おはようございます。いつも、皆様、たいへんお世話になり、ありがとうございます。
このぶろぐは、アクセス解析が付いているのですが、故忍田 光先生のことを検索
されて、このぶろぐに来られる方がじつに多いようです。
小林正観さんによると、人間は、2度の死を迎えるそうです。一つ目は、肉体の死で
す。また、もう一つは、人々から忘れられて迎える死だそうです。つまり、835年に入
定して亡くなられた弘法大師様は、2度目の死は迎えていないという事になるそうです
また、もちろん一般の方々でも故人を知る人間が、ひとりでもこの世にいっらっしゃっ
る限り、この2度目の死は迎えないそうです。
弘祥と忍田 光先生は誕生日が、1日違いでしたので、忍田 光先生が存命の頃
は、今日1月27日は、毎年お元氣な声をお聞きしておりました。
そこで、今日は、先生と親しくさせていただいた10年間を越えるおつきあいの中で、
見聞きした数々の奇跡から一つの思い出をお伝えして、先生を偲びたいと思いま
す。
それは、平成10年3月29日の日曜日東京の丸の内のパレスホテルで「忍田先生を
祝う会」が盛大に開催され弘祥も出席いたしました。
それは、平成9年の秋の叙勲で勲五等瑞宝章を授与され、さらにたま出版より先生
の3番目の著書の出版、さらに喜寿を迎えられ御慶事が重なったこの機会に、皆様
方と共に忍田先生を祝うというものでした。会場前の広い広い廊下では、忍田 光先
生と記念撮影する来場者が一杯おられました。また、よくおみかけする女優さんや芸
能人やプロスポーツ選手が、氣軽に皆様からのリクエストで写真に収まっておりまし
た。会場入りする時間になり、自分の卓にまいりました。あまりの人数に開宴時間を
10分経ってもまだ、入場出来ない方がおられるようでした。
当時は、弘祥は、目が良かったのですが、一番端の方のお顔はわからないくらい、
あちこちからかけつけた皆様で一杯でした。この時のことが、載っている出版雑誌が
あるのですが、弘祥の手元の「ビィ・オール 65号」のその記事の中にも「会場が…
広い。広すぎる。端と端の人の顔同志は、多分視力3.0くらいなければ確認できな
いだろう。」とあります。
会場入りしてあたりを見渡すとよく、先ほどの女優さんの他の女優さんや芸能人、国
会議員さんや会社の社長さんまた、プロスポーツ選手とそれぞれの卓にお着きでし
た。どうやら、グループに分けられているようでした。そして、「自分たちの卓はどんな
卓かな?」と思っていましたら、全員揃ったということで、その卓で、だれかれとなく名
刺交換のあいさつがはじまりました。名刺を交換してわかりました。
弘祥のようなセラピストの方、氣功を研究している京都の研究所の所長、筑波
からは、当時有名な研究で知られた先生がヨーロッパに学会で留守のため、代理で
おみえになったという研究員とういうように人体を、特に氣と造詣の深い人々でした
。
時間を過ぎて開宴になり総合司会は、有名な元アナウンサーの中井美穂氏でし
た。
最初にお祝いの言葉があり、先生ご夫妻に故深野一幸氏オーラアート画家の龍
敬子氏、また患者様の代表で車いすの男性と白鶴の大きな樽の鏡開きがありまし
た。
それから、また、皆様の体験談やお祝いの言葉、歌があり、踊りがありじつに
忍田 光先生ご夫妻をはじめ集まった皆様、楽しいお時間を過ごしているようでした
。
そして、このとき一つの奇跡を見たのでした。会場の(横か後ろ?)大きな扉
が開き子供さんを抱いた男性が、それぞれ入ってまいりました。司会の中井氏から、
ご紹介がはじまりました。昨年10月(当時ですので平成9年の10月)「皆様から
向かって○側の○○○ちゃんは、2歳の女の子で、部屋で遊んでいて、誤ってころび
ガラステーブルの角に運悪く後頭部を強打して、意識不明の重体に、瞳孔もすでに
開いた状態でした。おとうさんは、警察官をされていたため我が子を抱いた時に、後
頭部から出る出血の血糊とチアノーゼの顔を見て、お父さんをはじめその場にいる
誰もが「もうダメかも知れない。」と思いました。その時、お母さんが、一縷の望みをも
って忍田 光先生に緊急のヒーリングを依頼されました。そして、その電話が終わる
や否やそれまで意識不明だった女の子が突然泣き出して、意識を取り戻して元氣に
なられました。」と
また、不思議なのですが同じ時期に今度は○県でこんなことがありました。と紹介が
はじまりました。
「また、もうひとかた皆様から向かって○側の○○ちゃんも、2歳の女の子で
、2段ベッドから後ろ向きに落ちて、頭を強打して、瞳孔が開きチアノーゼを起こして
おりました。ひじょうに重篤で危険な状態でした。
祖母様が先生のことをご存じで、緊急のヒーリングの依頼の電話をかけました
。やはり、電話をかけ終えた時に、意識を取り戻しました。」
今日お二人は、すっかりお元氣になられ、大好きなお父さんに抱かれて一緒に
お祝に駆けつけてくれました。」とのご紹介でした。
そして、お嬢様を抱かれたお父さんは、卓と卓の間をゆっくり歩かれ、皆様ご
婦人達は、お嬢さんの頭を撫でながら「良かったね」。「本当に良かったね。」「奇
跡ですね」「こんな近くで奇跡をみせていただき、ありがとうございます。」ある人は、
お父さんの手を握り感無量でことがが出ず、震えている方と我が孫、我が娘、我が
子がごとく声をかけておりました。ほとんどの女性が、ハンカチで涙を拭いておりまし
た。
そして、自分の卓の所へは、ガラステーブルにぶつけられらたお子さんが来て
くれました。お嬢さんを抱いたお父さんの目も真っ赤でした。自分たちもそれぞれの
ことばをかけておりましたら、同席の先生がお父さんにお願いされました。「お父さ
ん、わたしも治療をさせていただいてるものです。よろしかったら、お嬢さんのけがし
た所をぜひ、見せてもらえないか?」というようなことを方言の混じったことばで伝え
ました。すると、お父さんは「はい、いいですよ。どうぞ、どうぞ、見てやって下さい。」
ということでお嬢さんのうなじを急いで掻き上げられました。
席に戻りかけた他の先生や隣の卓からも見に来られました。弘祥もしっかり見
ました。
ちょうど、盆の窪に十字のような傷が残っておりました。その時、お父さんは
「忍田先生からは、ものごころ付く頃には、わからなくなるんじゃないの」と聞いており
ます。と話してくれたのでした。そして、卓と卓の間をゆっくり歩を進められて先生
のところに着いたお父さんに抱かれた二人に、先生は、本当にうれしそうにニコニコ
していたのを思い出します。
現代医学的に言っても、瞳孔が開き、チアノーゼを起こし、意識不明の重体の
状態が、緊急の遠隔ヒーリングの電話を終えると同時に意識を取り戻すということ。
それも、同時期に同じ2歳の女の子が、同じように回復して、元氣に抱かれているの
を目の当たりにして、忍田 光先生のヒーリングというもの、人の治癒力を深く考えさ
せられたのでした。
以上が、この日、見させていただいた一つの奇跡です。
白河伊都子先生からも「忍田先生のお力は、すごかったのですね。」「この世
にいらっしゃる間に、ぜひお会いしたかった方でした。」とお手紙もいただきました。
また、白河先生から、「故人とは、思えばすぐつながる。」とお聞きしました
。忍田 光先生とこの世で、お会い出来た皆様、残念ながらお会い出来なかった皆
様も、先生を思えばつながるそうです。自分も診療の白衣には、先生と一緒に写した
写真を入れております。
以上、在りし日の故忍田 光先生を、偲んで記事にしてみました。
忍田 光先生、ありがとうございました。合掌。
長文を読んで頂き、ありがとうございました。感謝。