ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

鎌田鳥山

2024年03月31日 | 食べ物のはなし
1年以上前から行きたいと思っていたお店に行きました。間違いなく素敵で美味しそうだったのですが少し遠いので実現するのに時間かかってしまった。

京王線で北野駅。駅前の三番バス乗り場から南大沢行きのバスで10分足らずで野猿峠バス停に。
バス停から斜面の住宅地の中を少し登ると都立長沼公園の入り口が見えてきます。

長沼公園は敷地内で下から上までの高低差が100m以上もあります。計画では下界に見える一番低い所から園内を登ってこの場所に来るつもりでした。
しかしこの日は前夜からの春雷。関東各地で大荒れとなってしまったあの日でした。歩いて登るのは諦めてバスで運んでもらいました。
そしてもうひとつ、一番の計画違いは3月の末にこの場所に立てば、広い斜面は満開の桜色で埋め尽くされているはずだったのです。残念。

長沼公園の天辺に沿って歩くこと5分で目指す鎌田鳥山の建物に到着しました。山小屋風の建物は写真で想像していたよりかなり大きかった。

玄関入って、大座敷のある2階に上がると窓の向こうに多摩丘陵の緑がいっぱい。

こちらがメインの大座敷で囲炉裏が10ほど切られています。左側の座敷が一段高くなっているのは眺めの良い窓を部屋の奥側からも良く見えるようにという設計です。

むき出しの小屋組みも素敵ですが、一番すごいのが壁面のほぼ全てを覆っている網代。
高級旅館や数寄屋の天井で見かける網代がこれだけの面積で大きな座敷の壁一面に設えらえているのは見たことがありません。ラフな造りの山小屋とのギャップがすごい。
お店の方から聞いたところによれば、100年ほど前の昭和初期にこの地で野鳥を食べさせる商売を始めた初代はその前は神田で竹カゴやざるを製造販売していたそうです。
狩猟が趣味だったことから八王子のこの地に移って商売替えをしたようですが、そもそも竹や木を編むのが専門だったのです。
建物自体は何度か建て替わっていますが、その度に初代が制作した網代は保管して新しい建物にも取り付けて現在に至っているとのことでした。すごい。

大座敷から少し飛び出した部分にある囲炉裏の前に陣取りました。少しですが高さがあるので焼くのも食べるのも楽です。
すぐに良く焼けた炭と食材が運ばれてきました。

鎌田鳥山は囲炉裏で串に刺した鳥を焼いて食べるお店です。うずらを含む野鳥コースと含まない若鶏コースの2種類。
砂肝、手羽中、銀紙に包まれた四角い棒はつくねです。

ネギ、ししとう、シイタケ、うずら玉子。

こんがり焼けた手羽中。

うずらは鳥の形そのものでちょっと引きますが食べて見ると濃厚で鶏とは異なる美味しさです。一番太い骨まで全てバリバリと噛み砕いていただきます。

窓を開けるともうもうと立つ煙がこちらに向かってきます。

ボトルで頼んだ芋焼酎も終わり、大きな鶏ももも食べ終わり終わった所で運ばれるなめこ汁。

最後は麦とろ。これだけ美味しい物を楽しく食べて1人前たったの3,500円です。ニューヨークだったらベーグルサンド1個とジュース一杯で終わる値段ですね。

小雨の中、11時半に入店して、お店を出たのは14時半でした。外はすっかり晴れていました。

帰りは長沼公園の中を下って長沼駅まで。20分くらいです。中央が窪んだ石畳は排水路も兼ねているようでした。
滑るから気を付けて!と言った直後に滑って転倒したのは私でした。
次は秋に一度行って、それから来年の桜の季節にリベンジだ!
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明治通りを往く

2024年03月30日 | TOKIOの道と川

靖国神社の標本木で東京の開花宣言が出されたのが3月29日。板橋区で私が定めた標準木では二日前の27日には10輪以上の花が咲いていました。

そんな日に都営新宿線西大島駅から明治通りを北に、東八道路までの2.5kmの未踏部分を塗りに行きました。
うちから最も身近な都道である明治通りですが検索しても「明治通りを往く」というタイトルの記事はありません。
明治通りは都内のあらゆる散歩で使われて途切れ途切れで軌跡がとられたために、わざわざ明治通りに線を引くという機会が一度もなかったようです。

首都高小松川線の下。高速通りということで軌跡を取ることをはなから諦めていますが、意外とこういう公園になっている所を繋いでいけるかも。

10分も北に行けばすぐに亀戸。大塚や中目黒辺りで見かけるレトロ寄せの店舗デザイン。低コストで集客力が高いデザインです。

亀戸の歯医者さん。今すぐ見れます。「見」じゃなくて「診」。見「れます」じゃなくて診「られます」と頭の中で赤字を入れてしまいます。

亀戸駅から10分で亀戸香取神社。下町は香取神社多いです。

スポーツ振興や勝利の神様として親しまれています。こちら石に触ることで勝運と幸運のご利益がある「勝石(かちいし)」。

香取神社の100m先の北十間川福神橋を渡った先が花王のすみだ事業所。花王を支えたかつての主力工場です。
広大な敷地の南端にある新南棟は事業所開設100周年の2022年に竣工。亀戸から来た人に最初に目に入るのがこのド派手なデザイン。設計・施工は清水建設。

特に公開している建物ではありませんが、ロビーだけ見学させてもらいました。

花王の先に東武亀戸線小村井駅。全長わずか3kmの都内ローカル線。以前丸八道路を往くの時にごく短い部分で丸八道路と並走していました。

丸八道路との分岐点を過ぎて明治通り未踏部分は終わり。押上スカイツリー方面に帰ります。

また亀戸線越え。昭和30年代の塗装を再現したリバイバルイエローの車体は一編成しかないので、さっき小村井駅の写真の車体が押上から戻って来たところのようです。

明治通りか押上への十間橋通りは昭和のトタン建築がたくさん残っていてどれも見ごたえ充分です。

こういうのを観光資源にしたらいいのにと思いますが、これ見てうれしい人はまだそんなに多くないのか。あと数枚写真あるけど止めておこう。

長谷尾花鳥店はとんがりハウス。

スカイツリーしたから半蔵門線で帰宅しました。
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亀戸で餃子のハシゴ

2024年03月29日 | 食べ物のはなし

散歩の途中で亀戸駅の横を通過しました。お昼には早い時間でしたがせっかくなので亀戸餃子を食べて行こう。
こち亀で知られる亀戸ですが、昨年放送のアド街では狭い範囲に古い商店街が8つもあることを紹介していました。縦横に広がる呑兵衛の街。

こちらが亀戸餃子本店。亀戸以外に錦糸町、両国、大島に支店があります。

U字型のカウンターと座敷。11時の開店と同時にカウンターはすべて埋まります。
メニューが餃子しかないので料理の注文は聞かれません。座ると目の前に勝手に餃子が運ばれてきます。

一皿五個で300円。食べていると「おかわりは?」と聞かれます。うなずけば二枚目のお皿が上に乗せられます。最低でも2枚は食べるのがルール。
一個6cmくらいの小ぶりなタイプ。底はカリカリで皮はやや薄い。キャベツの歯ごたえが小気味いい感じ。
2枚食べて滞在時間10分未満でお店を出ました。

3分歩いて今度は亀戸五丁目中央通り商店街の藤井屋へ。こちらも店内はロケや取材で食べに来た芸能人の色紙がびっしり。
先ほどの亀戸餃子と違ってシソ餃子、海老ニラ餃子、チーズ餃子などバリエーションが豊富です。

私が食べるのは「元祖餃子」という名前の普通の餃子。一皿8個で590円。
亀戸餃子はふわっとした包みですが藤井屋のはみっちり詰まっている感じ。野菜よりも肉の味が前面に出てきます。
30分で餃子2軒なんて初めてやりましたが楽しかったです。
だがしかし、焼き餃子って専門店だろうが町中華だろうがどこで食べても味はそんなには差がありません。素材と製法を考えればよほど変なことをしない限り美味しい。
そしてやっぱり王将(できれば大塚王将)の生餃子を家で完璧に焼き上げて食べるのに勝るものはないという結論は揺るがないのでした。

中央商店街から入った路地裏にとてもきれいな源平咲きの桜が咲いていました。

久しぶりの晴天。このまま明治通りの未踏部分を北に歩きます。
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ふたつの誕生会

2024年03月28日 | 食べ物のはなし

Rさんの誕生日にarteでお祝いのランチ。
お店入ってすぐの和箪笥をリフォームしたカウンターの上にお店のミニチュアが置かれていました。実際に使われている家具が細かく再現されていてすごい。

アンティパスト盛り合わせ。小さいスープ。

自家製タリアッテレを三元豚のラグーで。メインはサルティンボッカ。デザート3種付。
今回も安定の美味しさ。お店の人の距離感もほどよく寛いだ時間を過ごせます。こんなに美味しいのにリーズナブルだし。

クリスマスにここで飲んだ赤ワインが印象に残っている話をしていたら、ちょうど開栓してるのがあってグラスで出せますと言われました。
でも一杯のお値段がうちには高すぎたのでご辞退したら、一杯の半分くらいの量だけオマケで飲ませてもらえました。わーい。
やっぱり濃くて美味しい。そしてすべての料理を吹き飛ばしていく主張の強さ。

お腹いっぱいになった帰りにお店の目の前にあるこども動物園で羊を見て帰りました。

その次の日の昼。今度は実家最寄り駅の近くのお寿司屋さんで母と兄も交えての誕生会。(3月は妻と兄が誕生日)
40年以上前から時々親に連れて行ってもらっていたお店なんですが、12時の開店前から人が集まって開店と同時に満席に。そんな人気店だったっけ?

小皿料理5種類(鮟鱇、ワカサギ、磨り流しの茶碗蒸し、牡蠣ノグラタンなど)の後でお鮨8貫と巻物。
ダイエット中のRさんと小食の兄の寿司が回って来て満腹になりました。母はもちろん完食です。

2月にオカリナレッスンのアンサンブル発表会で2曲吹いたのですが、その時の写真がミニアルバムになったのを兄に見せてもらいました。
ヘンデル2曲だったのでメンバーの一人が持ってきた白いモフモフのカツラをかぶって演奏したのでした。右端が兄で隣が私です。
たまたま二日連続で美味しいお昼ご飯になりました。私以外はそれぞれに体の問題を抱えていますが、なんとか今年も元気で食事できたことは喜ばしい。
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初シュウマイ

2024年03月27日 | 食べ物のはなし

仲間内LINEで蒸篭が話題になっていた流れで私もシュウマイを作って見た。
200gの挽き肉と玉ねぎ。醤油、砂糖、ゴマ油、オイスターソース、生姜チューブ、塩コショウなど。
この辺りの配分はこれが正解というのはない。最終的には食べるときにつける醤油とお酢と辛子の味がメインなので。
何もつけなくても美味しいというのもあるけど、そこまで種に味をつけすぎない方がいいと思う。
左手をOKサインみたいに輪を作る形にしてその上にシュウマイの皮を乗せて種をスプーンですくって形を作る。
お店では細いヘラを使うけど、やはりスプーンだと幅があり過ぎてコントロールは難しかった。
200gの挽き肉と玉ねぎで30個のシュウマイができるレシピだったのに20個しかできなかったということは1個当たりの種が多すぎということだ。
思ったより小さかった皮に対して多過ぎる種ということで成型が難しかったようだ。次回は要調整。
それでもなんとかシュウマイに見える形にはなった。上に置いて指の穴に落とし込んで周りのひだは成り行き、皮を閉じることもない。
工程だけ見れば餃子よりやることは少ないので、やってみれば事前に想像していたより簡単。

木製の蒸篭は持っていないので下手したら20年くらい前から使っている金属製でフリーサイズの蒸し器とアムウェイの一番大きな鍋で蒸す。
スペース的にかなりきつきつでシュウマイ同士が密接してしまった。蒸してすぐは離れるのだけど、冷めてくるとシュウマイ同士がくっついてしまう。

同様に底の部分も金属の蒸し器とくっついてしまって後半のはせっかく包んだのに破れて単なる肉団子になってしまった。
シュウマイの下に葉物野菜かクッキングシートを敷くという手法もあるらしいので次は試してみよう。

味としてはなかなか美味しかった。いつも美味しく食べている味の素のザ・シュウマイと比べても勝ちはしなかったけど負けてもいない感じ。
シュウマイに関しては蒸したてを食べるということがとにかく重要なのだと知る。
中に入れる物もいくらでもバリエーションできそうだ。
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YAMAPの軌跡MAPの道路幅は時々ヘン

2024年03月26日 | TOKIOの道と川

中目黒から山手通りを南西に下って目黒清掃工場入り口の信号で左(北西)に入る道。この後、二つの道路を比較するので仮に道路Aとします。
山手通りから恵比寿駅方向に繋ぐ2車線の道路で東急バスも通る2車線の準幹線道路です。
元々は三田用水の下をくぐるように切り通された茶屋坂隧道として作られた道で、現在でも茶屋坂通りの通称名で親しまれています。

その茶屋坂通りで恵比寿ガーデンプレイスに向かっていて、アメリカ橋の200m手前で右に曲がりました。
よくある感じの一方通行の何の変哲もない路地で、こちらを仮に道路Bとします。

国土地理院の地図で見るとこんな場所です。左下から道路Aを登って来て道路Bの路地に入る。
なぜわざわざこんな路地に入って来たのか。
それはこの時、歩きながら見ていたお馴染みのYAMAPの軌跡MAPでなぜか道路の太さがAとBで逆になっていたからです。

青い軌跡が引かれているのでちょっと見にくいのですがそれでもBの白い線がAの線より2倍以上太いことが分かります。なぜ?
道路には国道、都道、区道などの格付けがあるので、地図によっては実際の道路幅と表示が逆転することもあるのですがこの2つの道路では当てはまりません。
目黒区の道路台帳でも見ましたが、道路交通法でも建築基準法的にもAの茶屋坂通りの方が名もない路地より道幅も道路の格も上です。
YAMAPの軌跡MAPは時々こういうことがあります。
GPSで軌跡を取っている地図は国土地理院の標準地図で表示されているのですが、過去の軌跡をすべて表示する軌跡MAPのベースとなるデータがなんか変。

同じ中目黒南で、山手通りを恵比寿と逆に少し行ったところにあるうねうねした道。他の道より明らかに太く表示されています。

二つの道路が交差するところでストリートビューを見るとそんなに違いはありません。地理院の地図でも同じ太さで表示されています。

YAMAPの軌跡MAPの表示されている幅がなんかヘンで不思議だという地図クラスタだけに興味深い話題でした。普通の人にはホントどうでもいいんだろう。
こうやって書いておけば数年後に誰かがその理由を教えてくれるかもしれないので書いておきます。

茶屋坂通りから見る目黒川。この写真は3週間前の写真ですが、たぶん今日もまだこんな風景なんだろうな。
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多摩美術大学

2024年03月25日 | キャンパス建築巡り

先に伊東豊雄の図書館だけ紹介した多摩美術大学のその他の校舎の写真です。
敷地高台側の東門から入って行くと多摩美出身で世界的彫刻家、長澤英俊のTINDARIが迎えてくれます。

都市部の学校と違って余裕のある校舎の配置。この日は卒業展の最終日、かつ卒業式の日でもあったので着飾った学生と父兄たちも多く見られました。

広場から反時計方向ににキャンパスを回ります。まず情報デザイン棟と芸術学棟。三層のブリッジで接続されています。

図書館前の坂道を下って正門の方へ。美大のイベント日なのでいろいろな服装の学生が見られます。

正門脇に多摩美術の正門玄関的役割を持って配置される本部棟。法人運営ゾーン、国際交流センター、学生課などが入っています。
水盤を渡る階段からからピロティで囲まれた中庭を越えて建物内に入るという演劇性の高い演出が見られます。

絵画棟北棟。絵画棟は北棟、東棟の大型の校舎が2棟。

絵画東棟ギャラリー。各科の校舎内に作品を発表できるギャラリーが備わっているのが多摩美校舎の特徴の一つです。
このギャラリーは赤黒コンビのタイル床にワッフルスラブと前川國男オマージュ的な要素が見られました。

連続水平窓が特徴的なメディアセンター。

アートテーク(左)と共通教育センター。
どの校舎のそれぞれに独特のデザインでありながら、単純な平面が少なく角ばった凹凸が強い主張をしてくるという共通点が見られます。
これら校舎群の設計は、多摩キャンパス設立から20余年が過ぎた1994年ごろに学内に設けられたに「キャンパス設計室」によるものです。
建築・環境デザイン学科教授で大岡山建築設計研究所を主宰する田淵諭を室長とし長期的にキャンパス全体の整備計画に携わってきました。

レクチャーホール。

ホールでは卒業式が行われていました。金沢美術大学の卒業式のようなことはなかったです。

坂の上から北側を眺めるとまだ未開発の丘陵地帯がほとんどです。



卒業展を少し見てきました。恵比寿ガーデンプレイスの学外展で見たやさぐれたヒーローにまた会ってしまいました。

印刷物の断面で作り出す模様。

文房具の虫たち。アイデアはありがちですが的確な造形とその量に圧倒されました。

violzatoと名付けられた新しい形のエレクトリックバイオリン。

こちらも恵比寿に続いて2度目となるこたさんの空想地図。

これはデザイン科の制作室。

多摩美の中には世界堂があります。

卒業写真。

ぐるっと回ってまた東門方向へ。帰りはバス橋本に戻りました。
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サクラサカズ

2024年03月24日 | 日記B
3月22日の板橋区。お昼で気温は10度。寒いです。

金沢橋の前のお花見スポットの公園。ぼんぼりは飾られていますがまったく咲いていません。
今年は暖冬と言われていたのに。先週も20度を超えていたのにその後が寒すぎ。

北区が開催する桜ウォークイベント。今日ですよ。やるのかな。自然現象に左右されるイベントは本当に運頼みです。

金沢橋からの写真2024年3月22日。

同じ場所で去年はこうでした。お天気は悪かったのね。

桜の蕾もあることはありますが、まだ緑色しか見えません。

ここ最近の桜の開花日の推移を調べてみました。

東京の開花日2011~2023年(出典:気象庁さくらの開花日
2010年3月28日
2011年3月31日
2012年3月16日
2013年3月25日
2014年3月23日
2015年3月21日
2016年3月21日
2017年3月17日
2018年3月21日
2019年3月14日
2020年3月24日
2021年3月14日
2022年3月20日
2023年3月14日

この13年で平均すると3月20日でした。
今年の予想は今のところ24日月曜日。靖国神社の標本木が5~6輪以上開花した状態で開花宣言です。

谷津観音近くのソメイヨシノでピンクの蕾もありました。もうそろそろ開いているのもありそうです。

王子神社の崖下の階段。私もこの後桜に期待したイベントがいくつかあるのでお天気の神頼みに来ました。

音無くぬぎ緑地に工事車両が何台か止まって作業中。近寄って見るとこんな看板を新しく設置しているところでした。
注意書きがびっしりと。夜は静かに。禁煙です。草花を取らないで。ごみを捨てないで。施設を壊したり落書きしたりしないで。
常識や道徳心がかけている人に対して抑止力になるとは思えません。設置している人もそう思ってるんじゃないかな。
これ設置するのにウン10万単位のお金使うのお金もったいない。
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町田街道を往く&都立大戸緑地(70/72)

2024年03月23日 | TOKIOの道と川

ひょっとすると初乗車の可能性もあるJR横浜線で相模原駅下車。南口はペデストリアンデッキ完備。多くの商業施設で賑わっていました。

反対側の駅の北側は南北1km東西2kmに亘って在日米軍の相模総合補給廠があるため、街としては一切発展できませんでした。

平成の終わり頃から徐々に日本に返還され始めてその一部がスポーツ公園に変わりました。
中学生の頃好きだった泉谷しげるの「ねどこのせれなあで」という歌の一番ラストが「明日相模原まで出刃包丁を買いに行こう」という物騒な歌詞でした。
なので私にとって相模原と聞くと出刃包丁という言葉が浮かんでしまいます。目黒の高級住宅地育ちの泉谷がなぜ相模原という言葉を使ったのかずっと不思議でしたが、
現地で広大な基地の横を歩いていて分かりました。相模原が1970年代初頭のベトナム反戦運動の象徴的な場所だったんですね。

米軍キャンプを抜けて境川を越えると本日のお目当ての町田街道。ベースとなるのは八王子と町田を繋ぐ戦国時代からの古道です。
明治時代には八王子に集まった絹を集荷して輸出のために横浜港へ運ぶ道として沿道が反映しました。それを記念して現在でも「絹の道」と呼ばれています。
相模原からしばらくは自転車通行帯も完備したなかなかよき道でした。

ちょっとだけ脇にそれて南多摩尾根幹線道路を往くのゴールにした多摩境駅と繋いでおく。この時は逆方向に崖の上から崖下を見下ろしていました

国道16号八王子バイパスを越える。

八王子バイパス脇の横断歩道前にあったトリックアートが描かれた不動産屋さん。動物が覗いている飛び出したような窓が実は全部トリックアートです。

旧町田街道の分岐の先は狭い片道一車線道路になります。少し先にある横浜線相原駅の踏切渋滞もあって車道を行くのも歩道を行くのも走りにくい道でした。
書き忘れましたが今日も相模原駅で自転車をレンタルしています。

東京都指定史跡青木家屋敷。この奥に巨大な藁葺き屋根の母屋と納屋があります。文化財でありながら中で病院も営業しているという変わり種。それにしても大胆な貼り紙。

町田街道はほとんど境川と平行に走っています。都市部では見られないようなものすごい蛇行がそのまま残されていて趣深いものがあります。
私が日々親しんでいる石神井川でも戦前の航空写真を見れば練馬から王子までほぼこのようなうねった川でした。

「八木重吉記念館」という看板が見えたのでちょっと寄って見ると柵の奥にヤギがいました。八木重吉だからヤギ?
八木重吉というのは明治31年生まれの著名な(といっても私は存じ上げませんでしたが)詩人でした。ヤギは人懐っこくてかわいかった。

大戸地区に入って町田街道をいったん離れてどんどん登って都立大戸緑地。訪問70番目の都立公園です。

先日訪ねた中藤公園と同じようにこちらも計画面積は広いのですが公園として開放されているのはそのごく一部分です。とりあえず駐車場とトイレはきちんとしていました。
標識に沿って「雨乞いの碑」という場所に向かってみます。短い距離ですが一気に50mほど登らされてきつかった。

日照りが続くと「この山の上に集まり火を焚き祝詞をあげ大鐘をたたき焚火の周りを回りながら雨乞いの歌をうたい降雨の祈りをささげた」と石碑に記されています。
雨乞いなんて江戸時代の話かと思ったら、最後は昭和22年頃まで行われていたんだそうです。

山頂からは横浜方面が見渡せます。

反時計回りにぐるっと回って下りて来たところ。緩やかな傾斜地に作られた段畑の後なのか、連続した低い石垣があります。奥には早い桜。

石垣もかなり古そうでもしかして城跡の曲輪かとも思いましたがそういう事実はありませんでした。

たくさん植えられている中で2本だけ咲く桜。

例年になく開花の遅い今年ですが思いがけず今年最初のお花見ができました。半月前に凍らせておいた炊き込みご飯のおにぎり美味し。

桜の上を軍用機らしきものが行きかいます。相模原の基地関係でしょうか。

駐車場の脇に草地広場。公園施設としてはこれでほぼ全てです。練馬城址公園、中藤公園、大戸緑地。この3つがとりあえず開園はしたけど、、、という公園。

谷を挟んだ反対側の山腹に法政大学の多摩キャンパスが広がっています。今日は立ち寄らないで町田街道をどんどん進みます。

高尾駅の1km南に北野街道の起点があります。119-A標識コレクション1点追加。

高尾駅に到着。ちょうど京王線が入って来ました。写真でも傘をさしている人が見えますがこの時低気圧が関東地方を横断中で各地で大荒れとなりました。
駅に入る直前でほんの一瞬濡れましたが、途中でふらふら寄り道していたら大変な目に遭う所でした。あぶね。

本日のコース。最近多摩地域でよく遭遇する川をざっくり水色の線で書き入れてみました。
大栗川、浅川は多摩川に合流しますが、境川は最後まで独立した川として江ノ島まで続きます。大したもんだ。
そういえば自転車に乗り始めた頃、栗原先輩のガイドで南町田から江ノ島までサイクリングしたのがまさにこの境川沿いだったんですね。
あれから間もなく20年。
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スケッチ教室#7 鳥獣戯画模写

2024年03月22日 | 日記B
3月スケッチ教室はあの国宝・鳥獣人物戯画の模写。

平安時代後期から鎌倉初期に様々な絵師により個別に描かれたものが京都市右京区の高山寺でまとめられた鳥獣戯画。
複数いる作者も不詳ですが、とにかく絵がうまい。

これを100円ショップの筆ペンで謎の和紙に書き写します。

ただ漫然と絵を見るのと、模写するために絵を見るのではずいぶんと違うことが分かります。
上手く書けなくてもよーく絵を見るための訓練として模写と言うのは意味があるかもしれません。

同じシーンを2度書いてから3度目に色紙に書いて仕上げます。
階数を重ねれば徐々に模写が上手くなるかと言うとそういうことは全くなくて、たぶん最初に書いたのが一番勢いがあって良かった気がします。

他の方たちの作品の一部。左から2番目のカエルがウサギを投げ飛ばしている絵はかなりうまい。
なかなか面白い体験でした。
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多摩美術大学図書館 =伊東豊雄=

2024年03月21日 | 建築&土木見物



多摩美術大学図書館。2007年竣工。伊東豊雄。

変型の四角形の2面が緩やかな凹カーブを描いています。本当は4方とも曲線で仕上げたかったが予算の関係で2面に留まりました。
各面のアーチ型の窓が特徴的ですが、単なる窓の形としてのではなくこの建物の構造そのものが連続したアーチで成り立っています。
外壁の曲面と窓ガラスの曲面が完全に同一面であることも大きな特徴。窓ガラスは連続した直線ではなく壁と一体化するよう曲面ガラスで作られています。

中に入ると交差するアーチの連続が奥まで続いています。始めに芯となる鉄板を組み上げてその外側に型枠を張ってコンクリートを流し込んで成型しました。
丘陵地にある多摩美は敷地全体が1/20勾配のスロープになっています。傾斜地に建つ図書館は1階の床が地形と同じ傾斜で奥に向かって上り坂になっています。

床が傾斜した建築というのはかなり特殊です。このブログで登場した建物でも西沢立衛の軽井沢千住博美術館くらいしか思い出せません。
この写真で見ると床面に連続した表情が見えますが、傾斜した床をモルタルで仕上げる時に施した何らかの流れ止めを結果かも知れません。

1階はオープンスペースであるアーケードキャラリーと図書館エリアがガラスで仕切られています。一般人はギャラリー部のみ見学が許されています。
ガラスの向こうに見える事務エリアはさすがに床が水平なようでギャラリーより低い所に床が見えました。

黒い改札の向こうが図書館エリア。1階はラウンジや雑誌・映像閲覧ルーム。図書館本体は2階。図書館に来て本棚を見られないのは実に無念です。

空調システム。暖気や冷機はスラブと床の間の25cmの隙間を通って足元の小穴から静かに吹き出るようになっています。

お団子型の椅子はつい先日太田市美術館・図書館で見たものと同じです。流行ってるのかな。

設計の始まりは「あるボリュームから空間をえぐったドームの連続体のような空間」と設計家本人の解説に書かれていました。私には教会のヴォールトに見えます。

敷地の一番低いところにある正門を入ってすぐの「彫刻の森」の前に立つ図書館。向かいに見えるのは本部棟。敷地の1/20勾配がかなりのきつさであることが分かります。

コンクリートとガラスがこれほど一体化した面に見えるというのはすごいです。

窓ガラスに映り込む彫刻の森の木々と空。曲面ガラスといっても両端と中央部分の差は僅か4mmしかありません。それでも折れ曲がった平面ガラスとはまったく違います。

古い話ですが、東京オリンピックの時の国立競技場の設計案が隈研吾と伊東豊雄の2案に絞られた時、伊東豊雄案の方を押していました。
今、この図書館の前に立ってやっぱり伊東豊雄の国立競技場も見たかったとしみじみ思います。

Googleマップで見る図書館の形。

図書館断面図。1階アーケードギャラリーの床が傾斜しているのは前述の通りですがこれを見ると建物の天井が敷地の傾斜と逆方向に傾いています。(赤い水平線参照)
なぜわざわざ敷地の高い方の天井を下げているのか、これに関しては今のところどこにも記述が見つからず謎です。
この図をずっと見ていると建物の左右の外壁の線が右に傾斜しているように見えてきました。

でも垂直の補助線(青い線)を引いて見ると全然傾斜しておらず単なる目の錯覚のようです。
参考までに図の右端の壁面をコピーして一番左端に床の高さを揃えて置いて見ました。高さが25%くらい違うことが分かります。面白いですね。意味はわかんないけど。

余談ですが、かっこいい大学図書館というと、日本女子大武蔵野美術大学成蹊大学、そしてこの多摩美術大学が東京での四天王かと思います。
日本女子大、武蔵美の図書館は事前申し込みで見学は可能ですが内部撮影は不可、成蹊は非公開。1階だけでも写真を撮らせてくれた多摩美は実はけっこう優しい。
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野猿街道を往く

2024年03月20日 | TOKIOの道と川

立川から南武線に乗り換えてやや都心に戻る方向で3つ目の谷保駅。かなりマイナーな駅ですが過去に甲州街道散歩や 国立散歩で来ていてこれで3度目。
電車を降りたら目の前で寒桜が見頃でした。

野猿街道のスタートは谷保駅から10分ほど歩いた日野バイパス府中インター付近なのでまずそこに向かいます。
地図アプリで最短距離を進んでいくと畑と畑の隙間みたいなところを通らされました。これって本当に私有地でなく公道なんでしょうか。

地方卸売市場入場会社の中で2年前まで売上高が最大だった東京多摩青果。入り口の近くで自転車をレンタル。

日野バイパス青果市場東交差点が野猿街道の起点です。(ちなみに道路管理上はこちらが「終点」ですが)
国道20号日野バイパスから都道20号線野猿街道へ。どちらも20で紛らわしい気もしますが、こういうのも「あえて」なんだろうな。

日野バイパスからしばらくの間はかなり立派な道路です。

府中四谷橋で多摩川を越えます。多摩川をしていた時にハープ橋の横からの写真を撮っていました。

大栗川。この川を「川の名前を調べる地図」で調べると大栗川ではなく大丸谷戸川って表示されるんですがどうしてなんだろう。

木立の向こうに黄土色のタワー。かなり大きい。

帝京大学の八王子キャンパスでした。帝京大学は現在、板橋、八王子、宇都宮、福岡、霞ヶ関の5か所にキャンパスがあります。
もともと都内にあったのが八王子に移転したのかと思いきや、そもそも1966年にここ八王子で設立された大学だったんですね。
向こうに門が見えますが、そこから小栗川の段丘をジグザグに登って行く長い道が見えます。立派そうな総合博物館もあるし、そのうちキャンパス見学に行ってみよう。

野猿街道沿いに大塚・帝京大学という名前のモノレール駅があります。ここから徒歩で15分で帝京大学。

野猿街道は3kmほど先の二股で右に逸れます。ここから北の駅の近くで北野街道に合流する場所が野猿街道の起点。今日はそっちには行かずにまっすぐ左に進みます。

小栗川とびったり平行に進む都道20号。

川沿いの傾斜地に建つ家並みが面白い。同じようなデザインだけど同じではない。こういう分譲だったのか。どの家も3~4フロアの構成です。

スタートから約12kmで本日の目的地の多摩美術大学に到着しました。
川崎市の多摩美(たまみ)という住所と多摩美(たまび)を間違えて行きたかった多摩美に行けなかったあの日から4年。ついに目的を達成しました。
今日のお目当ては伊東豊雄設計の多摩美図書館です。

ここんところ多摩丘陵を積極的に攻めているのでかなりYAMAPの軌跡も増えました。今回は右上の谷保駅から左下の多摩美術大学までのコース。
野猿街道は赤い線の部分ですが分岐の先は以前大学セミナーハウスに行った時に南大沢駅から通っていました。なのでこれで9割がた走破ってことにします。
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埼玉県立大学 =山本理顕=

2024年03月19日 | キャンパス建築巡り

獨協大学の見学を終えた後、獨協大学前駅から郊外に向かってさらに7駅でせんげん台駅に着きました。駅からまっすぐに歩くこと15分で埼玉県立大学に到着。
「保健・医療・福祉の連携と統合」を理念に1999年に開学した新しい公立大学で、校舎群は2024年のプリツカー賞を受賞した山本理顕の代表作です。

一直線に伸びる北棟(大学棟)は大屋根部分も含めるとその長さは330m以上。過去に見た建造物の中でも最長の部類です。

細い足で支えられて宙に浮かぶような部分の下に守衛室があります。ここで入館証を受け取ってからさらに本部棟の施設管理課で許可証に記入して中へ。

細長い校舎の北側(右側)が教室スペースで南側がアトリウム的な空間と移動のためのスペースになっています。



プレキャストコンクリートの格子に教室名の数字が大きく掲示されています。

ガラス張りのエレベーターで2階に。向こう側に南棟(旧短大棟)が平行に配置されています。(短大は2008年に閉校)

アトリウムの中に浮かぶような傾斜した床面。

中は席が階段状になった講義室。

平行に配置された大学棟と短大棟の間には平屋建ての共有施設や研究施設がランダムに配置されていて、その屋上部分が二つの棟を人工地盤的に繋いでいます。

屋外に飛び出した階段教室の下から見る北棟。

北棟と南棟の間は85mほど。直線的なウッドデッキ部分以外は芝生が植えられています。

旭硝子の銀座ガラス建築ツアーで学んだDPG工法(ドットポイントグレージング工法)。

大学より西側は全面的に農作地帯です。

南棟から見る北棟。外に飛び出した階段教室の傾斜面がそのままむき出しなのが良く見えます。
通常、柱とその上に床があればその下部分も使おうとするものですが、スペース的に余裕のあるこの学校の場合その必要性がありません。



随所で何種類かのオリジナル家具が見られます。このパンチングメタルは室内の壁面でも多用されているものを流用しています。

鉄製の角パイプのロングチェアは建物の構造材をそのまま置いただけのような感じ。

北棟と本部棟の間は大屋根の下で地上、2階デッキ、3階ブリッジの3層で接続されています。

体育館棟。

地上と2階デッキを繋ぐ階段をガラスで覆っただけのフリースペース。

短大にも飛び出した階段講義室があります。

本部棟の前に一か所だけ地上と2階を芝生のスロープとしている場所があります。



建物の形と配置をあえてランダムにしてその隙間の通路が迷路のようになっています。迷ったときは舟橋全二が描いたアートサインが居場所を教えてくれます。

支柱がなく空中に飛び出した非常階段が福生市役所の階段と同じです。

ガラスと鉄とコンクリートだけの無機質な空間に光が様々な模様を描きます。

これほどの規模のキャンパスで一人の建築家の設計で全てを同時に建てたというのは初めて見ました。
北棟、南棟、本部棟など構造的には複数の建物がありますが、建物間のデッキやブリッジも含めて全体として340m×130mの一つの建築と見做されるべきものです。
あらゆる部分が綿密で美しく、見学していて非常にわくわくしました。これだけガラス張りのスケスケな建物で使い勝手はどうなのかは気になりますが。
日本人建築家として9人目のプリツカー賞受賞者。国別ではこれでアメリカを抜いて最多になったそうです。
少々日本に肩入れし過ぎなんじゃないかという気もしないでもありませんが、そんな権威ある賞に選ばれた設計家の作品を気楽に見て回ることができるのは幸せなことです。
山本理顕の作品を見るのは横須賀美術館福生市役所に続いて3つ目。
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多摩動物公園

2024年03月18日 | TOKIO散歩
ここのところ東京都の公園すべてに行くということに挑んでいて、現在までに72公園中69公園まで終了しています。残り3つ。
東京都建設局は公園以外にも「庭園」「動物園・植物園・水族園」「霊園」を管理しています。
9つある庭園は2014年にコンプリート済。動植物園は井の頭自然文化園、上野動物園、葛西臨海水族園、神代植物公園、多摩動物公園、夢の島熱帯植物館の6つ。
どこもなじみが深いような気がしますが、考えて見ると多摩動物園って一度も行ったことがなかったかも。

ということで、予定のない日曜日にRさんと初訪問。京王線高幡不動駅から動物園専用線で3分。改札の目の前が動物園です。思ったより便利。
以前、多摩モノレールを始発の多摩センターから終着の上北台まで乗った時に、この場所の写真をモノレールの中から撮っていました。

入園してなにはともあれまずインコ。ですが、こういう規模の大きな動物園で小型鳥類の扱いは小さい。

水鳥の木道も大きなウォークインバードケージも調整中で展示なしで残念。

アジアゾウいました。

ほとんど飛行するようにケージの上部を高速で移動するシロテナガザル。

絶滅危惧種のタスマニアデビル2頭が今年の2月から公開されているところが園内で一番盛り上がっていました。残念ながら姿を見せませんでしたが。

メインストリートを西の奥まで進んだみはらし広場が園内で一番標高の高い場所です。すぐ近くの高尾から奥多摩方面が見渡せました。

コアラの丸い尻。

やる気のないカンガルー。

キリンが大量にいました。どこの動物園でも普通は2~3頭いれば充分が、さすが多摩動物園。20頭くらいいたかな。

園内で一番やかましかったフラミンゴ。

ライオンバスで見られるライオン舎。

2時間ほどかけて園内を一通り回りました。気温は上着要らずの22度。高低差もあるのでなかなかくたびれます。
都立公園完全制覇に向けて一歩前進。
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獨協大学

2024年03月17日 | キャンパス建築巡り

伝右川は江戸時代初期に新田開発を目的に伝右衛門によって開削された農業用水路です。
川の右(南)が獨協大学キャンパス、反対側がかつて日本有数のマンモス団地だった公団の松原団地、現在はURのコンフォール松原に変わりました。
奥に向かって5分も歩くと東武伊勢崎線の「獨協大学前(草加松原)」駅。2017年に「松原団地前」駅から名称が変わりました。

獨協大学正門。奥に中央棟。左手の守衛所で見学に来た旨を伝えておけばキャンパス内は自由に歩き回れます。

中央棟の右側に4棟。キャンパス内には10棟ほどの校舎がありますが数字がついているのはこの4棟と敷地隅にある8棟だけ。残りは全て建て替わりました。

全ての校舎がこのように屋根付きの通路で行き来できるようになっているのはなかなか利便性が高い。

小さな庭を挟んで西館(創立50周年記念館)。2017年竣工。久米設計。

建物の建物の間に程よく植栽が配置されていて寛げる雰囲気。この部分は草加松原のイメージ。

40周年を記念して2007年に完成した天野貞祐記念館。NTTファシリティーズ一級建築士事務所。
獨協大学は明治初期にできた独逸(ドイツ)学協会が元となってできた大学なので、校舎もドイツの著名な建築をイメージして設計されています。
センターのドームが特徴的な天野貞祐記念館はドイツ国会議事堂がデザインの元になっています。

天野貞祐記念館1階。ドーム下は5階まで吹き抜けで円周に沿って階段、中央を2本のエレベーターが通っています。



秋ヶ瀬のさいたま市桜区役所の吹き抜け階段を思い出しました。

最上階から見上げるドーム。あの階段を登るのは恐ろしい。

35周年記念館。アリーナと学生食堂。

人工芝のグラウンド。奥に見える高層のマンション群の場所も20年前は4階建ての団地がびっしり並ぶ一帯でした。

URまちとくらしのミュージアムの展示の中に松原団地はなかったか調べた、団地の建物の配置の変遷を見せるパネルの中にありました。
まさか翌月にここに行くことになるとは知らないでぼーっと見てたな。

グラウンドの向かいに東館。2010年竣工、石本建築事務所。こちらはドイツのペルガモン博物館がモデルだそうです。
グラウンドに面したこの大階段はグラウンドで行われる競技の観戦場所にもなるそう。卒業アルバムの集合写真もここで撮るそうです。

ぐるっとまわって再び正門前に戻って2012年に完成した学生センター。こちらも石本建築事務所の設計。

1階は学生ラウンジや雄飛ホール。上にクラブ・サークル活動で使用する部室や武道場などが入っています。

最初に見た4号館の壁と同じ色がこちらでも。この濃いブルーがスクールカラーでした。

音楽練習室、ダンススタジオなどサークル活動に必要な場所がしっかり用意されています。今の学生はいいわね。

体育会系部室が並ぶフロア。元々建物があった場所が部室棟があったところでした。
伝統ある部の看板をちゃんと設置できるように考えなかったところは石本建築事務所のミスですね。

5階からルーバー越しに見る草加の街並み。

コンパクトですが端正で機能の充実した獨協大学キャンパスでした。全学部、全学年が一か所で学生生活を送れるってなかなか珍しくなりました。
生まれ変わった草加松原団地と合わせてこれからも栄えて行くことでしょう。
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