面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

笑い話にならない…

2008年04月07日 | Weblog
 7日の舞台が終わったら九州へ飛ぶ事にした。予定は未定だが、兎に角行かねば何も始まらない。2月に行くといって引き伸ばして友人にずいぶん迷惑をかけた。先刻電話で「学校は違っても良いから、同じ歳を集めてワイワイやろう」と、友人と話した。果たして何人が健康で生き延びているのやらと、半ば笑い話になったが、電話を切ってふと、父のことを考え、複雑な思いに囚われた。

 94歳で佐世保の姉宅に世話になっている父は、母を始め、兄弟友人等、親しい人の殆どを鬼籍に見送っている。もう何年、いや何十年、宇宙から来たさまよい人のような人生を送っている。親不孝な愚息は遠く離れた東京の空のしたで、芝居に明け暮れ、たまにかける電話にも出ない。立場を置き換えたら、僕は泣いて暮らすだろう。

 チャールトン・ヘストンの訃報を聞いた。享年84歳、まだ若い、と、思うのは94歳の父が健在だからなのだろう。「猿の惑星」のラストシーンを思い出す。殊更、現在を大切に生きねば、と、自戒する。夢多かりし青春のまま、振り返れば友の姿は無く、荒野に一本の枯れ木、吹く風は骨身に沁みて、なお大声で歌って抗っている。
 ドン・キホーテそのものではないか。真実、こうして人生の深淵は口を開けるのだ。