ものぐさ日記

ひとり遊びが好きな中年童女の日常

牧野富太郎

2006年04月18日 | アイドル

 ローリング・ストーンズアミターブ・バッチャン熊田千佳慕龍村平蔵…と、私のアイドルは中高年(老人?)ばかりですが、もうひとりいました。牧野富太郎博士(享年95歳)。

 牧野富太郎の名前を初めて知ったのはいつだったか忘れてしまいました。西武池袋線の大泉学園駅か保谷駅の近くに住んでいた頃、牧野記念庭園に行ったのが最初かもしれません。

 牧野記念庭園は、牧野富太郎が住んでいた住居跡に作られた庭園で、そう広くはないのですが、いろいろな植物が植えてあり、いちいち名札もついているので楽しめます。記念庭園に行ったときも、父が理科の先生だったせいか、そういえば実家にも「原色牧野植物大図鑑」があったなぁ…なんて思い出しました。記念庭園の小さな展示室に、植物画も展示されていて、精緻な美しさに目を見張りました。

  その後、「植物知識」(講談社学術文庫)という薄い文庫本を読み、すっかり牧野富太郎が好きになりました。ごく薄い本で、ひとつの植物について、せいぜい1ページ分の記述しかないのですが、植物の属や科、名前の由来、特徴の他に和歌など、素人が読んでも興味がわくように書いてあります。ときどき、学者らしく、妙なところにこだわっているところも微笑ましく、版を重ねて出版されているのも頷けます。

 牧野富太郎は、高知県の大きな造り酒屋の長男として生まれ、早くに両親を亡くし、おばあさんに大切に育てられたそうです。小学校に通ってみたけれど、大店のお坊ちゃんなので、家で家庭教師に習うことの方が多く、学校はさっさと中退。以降、学歴とは無関係に、好きなことだけを独学に近い形で学びます。高価な植物図鑑も、植物画を描くための舶来の絵の具も、詳しく調べるための顕微鏡も、孫のいうままにおばあさんは出費を惜しまなかったそうです。そのせいもあって、作り酒屋は倒産。富太郎は一転して貧乏になるわけですが、生活が変わるわけでもなく、奥さんの寿衛子さんが待合い茶屋を経営したりして、生活を支えたそうです。

 牧野富太郎には、小学校中退以外の学歴もなく、頭の固い大学関係者からはずいぶんいやがらせも受けたようですが、植物分類学への興味を失うことなく、研究を続けます。このへんのことは、大原富枝の「草を褥に 小説牧野富太郎」に詳しく書かれています。

 1999年には、高知県立牧野植物園に、牧野富太郎記念館がオープン。高知県に行くことがあれば、ぜひ行ってみたい場所です。

 

20歳頃の牧野富太郎

タイプです

 



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
元ご近所さん?! (れれれ)
2006-04-18 20:52:32
群青色したボロボロの牧野富太郎図鑑はボクの親父のバイブルで、いつも虫眼鏡で観てました。分類学会にも入っていたと思います。別宅を建てて勝手に「自然研究所長」を名乗りマスメディアにもいろいろ出まくっていたり(ちょっとうさんくさいかな^^;)。牧野さんと違うのは頭髪と学歴と享年くらいか。

彼も死ぬまでモテててたみたいですけど、裏側を知っている子供としては、そろそろ等身大の姿をあえて、記す必要性を感じています。



昆虫や植物を生涯追い続けた親父にボクが似ることはなく、家の中で絵を描いたり工作ばかりしてました。

学研の牧野富太郎の伝記マンガに彼が長寿だったのは植物を探し求め野山を歩いていたため、と書かれていたのを覚えています。



内向的なボクがカメラを持ち外へ出るようになりしばらく経ち、上京して練馬に住んでいた時、いつもの撮影散歩帰りにその記念庭園の前を通り過ぎようとしたら、見知らぬお爺さんに呼び止められました。わざわざ牧野さんのため鹿児島からやって来たとのこと、記念写真のシャッターを押したら、後日お礼の手紙と写真が届きました。



そんな記憶が蘇ってきました。



白髪の富太郎のポートレートしか知らず、若い時は本当に美男子だったんですネ.芥川龍之介と太宰治を足して2で割った感じがします。



とーこさん、面食いですネ
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アイドルはハンサム揃い (とーこ)
2006-04-19 08:59:11
れれれさん、ご近所だったんですねー!びっくり。



> 学研の牧野富太郎の伝記マンガに彼が長寿だったのは植物を探し求め野山を歩いていたため、と書かれていたのを覚えています。



熊田千佳慕(94歳)さんがお元気なのも、同じ理由かもしれません。



> とーこさん、面食いですネ



もちろんですとも!!ストーンズを始め、アイドルは美男揃いです。でも、芥川龍之介や太宰治の顔はタイプじゃありません。
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