ものぐさ日記

ひとり遊びが好きな中年童女の日常

グルジーとお別れ

2014年12月30日 | インド

 きょうは、私のヒンディー語の先生、長弘毅さんのお葬式でした。

 

 カルチャーセンターで習い始めて25年。この10年ほどは、月に1度、ヒンディー語の短編小説を翻訳する会でお世話になっていました。

 長弘毅氏は、1950年代にインドからの奨学金で留学生として4年近くインドに滞在し、ガンディー主義者たちの下でインドの民衆運動やインド文化を学びました。日本に帰国してからは、「アジア・アフリカ語学院」、「富山国際大学」「朝日カルチャーセンター」などでヒンディー語を教えながら、「日印サルボダヤ交友会」で日印交流の活動をされていました。

 朝日カルチャーセンターでヒンディー語を習い始めたのが、先生と私のお付き合いの始まりでした。大学を卒業してから、何か学ぶというのも久しぶりで、それまで習い事というのも、ほとんどしたことがなかったので、最初の授業では、とてもワクワクしたことを覚えています。

 長先生の講座は、カルチャーセンターの語学講座の中でもハイレベルだったそうで、脱落者が続出。ただでさえ、働きながら勉強を続けるのは大変なのに、語学レベルが低いうちから、難しい小説や宿題を課題に出されたので、ついていけないのです。

 いろいろな語学をマスターした語学の達人タイプの人はけっこう続かなくて、「ヒンディー語はともかく、長先生の話はおもしろい」と、先生本人に魅了された人が長く続いたような気がします。私も途中からは、(これは何年やっても、ヒンディー語を使えるようにはならない…)と、わかっていましたが、脱落者多数でクラスが閉鎖されるまで、カルチャーセンターに通いました。

 その後は、月1回というか、年に9~10回程度のペースで、長先生が開いているヒンディー語の短編小説を訳す会に通いました。週イチが月イチに変わったとはいえ、頭に定着している単語が少ないので、小説を読むためには、辞書が手離せません。25年続けて、ようやくここ数か月、辞書を引くのが億劫でなくなってきた頃でした。

 

 まったく出来の悪い弟子でお恥ずかしい。でも、長先生の訃報を聞いて、以前、先生がインドで受けたインタビューを読み返したら、6ページのヒンディー語の記事を、内容を把握できるくらいには読める自分に驚きました。

 

 長先生、本当に長い間、ありがとうございました。きっと来世でもお会いすると思いますので、またよろしくお願いいたします。

 

 

 

 


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2 コメント

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25年も! (ユキツバキ)
2015-01-03 10:25:51
 ヒンディ五を25年も習っているの?
 継続は力・・。光が射して、役立つ場面が必ず出ますよね。
 英語や仏語が主流ですが、マイナーな言語を無視してはだめですよね。
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25年も習っていながら… (とーこ)
2015-01-03 14:28:32
ユキツバキさん

そうですね。結婚した年か、その翌年から始めましたので、かれこれ25年になりますね。その割には使えないので、あまり大きな声で「25年」とは言えませんけれど。

インド人の人口は12億人。ヒンディー語を母語とする人や、日常語として苦労なく使える人の合計は数億人になるのではないでしょうか。かなりメジャーな言語です。
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