしまったのが今の問題かと思います。
逆にムスタファ・ケマルという人物が存在しなかったらアナトリアが分割統治されていて「トルコ人の悲劇」なんてなっていたかもしれません。
お話の本は面白そうですね。 なかなかクルド人についての本は無いですからね。
自説を書き込むより先に本を読むべきなんでしょう。(笑)
クルドとひと言で言っても、お互いに全く通じないような別系統の方言や言語もあるそうです。クルド人はイラク、イラン、トルコにまたがって住んでいるそうですが、クルド語はトルコ語やアラビア語とは系統の違うインド・ペルシャ語系の言葉だそうです。
言葉だけでなく、生活習慣や食事、祭りなどにも触れているし、トルコの官僚などの話もとてもおもしろかったです。
イメージしか
わかないのは90年代の初めにイギリスでさんざん「カーディッシュ・レフュジー」という言葉をニュースで聞かされたからです。
その方言まで研究した日本人がいたとは。
スゴイですね。