皆様いつもありがとうございます。
このぶろぐは、訪問の足跡みたいなものが見れます。つまり、検索をかけられて、その結果このぶろぐにたどり着いたという、それで、最近特に多いのが白河伊都子先生を調べられていて、ここに来ていただく場合が多いようです。
それで、きょうは、前回の記事に追記してみました。
新しい本の帯の白河伊都子先生の文章を、書き写してみました。よろしかったら、見てみて下さい。
皆様いつもありがとうございます。
このぶろぐは、訪問の足跡みたいなものが見れます。つまり、検索をかけられて、その結果このぶろぐにたどり着いたという、それで、最近特に多いのが白河伊都子先生を調べられていて、ここに来ていただく場合が多いようです。
それで、きょうは、前回の記事に追記してみました。
新しい本の帯の白河伊都子先生の文章を、書き写してみました。よろしかったら、見てみて下さい。
皆様いつも大変お世話になりありがとうございます。正観さんの熊野の世話人さんから9月の熊野新宮の案内いただきましたので、載せてみました。よろしかったらお出かけ下さい。
本を読まれてから出かけるのも、おもしろくていいかも知れません。
「き・く・あ」の実践―今すぐ幸せになれる方法
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八重洲ブックセンターで、正観さんの新刊本が出た際、それまで、新刊本は初登場1位を順守してきたのですが、この本の後の新刊本に、1位を明け渡さず、かわりに新刊本が傘下の2位になった本として有名です。
100%幸せな1%の人々 小林 正観 中経出版 このアイテムの詳細を見る |
上の地図は、会場の新宮ユーアイホテルを中心に自由にスクロールできます。図の左端の上に表示されているバーを上にすると詳細図、下に下げると広域図と、地図の縮尺も自由に変えられます。
つづきです。
2日目の朝は、7時から朝食をとりました。茶がゆとたまごかけごはんをいただきました。茶がゆは、弘祥も子どもの頃、自分の父が、茶がゆが大好きでしたので、よく食べておりました。自分が通った小学校は当時給食もなかった時代で、昼は、家に食べに帰っておりました。食べ終わって、学校へ戻るお宮さんの横の階段を下りる時、よくお腹がチャッポン、チャッポンと音が鳴っておりました。はじめて、その音を聞いた時は、体の中がどうかなったと思い心配したことを覚えています。和歌山県が、当時胃がんの発生率が高いと言われましたが、このあっちんちんの茶がゆを食べたせいだと言われておりました。また、弘祥は子どもの頃からご飯にたまごをかけて醤油をたらしてかき混ぜて食べるのが大好物です。出会いの里のたまごは、天恵卵と言ってにわとりを地面で飼う平飼いで生産されている有精卵です。麻野先生が、朝食の際に天恵卵を紹介で「つまようじでプチプチとこのたまごの黄身を刺しても、黄身がくずれないとおっしゃっておりましたので、まず、黄身をはしでつまんでみましたがつまめました。つまようじもやってみましたがその通りでした。とっても、おいしいです。これ、おすすめです。たまごかけごはんを、結局2杯いただきました。ああ、そうです。熊野出会いの里では、今年から民宿をはじめられたそうです。築100年以上経つ古民家に宿泊して、たまごかけご飯など食べることが出来ます。先生の奥様に、民宿の案内いただきましたので、別ページに載せますね。
朝食後少し休憩して、コーヒー(2種類ありましたが、はじめて見る野菜コーヒー、有機栽培コーヒーと書いてあったと思います。)などをいただき、また、皆様とお話しをさせていただいていたところ麻野先生の号令で古民家にあがり、先生から「江戸しぐさ」の講義を受けました。本当は、江戸しぐさの有名な先生を講師で呼んでいたのだけど、急な用事で来られなくなったそうで、麻野先生からお話しを聞きました。江戸しぐさというものを、弘祥は、はじめて聞きました。
麻野先生「当時江戸はな、100万人以上が住む世界で一番の大都市やったんや。江戸時代の人々はな、他人に対してすごく思いやりがあってな優しい人がほとんどだったそうや。現代の人々が、忘れてしまっているな、これをやな電車やバスに乗った時、人とすれ違う時になぜひ、参考にして欲しいんや。」と言って教えていただきました。「傘かしげ」「肩ひき」「腰浮かし」などです。
この、ぶろぐを書くにあたり、少し調べてみました。
「傘かしげ」というのは、雨の日に人と人がようやくすれ違えることができる狭い路地などを歩いていて向こうから同じように人がやって来た時に、すれ違いざまにお互いの傘を外側に傾けて、まるで相手の方と申し合わせたかのようにぶつからずにすれ違うしぐさだったそうです。当時傘は、紙製だったのでお互い破れないようにということだったみたいです。また、お互い雨にも濡れないということだったようです。
「肩ひき」は、すれ違いざまに、お互いの肩が触れないように肩と肩がぶつからないように右肩を少し引いたそうです。
「腰浮かし」は、昔、江戸の乗合舟は、狭い船でしたので、人をまたいで奥に行けないので奥から順番に座って船が出るのを待ったそうです。船ですから立っては、乗れません。そんな時にあとから乗ってきた新しい客のために,座っている人は順番に腰の両側にそれぞれのこぶしをついて,軽く腰を浮かせて少しずつ隣りの方との間を詰めながら,一人分の空間を作って、譲り合ったそうです。
すばらしい、お話しでした。そして、ここからは、大阪藤井寺からすさみに来た話し、ここに来るきっかけを作ってくれた亡くなった友人の話、里いも作りとその出荷で自らの運転で京都の亀岡に行っているなど農業関係の話し、神様の話し、権現の話し、熊野というもののこれからの位置付けみたいなものをみんなでいろんなことを話し合いました。
そして、2日間の感想をみんなで順番にお話しして、終わると、今度は、麻野先生から、「最後にこれだけは、みんなに伝えたいんや聞いてほしいんやという話をまた、順番にそこからしてぇいこうや」ということで、弘祥は、氣功師として正しい呼吸法が健康のため一番必要なものだと思いますと呼吸の大切さをお話ししました。みんなが、ひととおり話し終わって、先生が総括して終わりました。
この日、麻野先生がおっしゃられたことで、特に弘祥の印象に残っているのは、「観光はな、文字通り光りを観てもらうんや、ここ熊野でどんな光りを観てもらうかや、光りやさかい風光つまり景色を観てもらうのもそうや、それだけやないやろう体験を通して何かを感じてもらうのもそうやで。」と
2部終了後、麻野先生から、自分に帰る前に話しがあるんや、あとで来てよと言われ、訪ねたところ先生から、あるお話しをいただきましてそれについては、今検討しております。正式に決まりましたら、ここにも書いてみたいと思います。
今回参加してわかったことは、これからいかに農業が大切になるかということが、よく理解できました。実は、白河伊都子先生からもちょうど同じことを聞いておりましたので、思わぬシンクロに驚いた次第です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
天恵卵は、新宮の「よってって」に置いているそうです。皆様一度、ぜひ、ご賞味下さい。味は、弘祥太鼓判押しますので、本当においしいですよ。
熊野出会いの里の民宿(築100年の古民家のお宿)の案内です。
下の地図は、熊野出会いの里を中心に自由にスクロールできます。図の左端の上に表示されているバーを上にすると詳細図、下に下げると広域図と、地図の縮尺も自由に変えられます。他府県の方は、縮尺を変えてスクロールしてみて下さい。
先日、弘祥が参加した、熊野であった催しを紹介いたします。名前を熊野出会いの会と言います。今年で第10回を数えます。主催者は、熊野出会いの里です。里長は大阪藤井寺ご出身で東京大学卒の方で日本の自然農法の走りと言われる麻野吉男氏です。自分は、過去に大阪の八尾の甲田医院の甲田光雄医師の講演会が熊野勝浦温泉で開催され出席させていただいた折りに知人のご紹介で麻野先生にお会いしたことがありました。その麻野先生が、自分の両親と親しかったそうで、実家の両親の所に遊びに来てくれた折りに当院を訪ねて来て下さいました。麻野先生と話す中、茨城の忍田 光先生とも20年前にお会いしたそうで、よく知っていらっしゃることや、他にもいろいろ話しをしました。先生は、「ギンヤンマが翔ぶ日 百姓が如雨露の穴から世の中見たら」という著書もあります。その話しの中で、熊野出会いの会の御案内をいただき、麻野先生から今までの参加の有無を聞かれまして「一度もありません。」とお答えしましたら「それでは、ぜひ今回は参加してもらわないと…」と誘われました。その際、「あなたは、診療があるやろうさかい2部にだけ参加してもらったら」と言う話しになりまして、それで弘祥のカヌー仲間で山登りやダイビングも一緒に出かけたりするアウトドア派の友人と出かけてまいりました。
熊野出会いの会第2部に参加された一番遠くの方は、熊野ご出身でカリフォルニア在住の方でした。日本の遠くは、函館、広島の福山・尾道、大阪は藤井寺、神戸、三重の津などから参加されておりました。和歌山県からは、和歌山市、九度山町、高野口町、龍神村、すさみ町、白浜町、そして地元の熊野などから20数人の参加がありました。たいへん驚いたのは、リピーターが多いことでした。広島の方は9回見えられたそうです。10回皆勤の方もいらしたようでした。職業も行政にお勤めの方、熊野古道の案内人の仕事の方、小学校の先生を定年退職された方、小学校の先生を中途退職して好きな道を進まれている方、左官屋さん、大工さん、調理にたずさわれている方、自然食品の工場長、主婦の方、自分と同じような人の体を診させていただく方は4人おられました。アメリカと日本を交互に行き来して木削りの教室を開かれている方、そして、一番多かったのは、専業、兼業を含めると農業に従事されている方が多かったです。ご夫婦の方もいらっしゃいました。
まず、時間の5時になりまして築100年以上経つ古民家の前の空き地で里長の麻野先生の簡単なあいさつがありました。その後、眼下に熊野川を見下ろすすばらしい見晴らしのいい場所で、木製のすごく広いテラス状の板間の上にござを敷いて座って自己紹介がはじまりました。ひとりひとり自己紹介するのですが、麻野先生から、話した内容について、いろいろとつっこみがありましたので、自己紹介だけで、2時間かかりました。どんなつっこみかといいますと、ある方が○○から来ました○○です。農業をしております。主に生産しているのは、○○と○○○の野菜です。出会いの会は、○回目です。今日は、よろしくお願いします。とお話ししたら、麻野先生が、「あんな、農業やっとるといろいろ苦労あるやろ、それこそいろんな苦労や もちろん経済的な苦労もそうやろう、どうしたら、この作物をもっとおいしくできるやろう、害虫のことなどなぁ そういうことをもっと、しゃべらなあかんでぇ、いろんな苦労あるやろう なぁ?」 とするとそれに答えるように、皆様いろいろなことをお話ししてくれます。弘祥もいろいろな異業種の方のお話しをいっぱい聞けてたいへん参考になりました。また、皆様本当に一本筋が通ったというか情熱のあるあつい方が多かったです。 ここで読んで下さっている皆様に雰囲気をお伝えしたいと思いますので、弘祥のところは、ありのまま、再現してみたいと思います。弘祥に順番が回ってきた時、「生まれも育ちも熊野の地元です。(弘祥は、新宮の生まれです。)現在平成4年に熊野に戻りまして、熊野新宮の川向こうの紀宝町で鍼灸整骨院をさせていただいております。出会いの会は初めてです。今日は、よろしくお願いします。」 とお話ししたら、「あんな、言うてるやろ、そういう仕事でもいろいろあるやん … と」そしたら、「そうですよ、なまえもまだですよ。」と参加者の方が教えてくれて どうやら、弘祥、あがったてしまったのでしょうか?なまえを言わなかったみたいです。それで、あわてて、自己紹介をやりなおしました。「ああ、すみません、なまえは、しばしたと言います。鍼灸、整骨もするのですが、氣功の臨床をやっておりまして、皆様それぞれに自然に治ろうとする力これを自然治癒力と言いますが、例えば、この力はじゅうぶんあるのに力が発揮できない方は、その力を引き出してきたり、また、その力が働く環境が出来ていない方には、その環境を整えたりするお手伝いが、できればと思ってさせていただいております。今日は、自分の両親が麻野先生と旧知の仲で両親の家に遊びにみえた際に自分の所にも遊びに来て下さいまして、出会いの会の第2部のお誘いを受けやってまいりました。…… 。どうぞ、よろしくお願いします。」と、そうしたら、「あんなぁ、実はこの出会いの会にはなぁ、いつも、参加してくれる名物の氣功師の○○君というのが、おったんやけど、この彼なぁ、本当に治療が好きやったんやぁ。残念ながら、○○君は亡くなってしまったんやけどな、ここの彼もな、根っからの治療人や、治療が好きなんやなぁ。うちのスタッフも診てもろてるんやけど、だいぶ調子ええみたいや、こう見えてもなぁ、彼なかなかの名人や、みんなも後で診てもろたらええでぇ」と冷や冷やものに突っ込みを入れられ、弘祥があっけにとられているなか自己紹介は次の方にバトンタッチしていきました。
その後食事タイムとなり麻野先生をはじめ奥さんや出会いの里のスタッフ達が作った野菜がいっぱいのサラダとHIROKOシェフの特製カレー(野菜とチキンの2種類がありました。自分はチキン)をいただきながら、いろいろな異業種の方とお話ししながら食事をいただきました。そして、とれたてのとっても甘いとうもろこしをいただき、しそジュースや梅ジュースなどもいただきました。ふと氣付いたら、後ろに白浜からみえられ氣を感じたいという方がおりまして、体験していただきました。レイキヒーラーの方がおられまして、みんなで車座になって、体験しておりました。白浜の方の手当てが終わった時ちょうど、弘祥を呼んで下さる方がおられ、生まれてはじめて皆さんでするレイキヒーリングに加えていただき体験させてもらいました。その後結局地元の熊野本宮の方がお二人と神戸の方とで4名の方を診させていただきました。皆様にたいへん喜んでいただきうれしかったです。治療後は、とってもすてきな木の香りのするひのきのお風呂をいただき、出てから深夜遅くまでお話しして昔、熊野新宮の河原に実在した川原家(現在のプレハブ住宅のご先祖様になるんじゃないかと思います。くぎをいっさい使わずに木だけで組んでいく独特の建築方法をとります。当時熊野川が大水などで増水時にはほんの短時間で解体して河原から避難して、川の水位が下がれば戻って簡単に組み立てたそうです。日本でもここだけにあったといわれるものです。現在、熊野三山の熊野速玉大社の駐車場入り口にもあります。)を再現した建物で眠りました。電氣がいっさいなく真っ暗な空間が新鮮でした。持参した寝袋の中で、眠りについてうとうとしていたら「コケコッコー」と鳴いたのには、驚きました。急いで時計を見るとまだ、3時くらいでした。滞在してわかりましたが、ここのにわとりはいつでも鳴いてるようです。こうして、1日目は終わりました。 つづく
下の地図は、熊野出会いの里を中心に自由にスクロールできます。図の左端の上に表示されているバーを上にすると詳細図、下に下げると広域図と、地図の縮尺も自由に変えられます。他府県の方は、縮尺を変えてスクロールしてみて下さい。
つまり
ホワイト(白) ( ホワイト(白) = (白) )
ピンク(桃) ( ピンク(桃色) = (赤+白) )
バイオレット(むらさき) ( バイオレット(むらさき) = (赤+青+白) )
ペールグリーン ( うすい緑= (青+黄+白) )
ダルグリーン ( にぶい緑= (青+黄+黒+白) )
グレー(ねずみ) (グレー(ねずみ)= (黒+白))
ベージュ(肌= (黄+黒+白))
以上の7つの色の方は、秋は、肺の氣が、旺盛になる時期なのですが、旺盛になれない方がみられます。
肺の氣には、からだの氣の陽氣をめぐらしてからだを温めるのと発散させる作用があります。肺の氣は、陽性で活動的な性質を持ちます。肺の氣が弱くなると、感冒や鼻の病氣になります。また、悲しみすぎたり、乾燥しすぎたりすると、肺の氣を落とすことになります。
また、乾燥しすぎていたみやすくなるところは、東洋医学では、皮毛(ひもう)です。同じく疲労をおこしてくるところは、氣です。肺の臓が、病んできた場合出て来る五液は、肺は、涕(はなみず)になります。
東洋医学では、東洋医学の五行学説から、肺を選んだ場合、五味(五臓を養う味)は、辛い味、五穀(食べると良い穀物)は米(=こめ)、五果(食べると良い果物)は桃(=もも)、五肉(食べると良い肉類)は馬肉となります。したがって、肺の氣が、旺盛になれない方は、肺の氣を旺盛にするために、馬肉や桃、米などをとるのが良いとされています。
どうぞ、白色の色が、構成として含まれる7つの色の方々は、秋のこの時期を、大切にお過ごし下さい。
参考文献 東洋医学全書