「さよならだけが人生だ」と嘯いた作家がいたが、ペシミストを気取った若い頃の共感が、今はさほど新鮮に感じない。何故だろうと思考してみたら、あまりにも「さよなら」の数が多過ぎることに思い当たった。58年も生きていれば当然のことだろう。云うまでも無いが、出会いに使うエネルギーは可能性という幻想も含めてプラスに働くとして、別れに要するエネルギーは余程のこと(悪縁が切れるとか)で無い限り確実にマイナスに作用する。で、あるからして、出会った人とはなるべく別れたくないのだが、先方の都合もあるのでそう思うようにはいかない。
一番辛いのは死に別れだと思っていたが、親や親友、幾人もの大切な人に死なれてみると、以外にそうでもない。もう絶対に会えないことで、諦めがつくのだろう。厄介なのは、トラブルを抱えたまま別れた場合だ。心のすれ違いを修復する事も出来ず、重いしこりが鉛のように胸の奥底に残ったままだ。
11月に国立劇場で日舞の発表会をやらせていただくのだが、その共演者として8年前に別れた方の名をお師匠さんに告げられた。僕のほうは結構だが、先方は?と訊ねると、先方も是非、とのことであった。かくなる上は研鑚を重ね、立派な舞台を勤めようと心に言い聞かせた。
生きていれば色んなことがあるものだ。
了承したあとで気付いたのだが、日舞の演目は、僕扮する狼藉者が若い女性の花見の席に乱入して縛られ、女性達に懲らしめられる、という内容なのだ。師匠の粋な計らいか、それとも積年の趣向返しか、さあ、どうなる事やら。
他人事の方は是非冷やかしにお越し下さいませ。チケットは何時でもご用意致します。
一番辛いのは死に別れだと思っていたが、親や親友、幾人もの大切な人に死なれてみると、以外にそうでもない。もう絶対に会えないことで、諦めがつくのだろう。厄介なのは、トラブルを抱えたまま別れた場合だ。心のすれ違いを修復する事も出来ず、重いしこりが鉛のように胸の奥底に残ったままだ。
11月に国立劇場で日舞の発表会をやらせていただくのだが、その共演者として8年前に別れた方の名をお師匠さんに告げられた。僕のほうは結構だが、先方は?と訊ねると、先方も是非、とのことであった。かくなる上は研鑚を重ね、立派な舞台を勤めようと心に言い聞かせた。
生きていれば色んなことがあるものだ。
了承したあとで気付いたのだが、日舞の演目は、僕扮する狼藉者が若い女性の花見の席に乱入して縛られ、女性達に懲らしめられる、という内容なのだ。師匠の粋な計らいか、それとも積年の趣向返しか、さあ、どうなる事やら。
他人事の方は是非冷やかしにお越し下さいませ。チケットは何時でもご用意致します。