浅井久仁臣 グラフィティ         TOP>>http://www.asaikuniomi.com

日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

頑張るよ、A

2006-06-11 09:49:56 | Weblog
 ASEで勉強していたAを駅で見かけた。携帯に夢中になっている彼の後ろから「ニイチャン、ちょいと顔貸しな」と脅すと、びくっとしたので、「おれだよ、A」とすぐに続けた。

 「なんだよ、おどかすなよお。あさいのおやじじゃねえか」とAはすぐに驚きと怯えの表情を解き、笑顔で応じてくれた。

 Aは小学生の時から私の元で勉強していたが、数年前、両親が離婚したことでやる気を完全になくしたのだろう。授業料を滞納したまま(親からもらったものを遊びに使ってしまった)退学していった。その後、時折り、彼の姿を見かけることはあったが、じっくり話す機会はなかった。

 「卒業したらどうするの?」
 かつて彼は母親の職業に就きたいと言っていた。

 「何もやる気無い。でも、大学には行くよ。オヤジも行けって言うしね」
 Aはそう言い放ったが、離れて行った母親を良くは言わなかった。だからかつて彼が就きたいと言っていた職業のことは聞けなかった。

 「Bがすっかり悪くなっちゃってさ」
 Aは、母親と共に離れて行った兄弟のことを持ち出した。Bは定時制高校に行っているが、もうすでに少年鑑別所に2度入れられたという。

 最近、生徒たちの親から苗字や住所が突然変わったと言われるケイスが目立つ。その多くが、両親の別居や離婚だが、もはや離婚は、一時的に人の噂になるものの特別視されることではなくなった。だから、子供たちも以前とは違い、退学せずにそのまま継続する。だが、その心の内は、相談されない限りは読めない。

 2度も離婚した私がとやかく言えることではないが、両親の別離は子供には重い。Aも多くのことを経験して、さまざまな想いを心の内にしまっているだろう。

 別れ際、Aは笑顔を作って、「頑張れよ!」と私を励ます言葉を残して立ち去った。それは、Aが自分自身に対してかけているようにも思えた。

 「ありがとう。頑張るよ、A」
 私はどこか寂しげなAの背中に無言のメッセジを送った。

アル・カーイダNO2がヴィデオ映像

2006-06-10 06:35:09 | Weblog
 欧米の多くや中東の一部でザワヒリ幹部の殺害が喜ばれる中、カタールの衛星TV局アル・ジャズィーラは9日、アル・カーイダのNO2とされるアイマン・アル・ザワヒリ幹部のヴィデオ映像を公開しました。

 ヴィデオ・メッセジの中で、ザワヒリ幹部は、パレスチナのアッバース大統領が提案した国民投票に対して反対を表明、パレスチナの民衆に参加しないように呼びかけています。

 アッバース大統領は先にハマース政権が西側社会から受け容れられず、相次ぐ経済支援の停止を宣言されていることから事実上の「大統領の自分を選ぶか、ハマース政権を選ぶか」を問う国民投票を提案しています。ちなみに、アッバース大統領は、日本で言えば自民党のような政党であるファタハから選出されています。パレスチナでは、大統領選挙と自治評議会(国会にあたる)選挙が別々に行なわれ、大統領選挙ではファタハが勝利したものの、自治評議会選ではハマースが過半数を占めたために混乱が起きています。

 また、ザワヒリ幹部は、ザルカーウィ幹部の活動を礼賛していますが、8日の事件については触れていません。アル・ジャズィーラによると、このヴィデオはザルカーウィが殺害される前に撮影されたものです。

ザルカーウィ幹部殺害の報を受けて想う事

2006-06-09 09:33:53 | Weblog
マリキ・イラク首相は8日、「イラク・アル・カーイダ機構」の「顔」であったザルカーウィ幹部(アブ・ムサーブ・アル・ザルカーウィ)が8日未明、米軍の手によって殺害された、と発表した。

 これまでに行なわれてきた多くの外国人誘拐や殺害の首謀者であるザルカーウィ幹部は、ビン・ラーディン指導者に並ぶアル・カーイダの顔とされ、米国政府から2500万ドル(約28億円)もの懸賞金を掛けられていた。

 マリキ首相の発表に次いで行なわれた米軍の記者会見では、空爆を撮影した映像も公開された。

 それによると、バグダッド北西部のバクバの隠れ家に潜んでいるとの有力情報を得た米軍は、ザルカーウィ幹部本人に間違いないとの確証を得て空爆に及んだ。まあ、これまでにも米軍はそう言いながら何度もビン・ラーディンらを取り逃がしているからその「確証」も怪しいものだが、今回は遺体の写真も発表され、DNA鑑定も済ませているようだからザルカーウィ本人に間違いなかろう。

 しかし、それにしても、なぜこのような荒業に出たのか。また、なぜ、彼を捕捉しようとしなかったのか。

 ザルカーウィ幹部が、これまで言われてきた残虐行為を全て行なってきたとするなら捕まえて少しでも多くの情報を得ようとするのが常道のはずだ。先月だけで1400人もの死者を出しているイラク内戦を、ブッシュ政権は本気で終結させようとしているのか私には疑問に思えてくる。

 本気で戦争を終わらせようとするのなら、米国はイラク政府と共同で内戦の要因の一つ、それも主因の一つとなっているアル・カーイダの活動を根絶やしにしようと考えるはずである。ところが、彼を殺してしまっては、新たに“英雄”を作り出すだけだということがなぜ分からないのか。

 米軍は爆撃現場の映像を記者会見で発表して、世界中のマスコミにその映像を提供している。爆撃映像を前に精密誘導兵器の威力を誇らしげにしている将軍の姿は、いつものことだがスゴイおもちゃを偉そうに持って見せている子供と何ら変わりが無いように見える。

 そこには巻き添えにしてしまった人たちへの配慮は何も無い。これでは一緒にいたり、近くに住んでいたことすら罪だと言わんばかりだ。確かに、死傷者のほとんどはザルカーウィ幹部の取り巻きであっただろうが、落とされた爆弾が「500ポンド」2発と発表されているから、家の5,6軒は破壊できるものだ。無関係の隣人が殺された可能性は否定できない。

 また、殺された人たちの中に子供がいたことも許されない事実だ。恐らく、関係者の子供だろうが、だからといって殺していいというものではない。子供の死を悼む声が無いのも心が痛む。子供を殺したのはまずいと思ったか、空爆直後の発表では死者の中に子供が含まれているとの情報があったのに、その後聞かれなくなっている。それに、結局何人の命が奪われたのか未だ正確な数字は無い。いずれにしてもあれだけの爆撃だ。これを見た現地の住民たちやアラブ世界の人たちは、作戦の「功」よりも「罪」の方に目が向くだろう。

 米国のマスコミは、ザルカーウィ幹部の死がイラク情勢に大きな変化をもたらすか、と題して特別番組や特集記事を組んでいるが、今の段階では判断材料があまりに乏しすぎる。確かに、イラクにおいて彼の存在が大きかったことは事実だが、「アル・カーイダ離れ」がスンニ派社会で進みだしていたこともあったので、これを機に一気にその流れが加速する可能性は考えられる。だがその一方で、折角地元スンニ派社会とアル・カーイダの間に距離が出来たのに、この作戦がその流れを元に戻してしまう恐れもある。

 いずれにしても、今言えることは、ザルカーウィ幹部一人殺したからといって、アル・カーイダの活動が終息する訳ではないということだ。また、イラク内戦が一挙に解決する方向に進む訳でもないということだ。

 日本ではこのところ、イラク情勢への関心がすっかり失われ、今朝のTV番組も「小学生殺害」に一点集中という有様だ。前述したように、先月だけで1400人もの命が奪われたイラク内戦は、今後どのような展開になるのか、私の目にも今のところはっきりしたものは見えてこない。一つはっきりいえることは、戦争が始まって4年目を迎えて、今も無辜の市民が多く傷つき苦しんでいることだ。

 その内、自衛隊の撤退が本格化して、その完了と共に日本ではイラク戦争に見切りが付けられるだろう。「臭いものに蓋をして」イラク戦争は終結したことにされ、われわれはまた「自分だけよければいい」という捻じ曲がった“愛国心”に満ち溢れたぬるま湯に浸かる日々を迎えることになる。

 だが、世界を震撼させる出来事は近い内に必ずまた起きる。起きる場所は、アメリカなのか、ヨーロッパなのか、はたまたこの日本なのか。その予測は私にはつかないが、断言できるのは、日本政府も国民もその時またまた慌てふためいて、アメリカの言いなりになり、危険な道と知ってか知らずしてか前に進んでしまうことだ。そうならないためにも、マスコミ特にTVは今回の作戦を十分な時間を取って紹介して欲しいと切望する。

街の色

2006-06-09 01:13:33 | Weblog
 私は食事を摂る場所も5、6ヵ所なじみの店がある。前にも書いた事があるが、基本的に店の人や客と会話が出来る場所を好む。その中でもお気に入りは、埼玉県の東川口にある「雅亭」。和風料理屋で、外見からはそんなに「美味しそう」には見えないが、おかみさんの食にかけるこだわりは尋常ではない。

 材料は、“毒”をなるべく使わないというだけでなく、生産者のこだわりを大切にしている。そして、ひと品一品、丁寧に仕込みをする。彼女の睡眠時間が毎日4,5時間というのもうなずけるほどの念の入れようだ。将来、田舎で「毎日美味しい料理を提供する」養老院を経営したいという夢も聞いていて楽しい。

 昼食は、「おまかせ」コースしか提供していないが、もちろん、毎日メニューが変わるからたとえ毎日行っても飽きることは無い。

 こだわりの材料と念入りの仕込みの割に値段も1,000円とリーズナブル(って言葉が最近流行っているけどイヤだね)じゃなく、ズバリ安い!

 開業して3年目位だが、昨年から突如人気が出て、昼間の20食が完売ということも珍しくなくなった。まあ、私が行くのが分かっている日は特別に取っておいてくれたりして食いっぱぐれになることはないが、嬉しい悲鳴が聞こえてくる日々が続いていた。

 ところがひと月ほど前、近くに巨大ショッピングセンターができたことで、事情が一変した。あれほど昼間に押しかけてきていた「有閑マダム(古い言い方だね)」たちがパタッと来なくなってしまったというのだ。

 夕食はラーメン屋の「むさし坊」で食べた。この店も材料にとことんこだわっており、使われている食材の一つひとつがはっきりと存在を主張しつつ、見事に調和されている。料理長の坂田氏は、イタリアン料理出身で、TVチャンピオンにも出たことのある御仁だ。

 そんなむさし坊でも、ショッピングセンターの影響は少なくないという。土曜日や祝日などは目に見えて客の数が減ったという。

 寂しい話だ。こうして「街の色」が失われていく。私は「対話が出来る」店を殊の外贔屓にしているのでこういう話を聞くのはしのびない。先日お伝えした豚カツ屋「とん信亭」の閉店もこういった時代の流れで起きた。

 これをお読みの皆さんには、食事をする時、買い物をする時、なるべく地元の「対話が出来る店」を大事にしていただきたいと切にお願いする。街から色彩を失わないためにも我々でこういう店を守っていきましょう。

村上氏擁護論に異論反論オブジェクション

2006-06-07 09:08:45 | Weblog
 堀江、村上といった「ヒルズ族」を代表する“巨星”が落ちて、IT関連企業に対する世間の目が厳しい。

 それにしても現金なものだ。ちょいと前までは、ヒルズ族こそが時代の流れだとばかりに特集を組み持ち上げていたのに、マスコミは二人が逮捕されるといっせいにIT関連企業までをも袋叩きだ。

 これでは、まるで学校で起きている陰湿ないじめと何ら変わらない構造だ。訳知り顔に、二人をあーだコーダ言うコメンテイターなる連中の発言は、言葉は悪いが、胸くそ悪くなる。

 そんな中で、筑紫哲也氏が、昨日のコラムで、村上氏を擁護するような発言をしていた。それを聞いていて、私は筑紫氏の発言にも違和感を覚えた。

 堀江氏と村上氏は、とかく同類に見られがちだ。これは、実際に二人が、今回明らかになったように手を組んで荒業を仕掛けていたし、同じヒルズ族だ。しかし、いろいろ問題はあったにせよ、堀江氏はライブドアという会社で古いシステムに挑戦してきた企業家だ。それに対して、村上氏はただ単なるカネの亡者だ。理屈や理想をこじつけたりはするが、所詮は金儲けに特化した活動だ。

 しかもそのやり方を見ていると、アメリカのファンドのやり方をそっくり真似て、企業買収に無防備の日本の会社を手玉に取った。いわば日本の会社の壊し屋だ。村上ファンドの資金が米国の年金事業などの機関投資家やオリックスと聞くと、一連の米国の日本経済支配のお先棒担ぎの可能性を疑いたくなる。私は村上氏を弁護する材料をどこに見出すことも出来ない。

 小泉さんがお先棒担ぎとして、米国の極東政策に多大なる寄与をしてきたことは、5年10年後、必ずや明らかになることだが、村上氏の役割もその内露呈されるはずだ。村上氏の活動の功罪を取り上げる番組があったが、冗談ではない。村上ファンドは、日本のためになることは何ひとつしなかったというばかりか、日本経済に混乱しか持ち込まなかったという罪の部分しか見当らない。彼は記者会見で、御託を並べ強弁していたが、耳を傾けるに値するものは何も無かった。企業買収や株買占めでもうけようとしたわけではないと言う舌の根も乾かぬうちに、金儲けがいけないことですかと開き直っている。成功者だから叩かれるのだ、挑戦者に優しくない社会だと日本社会のあり方にまでイチャモンをつけていた。

 筑紫さん、確かに世の中の流れが全体に大きく動く時、それに水をかけることは必要です。あなたは9.11の時、アフガニスタン攻撃やむなしといった考えに傾いていて解説に駆けつけた私を驚かせました。解説者の板垣雄三さんや私の話を聞いて冷静さを取り戻しましたが、一体この人はどうしてしまったのかと思うほど動揺していました。その後その時の反省もあってか、大勢に流されないようにしようとしているのかもしれません。しかし、そうするにはまず物事の本質を見極める作業をしなければなりませんよね。あなたの視点を聞いていると、最近その作業を怠っているように思えてなりません。

 あなたの視点にはかつてのキレが見られません。かつてあなたのファンであった人たちも、「最近の筑紫さんはねえ」と首を傾げています。もうこの際、引退されたらいかがですか。でも、TBSの幹部に言っておきますが、社内で有力視されている「みのもんた」なる人物だけは後釜にしないでくださいね。もうそうなれば、「報道のTBS」の看板は完全に下ろす時です。

謝れないニッポン人

2006-06-07 01:03:40 | Weblog
 周りの人たちが「最近の若い人たちって謝らないよね」と言うのをよく耳にする。確かに、最近、謝るのが苦手と言うか、嫌いという人が増えたような気がする。しかし、それは若い人に限らない。若くない人たちの中にも謝らない人が少なくない。

 ここ二日間を例に取ると、一つは、埼玉のある市で災害支援ネットワーク作りのグループの中で、もう一つは、よく買い物に行くスーパーとの間で“事件”は起きた。

 最初のケイスでは、ある大学生が「今はシューカツ(就職活動)も終えて時間が余っていますから」と仕事を安請け合いをしておきながらいざやってみて自分の力に余ると感じたのだろう。仕事の進行状況を報告してくるどころか、締め切りが迫ってきて大丈夫かと心配する私のメイルや電話をシカト。連絡が取れない、雲隠れ状態になってしまった。

 仕方がないので他のメンバーにも読めるように、6日夜予定していた会議が開けなくなった旨をグループ全員に送ると、ようやく姿を(ネット上だが)現して、私宛に「活動する意欲がないので今後、席を外させてもらいます」とだけ「一行メイル」を送ってきた。正直な話、ざっけんじゃねえよ、という気持ちであったが、カゲキな言葉は飲み込んで、諭すような内容のメイルを返信した。

 すると、「連絡を怠り、浅井様を始め多くの方々にご迷惑をお掛けした事をお詫び致します。誠に申し訳ありませんでした」と若者らしくない慇懃無礼な謝罪メイルを直ぐに打ち返してきたが、侘びはそれだけ。その後は、自分の近況報告をして、まるで意味不明の言い訳を書いて、さようなら。なんじゃそりゃ?である。

 こんなやり方で就職をしても周りに害を振り撒くだけだ。それはまた、彼を苦しめることにもなる。そう考えた私は、一度じっくり話をしようと彼の携帯に電話を入れた。すると、話し中。しばらくしてかけても話し中。その後3,4回かけたが全て話し中。おかしいなと人にそのことを話すと、「浅井さん、それは着信拒否ですよ」と言われた。寂しいねえ。

 二件目は、家の近くの「コモディイイダ」というスーパーでのやり取り。

 何度も書いているが、私は恐らく「全国わすれんぼランキング」なるものがあれば、上位500位に確実にランクインすると思われる。何を自慢げに書いているのかと言われそうだが、事実だから仕方がない。もちろん、決してわすれんぼは格好のいいものだとは思っていないが、格好が特別悪いとも思っていない。

 そんな私が日曜の夜、スーパーの駐輪場に愛車を置きっ放しにして帰宅してしまった。家人も一緒にいたから彼女が上位1万位に入るほどのわすれんぼであることはお分かりいただけるであろう。

 翌日になってそんなことなど記憶の片隅にもない私は、アパートの駐輪スペイスに自転車が見当らず、思わず家人に「自転車を盗まれたみたいだな」と報告した。しかしよく考えてみると、家に自転車で帰ったという記憶がない。すると、スーパーか?となった。まあ、スーパーの駐輪場であれば紛失することはなかろうと安心してスーパーに向かった。

 スーパーの駐輪場を見たが、愛車は見当らなかった。顔見知りのレジの女性に聞いてみると、停めてある自転車は違法駐輪が多いから閉店時に全て路上に出してしまうのだと言う。そんなバカなと思いつつ路上の違法駐輪を見て周った。だが、私の見慣れた愛車はない。

 私の前を店長が通りかかった。彼を捕まえて話を聞くと、レジの女性が言っていたことを繰り返した。そして、アンタも停めてったんだろう?てな視線をこちらに向けた。私は事情を説明。相手のやり方の矛盾点を指摘した。

 客が忘れていった所有物を、無責任に路上に放置するのはおかしいではないかと言う私に店長は薄笑いを浮かべながら、しかも左手をポケットに入れながら聞いている。

 私は無礼な人間が大嫌いだ。店長の態度は到底私の許容範囲ではない。私は意図的に声を張り上げた。彼の無礼を叱った。店先でそのような口論をすれば、店長である彼に不利益この上ないとの計算が私にあったことは事実だ。

 すると、店長の態度が多少変わった。だが、責任を認めようとはしなかった。自転車を路上に出すのは帰宅した人たちのことを思ってのことだ。また、例え自転車を路上に出しても直ぐには撤去されないはずだと言い張った。私は、「それでは、店内にカバンなどの持ち物を忘れていっても、あなたの店では閉店前に路上に放り出すのか」と問い詰めた。

 そこへ婦人警官が姿を見せた。近くの駅前交番に通報があったらしい。警官の姿を見てひるむような私ではない。交番で話をしましょうという警官の進言を無視、その場で話を続けることを主張した。それは、やはり、ようやく態度に変化を見せ始め、私の言うことに耳を傾け始めた店長が、交番に行けばまた態度を変えてしまう恐れがあったからだ。

 仲介をあきらめて交番に引き揚げようとする警官に、店の前の路上で午前中に自転車撤去が行なわれたかと聞いた。すると、彼女はどこかと連絡を取り、事実確認をしてくれた。撤去を午前中に実施したとのことであった。

 それを聞いた店長は、「それでは自転車を取りに行かれたらいかがですか」と私に言った。冗談ではない。それこそ筋違いと言うものだ。何で私が電車とバスに乗って持って行かれた自転車を取りにいかねばならないのか。

 「それでは、あなたとこれ以上話していても埒は明かないので、本社と話をします」と、店長に告げた。

 店長の顔色が変わった。
 そして、「やはり、お客さんの言われるように私が取りに行くべきですね」と言った。

 日が変わった6日。自転車を購入した店に電話を入れて、防犯登録番号を調べてもらった。多忙なようで、店員は時間がかかりますけど宜しいですか。警察に聞くとすぐに分かりますよ、と言った。

 だから私は駅前交番に向かった。そこには昨日駆けつけてくれた婦人警官の姿もあった。彼女は私の名前と住所をコンピューターに向かう同僚に伝えた。

 「無いですよ。登録されていません」
 同僚はそう言った。納得できない私は、考えられる方法で調べるようにお願いした。しかし、古い情報はあるが、現住所での記録は無いときっぱりと言われてしまった。

 すごすごと引き下がった私は、購入した自転車屋に向かった。

 自転車屋の記録にはきちんと登録番号が残っていた。番号を控えて私は交番に向かった。先ほどの婦人警官たちは、防犯協会が入力し間違えたんではないですか、と言いながら私に対応した。私は、「防犯協会であろうと、市民からすれば警察と一心同体ですよ。何を責任逃れを言っているんですか」と言った。

 男性警官がコンピューターに向かっていた。私の番号を言うと、慣れない手つきで入力してくれ、「ありますよ」と言った。20分ほど前コンピューターで確認作業を行なった婦人警官二人が嫌な表情を浮かべた。

 だが、ついぞ二人の口から謝罪の言葉は出てこなかった。私は二人を叱責した。彼らのいい加減なやり方のために私は貴重な時間を無駄にしたのだ。慌てて釈明をしようとする二人を背中に交番を出た。その足でスーパーの店長に資料と鍵を渡しに行った。

 店長は、自転車を取ってきたら確認の電話を入れると言った。しかし、彼からの電話は来なかった。私が心配になってスーパーの事務所に電話をしても誰も出なかった。

 夜9時過ぎ。自転車を取りに行った。私の顔を見ると、店長は取りに行ってきましたよと笑顔を浮かべて言い、裏から我が愛車を取り出してきた。ところが私が自転車に乗って帰ろうとしてもひと言も謝罪が無い。私にこれだけの不便を掛けておきながら謝罪も出来ないとは、この男、これまでどんな人生を送ってきたのかとまじまじと顔を見てしまった。

 このように日本には謝れない人がたくさんいる。やはり、世の中が変わって日本人の心は余裕を失ってしまったのか、それとも私が年を取ってそういうことが気になるようになってきたのか、そのどちらかは分からぬが、何か居心地が悪い日々が続く。

村上氏の記者会見を見て

2006-06-05 13:56:14 | Weblog
 先ほど、ニッポン放送や阪神電鉄の株式買占め騒動で渦中の人となっていた「村上ファンド」の代表、村上世彰氏が、証券取引の午前中の取引が終わる午前11時丁度から東京証券取引所で記者会見を行なった。

 会見場には150人以上の報道陣が詰めかけ、会場に入りきらない記者やカメラマンがイヤフォンで会見の模様を聞きながら取材するという異例の事態となった。

 会見では司会もおかず、村上氏が終始一方的に進行を仕切った。記者からの質問もマイクが用意されておらず、よく聞き取れない状況で、質疑応答もかみ合っていなかった。

 村上氏は、「ニッポン放送株のインサイダー取引疑惑」について、雑談のような軽いノリでライヴドア幹部とニッポン放送株の公開買い付けについて話した事があるが、疑われるようなやましい行動、つまりはインサイダー取引はした憶えはないと強弁した。しかしながら、そのこと自体、証券取引法に抵触する恐れがあることで、証券取引のプロとしてあるまじき行為と考え、この会見を機に証券取引の世界から身を引くことにしたと発表した。

 何度も報道陣に向かって頭を下げる村上氏だが、謝罪の言葉を口にしながらもチャレンジャーに冷たい日本社会を批判してみたり、ファンドの拠点を移した先であるシンガポールがいかに凄い場所であるかを記者団に語りかけているのを見ると、謝罪会見というよりも弁明会見との印象を強く受けた。

 この記者会見が村上氏本人の意思によって開かれたものなのか、弁護団のススメによるものなのか確かではないが、恐らくヤメ検も含めて凄腕を集めたといわれる弁護団が、検察側の動きを意識して村上氏に会見を開くように進言したのだろう。アメリカには司法取引があり、司法側に都合の良い情報を提供したり、行動をする被疑者には、減刑もしくは免罪するという制度があるが、もしかしたら両者間で何らかの取引が行なわれていたのかと眉に唾してしまった。

 午後に入って、東京地検特捜部が最高検と東京高検と最終協議した後、村上氏ら村上ファンドの幹部数名を逮捕するとの情報が流れている。地検特捜部と証券取引等監視委員会は合同で、村上氏らの逮捕直後に東京都港区の六本木ヒルズにある村上氏の自宅や村上ファンドのグループ企業などを証取法違反容疑で家宅捜索するとみられる

しびれた、ハマのメリー

2006-06-04 11:07:42 | Weblog
 昨夜は映画「ヨコハマメリー」を観て来た。ハマのメリーとして知られたその女性は、横浜で戦後50年間、街娼を貫き、70を過ぎても毎夜、“秋葉系”ネエチャンも一目を置きそうな「お姫様」ドレスに身を固め、露出する肌のほぼ全てを白く塗り、街に立った。

 晩年は住む家も無く、いわばホームレス。全ての持ち物を大きなバッグに入れ、丸くなった背中をさらに丸めて歩いていた。その異様な風体は、男だけでなく、行き交う人々の目を引くようになり、やがて横浜の馬車道では知らぬ人が無いほどの「街の一風景」となった。一部マスコミはそれを面白がり、時折り取り上げていたから彼女の名はいわば“全国区”であったが、彼女の人生を愚弄するような扱い方に怒りを覚えた。

 パンパンと総称された米兵相手の娼婦達が、何故にそのような立場に身をおくようになったか。そして、ハマのメリーがどのような理由から老婆と言われる歳になっても街角に立ち続けたのか、その辺りの事情をろくに考慮もせずに面白おかしく書きたてる記者は、ジャーナリスとはおよそ言い難い。

 映画は、彼女を知る人たちの証言を中心に構成されている。彼女の存在を気味悪がった客から入店禁止を迫られた美容室の経営者、店の前にいても追い払わなかったからという理由だけで、メリーさんから盆暮れの贈り物をされていた店の経営者。彼女の洗濯物を大量に預かっていた洗濯屋さん…それぞれの話が人情味溢れていて心を打つ。美容室の経営者は、背に腹はかえられず、メリーさんの来店を断るのだが、それとて薄情けとは違いどこか情が感じられた。「止むに止まれず」という残念な気持ちが観る者に伝わってくるのだ。そこには、今は過去のものとなりつつある商店街を舞台にした「情の世界」が映画の動脈となって流れている。

 中でも心を打つのは、シャンソン歌手の「がんじろう」こと永登元次郎さん(故人)とメリーさんとの交流だ。がんじろうさんの歌もいい。50歳になってからプロデヴューしたとのことだが、心に響くその歌は、まさにシャンソンそのもの。そのがんじろうさんの歌と話がこの映画の核となっている。

 がんじろうさんは、若かりし頃、男娼として客を引いた経験から、老域に達してもなお街角に立ち続ける彼女の末路に自分を重ね合わせ、何かと援助をするようになったという。そのがんじろうさんも、経済的には余裕が出来たものの、撮影時には末期がんに苦しむようになっていた。ありとあらゆるがんに効く薬を並べて口に入れるがんじろうさんの姿を見ていると、人生に対する必死な思いを感じる。そしてそのがんじろうさんは、数年前、映画の完成を待たずしてこの世を去った。

 メリーさんは、親切な支援者の手で故郷に戻り(入院したのを機に、故郷に強制的に戻されたとの情報もある)、余生を老人ホームで暮らした。映画では、がんじろうさんがその老人ホームに慰問で訪れる。

 白粉を落として、「普通の上品なおばあちゃん」になったメリーさんの前で、「マイ・ウエイ」を歌うがんじろうさん。がんじろうさんが自分で作詞したのか、今までに聞いたことのない歌詞だった。それがまたがんじろうさんとメリーさんの人生の一部を見せられた後だけに、心に響く。味があるのだ。世間から後ろ指を指されながらも自分の道を貫いて生きてきた二人の“同志”のみが分かり合える味というものだろうか。そんなものが感じられた。がんじろうさんの語りかけるように歌うマイ・ウエイには、久し振りに心を揺さぶられた。しびれた。声が格別良いわけでもない、素晴らしいテクニックが駆使されているわけでもない。でも、これこそがソウル・ミューズィックだよ、と言わんばかりの歌であった。

 昨日は、昼は駅の立ち食いどころで天ぷらそば。夜も時間がなくて、天やで天丼と、馬鹿な食生活をしたおかげで、映画が始まるまで胸やけとゲップで苦しかったが、そんな不快感を忘れさせてくれる映画であった。

イラクで米軍による虐殺疑惑

2006-06-03 12:11:21 | Weblog
 米メディアはこのところ、イラク西部のハディーサで起きた24人の市民が殺害された事件で持ちきりだ。日本のマスコミは例のごとくその内大々的に「後追い」報道を始めるだろうが、この事件、もしかしたらヴェトナム戦争の大きな転換点となった「ミ・ライ虐殺」に匹敵するものになるやもしれぬ“ニオイ”がする。

 ここのところ時間がなくて書き込みをしていないが、とても重要な事件と思われる。事件が起きたのは、昨年11月。私の「第二次湾岸戦争」と題したブログでもその時の米軍の大規模な「鉄のカーテン」作戦を取り上げている。時間を見つけて詳細をお伝えしたいと考えているので今しばらくお待ちいただきたい。

駐車違反取締り民営化考

2006-06-02 00:24:58 | Weblog
 民間の駐車監視員による駐車違反取締りが1日、全国一斉に始まった。この日、埼玉でも東京でも繁華街には新品の制服が不釣合いな、またどこか自信なさげな中高年の男女が、慣れぬ手つきで取締りを行なっていた。

 南浦和にある仕事場の前では男女二人が若い警察官の指導の下、次々に「違反スティッカー」を車のフロントガラスに貼っていた。だが、そこに、外車一台が止まり、コワモテの男二人が下りてきた。そして、その前に大型のバイクが止まり、見るからに悪そうな「不良中年」がヘルメットを脱いだ。三人は交通取締りを気にすることなくそのまま談笑しながら喫茶店に入っていった。

 監視員と警察官がどうするものかと足を止めてみていると、彼らはその外車とオートバイを見て見ぬふり。だんだん反対方向に歩を進めていく。そして、三人はその大通りから姿を消してしまった。

 まあ、監視員も人の子だ。やくざ風の三人が恐くなったとしても不思議ではない。しかし、警察官の応援もあったのだからやりようはあったはずだ。大通りの商店に配達していてスティッカーを貼られた運転手達の嘆きの表情を目の当たりにしてしまうと、弱い者いじめではとの思いにもなる。駐車違反は確かに安全面を考えれば、取り締まらざるを得ない面もある。だが、このような光景を見たり、業務を請け負った会社の中に駐車場経営(管理)会社が入っていると聞くと、複雑な気持ちに襲われる。

 法律や規則に縛られた社会がいかに息苦しいものか、これ一つを取っても容易に分かる。そんなガチガチの硬直化した社会なんて真っ平ごめんだ。それよりも、もっとそれぞれの知恵を働かして弱い者に心配りがされるたおやかな共同体作りがしたい。

とん信亭の廃業

2006-06-01 00:30:08 | Weblog
 読者の山下大輔さんがトラックバックしているが、このブログで何度か紹介させていただいていた、南浦和の豚カツ屋「とん信亭」が5月、閉店した。

 店の宣伝をさせていただいた責任もあるので、こうなった以上、許される範囲内で事情説明をさせていただく。

 とん信亭の亭主は、昔気質の職人で、「良い物をお客さんに提供していればそれで良し」とする人であった。しかし、かつてはそれで通用していたものが、社会の価値観の変化が主な原因だが、真っ当な評価をされなくなってしまったのだ。

 私が奥さんの気持ちを受けて考え方を変えさせてみたものの、再出発は彼の肩に相当の重圧をかけてしまった。店の再建の具体的な方法は、彼と家族で考えたことだが、私の檄が有形無形のプレッシャーとなって重く彼にのしかかっていた。

 既に匿名でお伝えしたが、亭主は心労から胃潰瘍を患い、吐血をして救急車で運ばれた。その時は、既に閉店を決めていたが、そこに至るまでの苦しさを思うといたたまれなくなった。

 しかし、「捨てる神あれば、拾う神あり」の例え通り、彼に暖かい手が差し伸べられた。20年前まで勤めていた会社が、彼の廃業を聞きつけ、再雇用を提示したのだ。嬉しかった。彼は照れ屋だから素直にその喜びを表現できず、私に「どうしたらいいでしょうか」などと相談してきたが、話をよく聞くと、そう言いながらもその時にはもう既に背広を3着新調してきていたとのことだった。50半ばのオヤジだが、この時は彼のことが無性に可愛く思えた。奥さんがいなければ肩を抱いてやっていたかもしれない。

 そんなわけで、とん信亭はもう存在しない。以前私が書いたものを読んで、とん信亭に足を運んだ方には、亭主に成り代わってお礼をさせていただく。どうもありがとうございました。