昨年の台風12号による豪雨による紀伊半島大水害から今日で、ちょうどまる1年経った。
通常1年間で降る雨の3分の2がほんの短期間で降るという未曾有の大水害で、自分の住む紀宝町でもお一人の方が亡くなられ、今、なお、お一人の方が行方不明だ。
和歌山県新宮市でも13人が亡くなり、お一人の方が行方不明、また、和歌山県那智勝浦町でも28人の方が犠牲になられ、お一人の方が行方不明です。
12時過ぎ、広報きほうの放送があり、放送の後、サイレンと同時に町内の人達がさまざまな場所で黙祷をした。自分も診療を終えていたので、診療室で今回の紀伊半島の大水害で亡くなられた全ての方のご冥福をお祈りした。
13時には、対岸の和歌山県新宮市からもサイレンが、かすかに聞こえてきた。
すると、不思議な事が起こりました。そのかすかに届いた新宮のサイレンが鳴り止んでからものの10分もせぬうちに青空の中で雷が、突然鳴り出してにわかに灰色の空になり雨が降り出した。時折、その雷雨は、はげしく降った。
自分には、まるで、犠牲になられた皆様、御遺族の皆様をなぐさめるために熊野の神々が降らせているように感じました。
昨年、地区の防災の責任者として、防災の皆様方と熊野川を見に行ったり地区をまわったりしてから町の福祉センターに詰めてテレビを見ていた。以前、患者様として診させてもらった方の名前が、突然テロップで流れた。
驚いてすぐ、廊下に出て友人に携帯で連絡を取った。やはり流されたのは、間違いでなかった。
後日、御遺体が見つかり、最後のごあいさつをしてきたと友人に聞いた。
熊野をこよなく愛し、土地の人達からも頼りにされていた方のあまりにも早い突然の死だった。
この災害で亡くなられた方々が安らかに眠っていただけるよう、これからりっぱに熊野の復興を成し遂げなくてはと思う。また、この未曾有の被害も後世に伝えていかなければならないと思う。
自分も微力ですが、やって行きたいと思っています。
災害後ボランティアで避難所をまわらせてもらった時やその後診療時に聞いたことなどまた、後に書いてみたいと思います。
下記は資料として置きます。
広報きほう10月 台風災害臨時号がご覧いただけます。
http://www.town.kiho.lg.jp/life/pdf/kiho1110.pdf
広報きほう12月号 台風12号の教訓を生かすため 後世へとつなぐ記録
特に9ページと11ページに災害前と災害後を対比する写真があってわかりやすいと思う
http://www.town.kiho.lg.jp/life/pdf/kiho1112.pdf
和歌山県新宮市が作った災害発生から100日間の記録
http://www.city.shingu.lg.jp/div/bousai/htm/suigai/pageview/pageview.html#page_num=1