ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

大学セミナーハウス本館

2019年10月03日 | 建築&土木見物

京王線北野駅からバスで15分。野猿峠バス停で降りて歩いて5分。高台の上の巨大な逆三角形が見えてきました。
人がすれ違うのがやっとの簡素な細い石段がこの有名な建築物への正式のルートです。

屋根の下に穿たれた三角錐の穴の奥から黒い瞳に睨まれ続けながら階段を登ります。建物にたどり着く前に、ここはなんかヤバいと思わせる視線。

大学セミナーハウス本館の全景。「日本の不思議な建物101」というへんてこな建物を集めた本の表紙にもなった日本のヘンの代表が目の前に。

バスケットのゴールや自販機の大きさでスケールが分るでしょうか。目の前にこんなにも傾斜した壁があるのは確かに不思議な気分です。

打ち放しコンクリートの壁に刻まれたジグザクやクランクの線は単なる抽象的な文様ではなかったことを後で知ります。

入り口の正四角推の庇から内部に、、、は入らないで先に脇の坂道から更に丘に登ったのは、もっといいアングルで全体を写せる場所がないかなと思って。

でも外の斜面からは木が邪魔をしてうまく写せるところはなかった。丘の上と最上階を繋ぐブリッジを渡ります。

入った場所は最上階ではなくてそこから短い階段を上がったところが屋根の真下の最上階。スキップフロア的な内部になっています。

最上階はガランとした広い部屋でした。元は食堂だった部屋ですが、2016年に外に食堂棟を作ったのでここを使うことがなくなりました。

外観が斜めなので当然内部の壁面も斜めです。斜めであることを利用した形で洗面台がありました。

ブリッジのフロアから下に下がった部屋。食堂の真下になる部屋はラウンジと呼ばれる部屋でここが「3階」になるようです。
全体の意匠とは無関係に見える途中で半端に角度の変わる階段。

階段途中からラウンジを見下ろしたところ。

先ほどの階段の裏側。踏板はトラスの鉄骨の上にありました。

談話室の西側。左手にまた短い階段。手前の青いカーペットの床面の奥の壁際は40cmほど低くなっています。

低くなった斜めの壁には作りつけのセブンチェア風の椅子が作りつけに。

階段を降りていくと吹き抜け状になった1階が見下ろせます。左側の黒い三角は室内側に突き出した壁面の形です。

これを見てようやく外壁に刻まれたジグザクの線の意味が分かりました。あれは内側にある壁や床のラインを外壁に表しているのでした。

もう一度さっきの写真で解説しよう。

無事に1階に降りてこられました。

1階付近に建物の断面図が書かれた絵が飾られていました。1階から登って行けば内部の構成が分った状態で見られたんですね。
何も知らないまま上から順番に見て行ったので知っていて見るより逆に不思議感をたくさん感じられて面白かったですよ。

大学セミナーハウス。「大学紛争の激しかった1960年代、国際基督教大学の職員だった飯田宗一郎が、東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学、一橋大学、津田塾大学など
都内の主要大学の学長を説いて大学連合組織の共同運営という形で創設し、八王子市下柚木に1965年に開館した。(wikipedeia)」
学生の泊りがけでのセミナーや運動系の合宿のために有名大学が共同で出資運営している施設です。今年で創立54年。

設計は吉阪隆正。前川國男、坂倉準三と並んでフランスのコルビュジエの事務所で学んだ3人の中の一人です。
そんなたいそうな経歴なのに今まで触れることがなかったのは、残した作品の多くが東京以外の場所で、これ以外に気安く見られるものが多くない。作品数も少ない。
ヘンの代表がこの大学セミナーハウスですが、それ以外の作品もほとんどが「ヘン寄り」。そして作品に輪をかけて本人も個性的だったようです。

今回は本館だけの紹介になりましたが敷地内には長い時間をかけて吉阪が作って来た様々なヘンがたくさん残っています。明日はそちらもお見せします。



おまけ1 科学特捜隊(ウルトラマン)の本部はセミナーハウスをモデルに考えられたそうです。ビル側面の流星マークのところがパカッて開いてビーグルが発進します。

おまけ2 ドラマ「アオイホノオ」での岡田斗司夫の実家豪邸としてセミナーハウスの画像が合成で使われました。私はこのシーンを見てこの建物のことを知りました。
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