インラインスケート大会(新横浜公園) nicedayagain.blog11.fc2.com/blog-entry-277…
今日は、新横浜公園では、様ざまな催しがありました。
私は、インラインスケート大会に出くわし、1時間ほど見ていました。
こうしたスポーツを観るのは初めての経験でした。
インラインスケートとは、
以下のような靴の底に縦一列に3~5個の小さなタイヤがついた靴をはいてするスポーツのこと。
パイロンと呼ばれる高さ15cmぐらいのコップのような物を等間隔に置き、その間を右に左に滑りぬけていくわけです。プラスチックの円錐形のコップみたいなもので、それを伏せて等間隔に置くわけですね。
平地に150cm間隔に15個並べるのでしょうか。
パイロンて、コップみたいなもので、黄色とか赤とか青とかいろいろ。
また形もさまざまですね。
今日の大会では、倒すと一つが0.2秒のペナルティーとか言ってました。
倒さずに速くゴールした人が優勝ですね。
2度ずつやってました。タイムが良い方を取るのでしょうか。
ルールとしてはパイロンを倒しちゃいけないとかは無いのですね。
でも、倒さない方がかっこ良いですね。
一つも倒さず、すごく速い子が、男女ともいましたね。
子供の方が、パイロンも倒さず、速かったですね。
リレーもありました。見ていて楽しかったですね!
最後に雨になっちゃいましたが、小雨でした。
◇新横浜公園内 インラインスケート広場
http://www.nissan-stadium.jp/shinyoko-park/inline1.php
〒222-0036
神奈川県横浜市港北区小机町3300 新横浜公園内新横浜元石川線高架道路下
電話/ FAX, Tel 045-477-5000 Fax 045-477-5002 (問い合せ先)
・開館時間
9:00~21:00
・休館日
不定期(施設点検日、公園内イベント実施時等)
・施設種類
スケート場(アイススケート除く)
・交通手段
JR横浜線 小机駅 徒歩7分
横浜市営地下鉄線 新横浜駅 徒歩14分
東海道新幹線 新横浜駅 徒歩14分
・駐車場 136台
駐車料金:2時間400円(超過30分まで毎に100円) 上記駐車台数は、新横浜公園第3駐車場のもの。
・利用方法
開館時間内であれば、自由にご利用いただけます。
・利用条件
ヘルメット、プロテクターを必ず着用してください。小学生以下の利用には、必ず保護者が付き添ってください(付き添い及び見学の方はこの広場外でご覧ください)。
・利用料金:無料
☆ホームページ:
http://www.nissan-stadium.jp/shinyoko-park/
やくだつ市場
私は、インラインスケート大会に出くわし、1時間ほど見ていました。
こうしたスポーツを観るのは初めての経験でした。
インラインスケートとは、
以下のような靴の底に縦一列に3~5個の小さなタイヤがついた靴をはいてするスポーツのこと。
パイロンと呼ばれる高さ15cmぐらいのコップのような物を等間隔に置き、その間を右に左に滑りぬけていくわけです。プラスチックの円錐形のコップみたいなもので、それを伏せて等間隔に置くわけですね。
平地に150cm間隔に15個並べるのでしょうか。
パイロンて、コップみたいなもので、黄色とか赤とか青とかいろいろ。
また形もさまざまですね。
今日の大会では、倒すと一つが0.2秒のペナルティーとか言ってました。
倒さずに速くゴールした人が優勝ですね。
2度ずつやってました。タイムが良い方を取るのでしょうか。
ルールとしてはパイロンを倒しちゃいけないとかは無いのですね。
でも、倒さない方がかっこ良いですね。
一つも倒さず、すごく速い子が、男女ともいましたね。
子供の方が、パイロンも倒さず、速かったですね。
リレーもありました。見ていて楽しかったですね!
最後に雨になっちゃいましたが、小雨でした。
◇新横浜公園内 インラインスケート広場
http://www.nissan-stadium.jp/shinyoko-park/inline1.php
〒222-0036
神奈川県横浜市港北区小机町3300 新横浜公園内新横浜元石川線高架道路下
電話/ FAX, Tel 045-477-5000 Fax 045-477-5002 (問い合せ先)
・開館時間
9:00~21:00
・休館日
不定期(施設点検日、公園内イベント実施時等)
・施設種類
スケート場(アイススケート除く)
・交通手段
JR横浜線 小机駅 徒歩7分
横浜市営地下鉄線 新横浜駅 徒歩14分
東海道新幹線 新横浜駅 徒歩14分
・駐車場 136台
駐車料金:2時間400円(超過30分まで毎に100円) 上記駐車台数は、新横浜公園第3駐車場のもの。
・利用方法
開館時間内であれば、自由にご利用いただけます。
・利用条件
ヘルメット、プロテクターを必ず着用してください。小学生以下の利用には、必ず保護者が付き添ってください(付き添い及び見学の方はこの広場外でご覧ください)。
・利用料金:無料
☆ホームページ:
http://www.nissan-stadium.jp/shinyoko-park/
やくだつ市場
スウェーデンの公共放送SVTが、
ノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーの委員の一人は、莫言(モーイエン)氏の作品の翻訳を手がけたヨーラン・マルムクイスト氏だったとのことで、莫言氏と親しい友人だった、ということから、
選考の公正さを疑問視する声が出ているんですね。
アカデミー委員は、賞の有力候補と個人的な関係がある場合は選考議論に関わるべきではないとされているとのことですから、だとすると、これは問題化も・・
ところで、日本には過去に、
賀川豊彦(かがわ・とよひこ)という人がいました。
明治21年(1888年)7月10日に、神戸で回漕業を営む賀川純一と芸妓との間に次男として生まれました。
彼が4歳の時に父が病死。、母もその後まもなく病死。
それで、徳島の父の正妻に引き取られ養育されたのですね。
徳島中学在学時にローガンとマイヤースという二人のアメリカ人宣教師と出会いました。
マイヤース夫妻から受けた影響が大きく、生涯精神的かつ財政的な援助を受けたそうです。
1903年(明治36)に兄の放蕩から賀川家が破産し、叔父の家に引き取られたそうです。
このような窮地の中でキリスト教信仰に導かれ、賀川豊彦はマイヤース宣教師から洗礼を受けました。
明治学院高等部神学予科に入学。図書館に所蔵されていたあらゆる本を読破したそうですね。
その後、新設の神戸神学校に転校したのですが、重度の肺結核を患い入院。
医師から二度も死を宣告されたそうです。
そこで、
「どうせ死ぬのなら、自殺する勇気をもってすべてに向かって行こう」
と、貧民に伝道と奉仕をしようと決心(21歳)したそうです。
神戸市茸合区新川のスラムに住み込み、路傍伝道を始め、
以後、関東大震災救援のため東京に移住するまで、10年余り、新川のスラムで、伝道と貧民救済などの活動をしたそうです。
この間に、米国プリンストン大学に留学し、生物と神学を学んだとのこと。
そして、
スラム貧民のことを著した『貧民心理の研究』が出版されました。
帰国して友愛会に参加。
個人的慈善的事業ではなく労働者の組織的社会運動によるために、鈴木文治らと友愛会関西労働同盟会を結成して、理事長になりました。
消費者と生産者の互助をはかる消費組合共益社を設立。
これがわが国の生協の始まりとなったのですね。そして牧師の資格を得て、
『死線を越えて』(自伝小説)を出版しました。
私も20歳頃、この小説を読みました。
1年間で100万部、通算400万部の大ベストセラーとなり、大正時代最も売れた本だったそうですよ。
この本で得た印税は、なんと、生活困窮の労働者らとその家族のために回したそうです。
賀川豊彦(かがわ・とよひこ)は、
昭和35年 (1960年)4月23日天に召されましたが、
2009年9月、スウェーデンのノーベル財団がホームページ上で、
文学賞は1950年まで、平和賞は1956年分までの候補者リストを公開、
賀川豊彦が1947年と1948年の2年連続でノーベル文学賞候補、
1954年~1956年の3年連続でノーベル平和賞候補になっていたことが判明しました。
ノーベル賞の選考過程や候補者名は非公開で、50年以上たって公開されることになっており、今回はそれにより判明したんですね。
日本人のノーベル文学賞受賞者は川端康成氏(68年)、大江健三郎氏(94年)の二人がいますが、他の候補者が公式に明らかになったのは初めてですね。
賀川豊彦(かがわ・とよひこ)は、
「東洋の聖者」として欧米で最も知名度の高い日本人で、
『一粒の麦』『死線を越えて』などの小説はスウェーデン語に翻訳され、
北欧で賀川ブームが巻き起こったこともあったそうです。
やくだつ市場
ノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーの委員の一人は、莫言(モーイエン)氏の作品の翻訳を手がけたヨーラン・マルムクイスト氏だったとのことで、莫言氏と親しい友人だった、ということから、
選考の公正さを疑問視する声が出ているんですね。
アカデミー委員は、賞の有力候補と個人的な関係がある場合は選考議論に関わるべきではないとされているとのことですから、だとすると、これは問題化も・・
ところで、日本には過去に、
賀川豊彦(かがわ・とよひこ)という人がいました。
明治21年(1888年)7月10日に、神戸で回漕業を営む賀川純一と芸妓との間に次男として生まれました。
彼が4歳の時に父が病死。、母もその後まもなく病死。
それで、徳島の父の正妻に引き取られ養育されたのですね。
徳島中学在学時にローガンとマイヤースという二人のアメリカ人宣教師と出会いました。
マイヤース夫妻から受けた影響が大きく、生涯精神的かつ財政的な援助を受けたそうです。
1903年(明治36)に兄の放蕩から賀川家が破産し、叔父の家に引き取られたそうです。
このような窮地の中でキリスト教信仰に導かれ、賀川豊彦はマイヤース宣教師から洗礼を受けました。
明治学院高等部神学予科に入学。図書館に所蔵されていたあらゆる本を読破したそうですね。
その後、新設の神戸神学校に転校したのですが、重度の肺結核を患い入院。
医師から二度も死を宣告されたそうです。
そこで、
「どうせ死ぬのなら、自殺する勇気をもってすべてに向かって行こう」
と、貧民に伝道と奉仕をしようと決心(21歳)したそうです。
神戸市茸合区新川のスラムに住み込み、路傍伝道を始め、
以後、関東大震災救援のため東京に移住するまで、10年余り、新川のスラムで、伝道と貧民救済などの活動をしたそうです。
この間に、米国プリンストン大学に留学し、生物と神学を学んだとのこと。
そして、
スラム貧民のことを著した『貧民心理の研究』が出版されました。
帰国して友愛会に参加。
個人的慈善的事業ではなく労働者の組織的社会運動によるために、鈴木文治らと友愛会関西労働同盟会を結成して、理事長になりました。
消費者と生産者の互助をはかる消費組合共益社を設立。
これがわが国の生協の始まりとなったのですね。そして牧師の資格を得て、
『死線を越えて』(自伝小説)を出版しました。
私も20歳頃、この小説を読みました。
1年間で100万部、通算400万部の大ベストセラーとなり、大正時代最も売れた本だったそうですよ。
この本で得た印税は、なんと、生活困窮の労働者らとその家族のために回したそうです。
賀川豊彦(かがわ・とよひこ)は、
昭和35年 (1960年)4月23日天に召されましたが、
2009年9月、スウェーデンのノーベル財団がホームページ上で、
文学賞は1950年まで、平和賞は1956年分までの候補者リストを公開、
賀川豊彦が1947年と1948年の2年連続でノーベル文学賞候補、
1954年~1956年の3年連続でノーベル平和賞候補になっていたことが判明しました。
ノーベル賞の選考過程や候補者名は非公開で、50年以上たって公開されることになっており、今回はそれにより判明したんですね。
日本人のノーベル文学賞受賞者は川端康成氏(68年)、大江健三郎氏(94年)の二人がいますが、他の候補者が公式に明らかになったのは初めてですね。
賀川豊彦(かがわ・とよひこ)は、
「東洋の聖者」として欧米で最も知名度の高い日本人で、
『一粒の麦』『死線を越えて』などの小説はスウェーデン語に翻訳され、
北欧で賀川ブームが巻き起こったこともあったそうです。
やくだつ市場
柳田邦男著「壊れる日本人」を読んでいて、
黒と白の二者択一に選別するだけでは問題だというくだりがありますね。
医療現場で、医師はインフォームドコンセントが義務付けられることから、
患者に、
あなたは癌であと2か月の命です、
と告げる。
これは、待ったなしの宣告で、患者の気持ちを理解出来ていない。
黒か白かをそのまま告げることは実に問題がある、
と私も思いますね。
そのような医師が現実に存在するわけです。
その場合、
あなたは悪い腫瘍におかされてしまいましたが、私と一緒に闘っていきましょうね、
と伝えれば、患者の気持ちもだいぶ違うのではないかと思われます。
その患者さんがどのようなタイプの人なのか、感じやすい人か、そのようなことを総合的に判断して伝えるべきだと私も思いますね。
柳田邦男さんは、日本人の持っている体質というか、
黒でも白でもない、曖昧なグレイゾーンに真実があることがある、と。
私も、このことは以前から思っていたので、共感しましたね。
黒白と選別してしまえば、効率よく物事が進むかもしれないけれど、
人の大切な心の部分がそぎ落とされてしまう。
話は異なりますが、
私は、あのバイブルの箇所を思い出していました。
イエスが家を訪れたとき、迎えた姉マルタが接待のことで忙しく立ち回っていたのに対し、
妹マリアはイエスの語る言葉に聞き入っていた件りですね。
行動を通して神に奉仕するマルタの態度と大切な言葉に耳を傾けることに注視したマリアの姿。
私はどちらもりっぱだと思いたいですね。
私の住まいをずっと下って行くと、「マルタの家」というような、認知症の方たちのグループホームのようなところがあります。
そして、立ち回りつつイエスの言葉に耳を傾けるありようのことも考えました。
(神さま、私の表現がまずかったらお許しください)
後者は、私が浮かんだことで、例としてではなく、個人的連想です・・
事に当たり、AかBかと二者択一のみですべての物事を振り分けると、柳田邦男さんがおっしゃるように、技術的には行動しやすいけれど、
抜け落ちてしまう物事があるように思います。
医療機関と医師
黒と白の二者択一に選別するだけでは問題だというくだりがありますね。
医療現場で、医師はインフォームドコンセントが義務付けられることから、
患者に、
あなたは癌であと2か月の命です、
と告げる。
これは、待ったなしの宣告で、患者の気持ちを理解出来ていない。
黒か白かをそのまま告げることは実に問題がある、
と私も思いますね。
そのような医師が現実に存在するわけです。
その場合、
あなたは悪い腫瘍におかされてしまいましたが、私と一緒に闘っていきましょうね、
と伝えれば、患者の気持ちもだいぶ違うのではないかと思われます。
その患者さんがどのようなタイプの人なのか、感じやすい人か、そのようなことを総合的に判断して伝えるべきだと私も思いますね。
柳田邦男さんは、日本人の持っている体質というか、
黒でも白でもない、曖昧なグレイゾーンに真実があることがある、と。
私も、このことは以前から思っていたので、共感しましたね。
黒白と選別してしまえば、効率よく物事が進むかもしれないけれど、
人の大切な心の部分がそぎ落とされてしまう。
話は異なりますが、
私は、あのバイブルの箇所を思い出していました。
イエスが家を訪れたとき、迎えた姉マルタが接待のことで忙しく立ち回っていたのに対し、
妹マリアはイエスの語る言葉に聞き入っていた件りですね。
行動を通して神に奉仕するマルタの態度と大切な言葉に耳を傾けることに注視したマリアの姿。
私はどちらもりっぱだと思いたいですね。
私の住まいをずっと下って行くと、「マルタの家」というような、認知症の方たちのグループホームのようなところがあります。
そして、立ち回りつつイエスの言葉に耳を傾けるありようのことも考えました。
(神さま、私の表現がまずかったらお許しください)
後者は、私が浮かんだことで、例としてではなく、個人的連想です・・
事に当たり、AかBかと二者択一のみですべての物事を振り分けると、柳田邦男さんがおっしゃるように、技術的には行動しやすいけれど、
抜け落ちてしまう物事があるように思います。
医療機関と医師