友、伸ちゃん(平屋敷 伸)、ありがとう。 また、いつか、向こうで…。

皆様、いつもたいへんお世話になり、ありがとうございます。たいへんご無沙汰いたしました。一部の方から、年賀状などでいつも、ぶろぐを読んでるけど、ずっと、更新されていませんね。とご心配いただきました。申し訳ありません。また、今日からぼちぼち書いてまいりますので、おつきあいいただければと思います。

2011年度熊野川カヌーマラソン大会は、5月より延期になり9月の開催を考えて我々スタッフは、行動しておりました。しかし、皆様ご存じのようにその開催を考えていた9月、台風12号の紀伊半島を襲った激甚災害により熊野川が未曾有の氾濫を起こし、その被害は筆舌に尽くし難い状況です。次回は、災害について書きたいと思います。

この台風12号の災害のおよそ1ヶ月前に、我々、熊野川カヌークラブのメンバーやカヌーマラソン大会の関係者に深い悲しみが走りました。最初の行政主催の第1回熊野川カヌーマラソン大会より大会にたずさわってこられ、現在の大会実行委員長の引本君や自分も所属する熊野カヌークラブの重鎮であった伸ちゃん(平屋敷 伸)が急逝いたしました。まだ、これからという54歳でした。行政主催の頃は、第1回大会より選手で出場参加し、行政から我々、民間の主催になってからは、裏方のスタッフとして前日(土曜日)の受付では、大会参加者の名簿の確認、カヌーの長さを測ったり、ライフジャケットの確認、浮力体の確認やまた、オプショナルツアーでトレッキングなどをした際は、先導役でした。大会当日(日曜日)には、自分と組んでジェットスキーに乗り、レスキュー活動をやっておりました。カヌーマラソン大会の常連の方々には、見覚えのある顔だと思います。

また、熊野修験道の熊野奥駆けの際も、参加され修験者以外の一般参加の方の安全を最大限に考慮しともに随行されておりました。自分も、カヌーを通して知り合い親しくなった時、山登りが趣味という事で、お願いして一番最初は、長野の駒ヶ岳と宝剣岳から千畳敷から下山コースに連れて行って貰い、熊野では、弥山に連れて行って貰いました。早朝より熊野川の源流という場所から、沢伝いに登り始め途中1時間くらい昼食と休憩をはさみ、8時間を越える行程でした。この弥山行きは、本当にたいへんでした。自分は、ここであやうく命を落としかけましたが、今は、良き思い出です。

さらに、自分の普段の臨床にとても理解して支持して助けてくれるかけがえのない友でした。熊野に、故忍田光先生をお呼びするきっかけも、自分の話しに伸ちゃんが、忍田先生の本を読んでおり「芝ちゃん、わしも、岐阜行くわ、一緒に連れって…。」すると、それを聞いた他のカヌーのメンバーも行きたい…患者様の御希望の方々も行きたいよ…という事で、結構な人数で、岐阜の長良川まで出かけました。久しぶりに忍田先生に再会し、話しははずみ食事会や、翌日の講演会、その後のヒーリングと進む中、先生から、今度、熊野に行くよ。」とうれしいお話しをいただき、都合4回足を運んでいただきました。第1回目は、2003年5月に実現いたしましたが、その後の2006年まで毎年1回忍田 光先生に熊野においでいただきました。熊野入り前日は、自分と一緒に、白浜まで出迎えに行き、次の日は、熊野三山にお参りしたり、名物の茶がゆを食していただいたり、瀞峡をジェット船のチャーター船で堪能したりしていただきましたが、その際も、全て同行してくれ、熊野の様々な土地の歴史や熊野の神々のお話しなど、諸々を忍田先生に話して下さっておりました。2008年9月2日、忍田 光先生の逝去の際は、その月の28日に茨城の忍田先生宅弔問もお互い大宮で合流し一緒にお参りさせていただきました。

 

          在りし日の忍田 光先生と伸ちゃん

 

自分が推奨するEセラネックレスや活水器 蝶々などもすぐにたのんでくれて、入荷を知らせるとすぐ取りに来てくれ、持って帰ると誰よりも早く、大絶賛の感想をくれました。また、たくさんの方にこれらの商品も紹介してくれました。

 

小林正観さんの伊勢の講演会に初めて参加した時も、その後の神宮の夜間参拝や白河伊都子先生の初めて開かれた名古屋のセミナー、熊野で開かれた初めての白河伊都子先生のセミナーも一緒に行きました。自分が、伸ちゃんに、「今度、こんなとこ行くんや…」と話したら、早々に先生達の本を見つけて買って持って読んでおり、「わしも、一緒に行くわ。」と決まって、電話が掛かってきました。

 

 人一倍健康には、氣をつけており、日頃からトレーニングや山歩き、我々、カヌーのメンバーでは、一番、長生きすると思っておりました。自分を、本当にかわいがってくれ、アマチュア無線の免許、船の免許も一緒に取り、ダイビングもバディの仲です。ラフティングで初めて下った北山川の音乗からの激流下りも一緒に下りました。また、自分のまわりで唯一、パラグライダーで空も飛んでおりました。あたたかい夏は、ウインドサーフィンや林道をオフロードバイクで果敢に攻め、素潜りしたり秋は、松茸取りそれも断崖絶壁を上ったりロープで下りてなど、冬は、スキーと、熊野の山々をはじめ熊野の自然を知り尽くし、休みがとれれば遠くは、日本全国の山々への登山、縦走、四国では、大歩危、小歩危のラフティングと…ですから弔辞で勤務先の新宮市長が語りかけておりました。役所では、「スーパーマン」と呼ばれていたそうです。

 

そんな伸ちゃんでしたが、、昨年、7月31日が終わろうとする、午前零時前に新宮地方に警報が発令されたため災害出動しその出動先で倒れ、日付がかわった8月1日の午前2時頃発見され、緊急搬送されるも、4時過ぎ54歳で永眠致しました。

 

新宮市長が「これからの新宮市の発展の為になくてはならない人を亡くし、言葉では、言い表わすことができません。あなたを突然失い、役所の全ての者が、今、深い悲しみにおります。本当に悔しいです。」と涙声で弔辞を読んで下さいました。

 

自分達、熊野川カヌークラブのメンバーも本当に悔しいです。今も、ここへは、よく土曜日にみえてくれていたので、ひょっこり、入ってくる氣がしてなりません。今でも、信じられません。パソコンに今も残る、メールの数々、写真、携帯に残るメールまだ、消せません。白河先生に教えてもらいましたが、亡くなった方の写真は、これは、という物を残し後は、滅する方がいいそうです。なんでも、あちらで落ち着かないそうで、ですから、写真は、迷いましたが、皆様に報告という事で、載せました。期限(3ヶ月)を切って写真は、将来下ろします。

 

では、伸ちゃん、本当にお世話になりました。心から感謝してます。伸ちゃん、ありがとう。また、いつの日か、あちらで、会おう…。

 

追伸:24年8月3日 お約束通りに画像は下ろします。

 

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