お燈まつり・お灯まつり  「おとう」に上ってきました。その4

カメラがないので、ことばで引き続き表現してみます。

途中の何軒かで、おみきと白いものをいただきながら、引本君のアートラジオ商会のお店に戻りました。そして、動画の後編にありますように、お盆に載った、白ご飯に、たくあん、塩を振って豆腐をいただき、おみきも、いただきました。

 

 

                   

 

草鞋や縄や装束の点検をすませ、草鞋を直したり、自分は衣装の手っ甲を直したりしました。上でのどが渇いたら とペットボトルの水もいただきました。時間になり、おもての通りに四人で出て、ここで家族の皆さんから塩でお清めを受けました。

 

「それじゃ、ぼちぼち行こら…。」 となりまして、

 

家族の皆様に  「行ってきます」 とあいさつして

 

次の熊野比丘尼の尼寺であった妙心寺に向かいます。

引本君と寺門さんは、中の地蔵で迎え火を待って、「上り竜」をするということで、途中で分かれて、村上さんと二人で向かいました。

★上り竜…今回初めて、おとうに上って知りました。下り竜に対して、中の地蔵で待機して大松明の御神火の迎え火を待って、そこで松明に火をもらい山頂の上り子に火を届けるために上がることを言うそうです。火の帯が上に上がる様を表現しています。

 

 

自分たち二人は、見物人の方々の間をぬけて川沿いの妙心寺に向かう途中で、本当にたくさんの上り子と、あいさつをかわします。

 

はいぃー、 たのむでぇ、 (ガン)、 たのむでぇ

、 たのむでぇ、 (ガツン) たのむでぇ

  

たのむでぇ、(ガッチーン) たのむでぇ、 たのむでぇ、 (ガツン) はいぃー、 たのむでぇ

たのむでぇ、 (ゴン) たのむでぇ、 はいぃー、 たのむでぇ、 (ゴン)、 たのむでぇ

  

たのむでぇ、(カン) たのむでぇ、  たのむでぇ、 はいぃー、 (ゴン) たのむでぇ

 

妙心寺が一番、たくさんの上り子でにっちもさっちもならない様な状態でした。また、一つお賽銭を松明から引きちぎり、お参りします。ここは、お祭りしている灯明以外ないので、月明かりだけで本当に暗いです。ここで、一番たくさん聞いたかも知れません。

 

ごめんやでぇ、 子どもおるでぇ、 たのむでぇ、

 

  すまんよぉ、 子どもやでぇ、 氣ぃつけぇたってぇよぉ

 

妙心寺の境内を出てすぐの小さな小さな橋を渡り、川沿いを太鼓橋に向かって戻ってきます。これから妙心寺にお参りになる上り子とたくさんすれ違います。

 

 

はいぃー、 たのむでぇ、 (ガチン) たのむでぇ、 たのむでぇ、 (ゴン) たのむでぇ

  

たのむでぇ、 (ガン) 、 たのむでぇ、 たのむでぇ、 はいぃー、 (ガツン) たのむでぇ

たのむでぇ、 (ゴン) 、 たのむでぇはいぃー、 たのむでぇ、 (カチン) たのむでぇ

  

たのむでぇ、 (ガチン) たのむでぇ、   たのむでぇ、(ガーン) たのむでぇ

 

そして、いよいよ神倉山に登るため太鼓橋を渡りました。境内を進み、大鳥居の手前のところで源頼朝公が御寄進の538段の鎌倉積みの石段を見上げました。このような急峻な石段を、「手首を立てたるがごとし」と表現するそうです。(実際、観光客の方で上ったはいいけど、いざ、上から降りる時にあまりの急峻な石段を見て目がくらみ、後ろ向きにゆっくり一歩一歩お尻から後ろを振り返りながら降りてくる方もいらっしゃいます。)

 

そうです。そこは、ほんとうにたくさんの上り子でうめつくされておりました。石段を白、白、白が石段に張り付いて、ゆっくり上がっていくのを見て…。

 

「うわぁ、 これは… 。」

 

としばし自分も絶句。そうしたら、村上さんが、「これじゃ、上の神社にはお参り出来ないと思うので、下のお賽銭箱に入れていきましょう。」 と

そして、いつもは、大鳥居の真下に鎮座するお賽銭箱をさがしはじめたら、

 

「な、なんじゃ、こ…これは、 」

 

「ええっ、 ほんまかぁ 、」

 

「えらいこっちゃぁ-」

 

「どんだけ、 のぼるんや、 今日は ええっ」

 

とみんなの大きな声が口々に聞こえてきました。

 

「これは下で、 参っとこうやぁ。」

 

後ろを振り返りながら 「おーい、 賽銭は下で行くでぇ !」

 

と呼びかける人などもたくさん見ました。

賽銭箱をさがすために、村上さんに続いて二人で、石段横の左手の林に入っていくと、

後から一緒について入ってきた人が、消防団の方に大声で

 

すまんよ、 そこらへんに お賽銭箱ないかぁーぇ 

 

えっ、 賽銭箱ぇ 

 

と言いながら消防団の方が強力な懐中電灯をつけて照らしてくれた先に、お賽銭箱が避難してあるのを見つけました。やっと見つけた賽銭箱に、松明から四つ目の最後のお賽銭を引きちぎりお参りしました。林の中から戻る時には、たくさんの上り子とすれ違いました。みなさん同じ考えのようです。

石段の所に戻り、上りはじめました。神倉山に過去何十回と上りましたが、幸い弘祥は、足腰が丈夫で高校の時からほとんど、一つ飛ばしの飛び石で上っていたんです。もちろん、飛び石で上れない一段と一段がかなり高いところも所々にありますが…。ただ、慣れていないとこれは、危険です。後ろにからだが傾いたりするとたいへん危険ですので…。

この日は、今まで、こんな遅く上がったことはないゆっくりした上りです。後編の動画にもありますように、蟻の熊野詣でではないですが、一段上がって、ほんの少し間があって、また、一段上がってとゆっくり上がります。たくさんの上り子の大きな声が石段に響きます。

 

わっしょい、 わっしょい、 わっしょい、 わっしょい、

  

      わっしょい、 わっしょい、 わっしょい、 わっしょい、

 

   わっしょい、 わっしょい、 わっしょい、 わっしょい、

      

  わっしょい、 わっしょい、 わっしょい、 わっしょい、

 

そんな時です。途中、左足に衝撃を受けて石段から後ろにあやうく行きかけました。本当に危なかったです。月明かりでよく見ると、上り子の一人が、足を踏み外したのか自分の足にひかかっておりました。だいぶ、おみきをいただいたみたいでふらふらしておりました。すぐ、前の上の段からその方の連れの方が下りてこられ、ひきあげてくれたので、その方の体から自分の足を抜いて、また、ゆっくり一段、一段上ります。

やっとのことで、中の地蔵に到着しました。 上り子の中には、ここでいったん一度休憩する人たちも多いそうです。 とそこへと大きな声が聞こえてきました。

 

はいー、 ここは、 もういっぱいやでぇー、

 

このまま 上まで  行ったてぇーよ、

 

村上さんと顔を見合わすと、村上さんが「このまま、上まで行きましょう。」と

それで、ゆっくりゆっくり一段一段また、上りました。

 

わっしょい、 わっしょい、 わっしょい、 わっしょい、

      

      わっしょい、 わっしょい、 わっしょい、 わっしょい、

 

 中の地蔵を過ぎると石段が少し細くなりますが、傾斜が少しずつゆるやかになってきます。本当にゆっくりゆっくり上りました。時間もかなりかかったと思います。やっとのこと、上の鳥居をくぐり門の中へ入りました。

入ってびっくりです。すごいひと、ひと、ひとで、、どこの岩肌も上り子の白装束でうめつくされておりました。 岩肌の前の通路を進みながら横を見るのですが、急な斜面にも上り子がおりました。中には、「にいちゃん、ごめんやでぇ」と割って入り岩肌を登る人もおりましたが、自分らは、そのまま、横を見ながら村上さんと「ここもだめ」 と、また、横を見ながら前の道をすすみ、とうとう月明かりに浮かぶごとびき岩を見上げる神倉神社の社の下の石段の前に来ました。

 

 すみません、また、つづきます

 

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お燈まつり・お灯まつり  「おとう」に上ってきました。その3

 では、自分はカメラを持ち合わせておりませんでしたので、ことばだけで表現してみることにします。

まず、4人で向かったのは、阿須賀神社です。雪がちらつく中を歩いて行くと、方々より上り子が大きな道に集まって来ます。みんな、同じ所をめざしております。おあすかさんが、近づくにつれ参拝を終えた上り子が向こうからやって来ました。

たのむでぇ、 たのむでぇ、 たのむでぇ、 たのむでぇ

と お互いの松明と松明を合わせて、カツン、 ガツン、 ゴン とあいさつを交わします。

ちいちゃな子供さんも、松明を両手でしっかり持って大人の松明に合わせてきます。こちらも、背を低くくして小さな松明を受けます。

すこし高めの力一杯の大きな声が聞こえてきます。 たのむでぇ 

おあすかさんの前の道に来て、びっくりしました。見たこともない量のたいまつのさきについている花(かんなで一枚一枚丁寧に削ってつくったもの)が落ちていたのです。あちこちから、聞こえてきました。

 

なんじゃぁ、 こりゃぁ、 すごいでぇ、

 

こんなに、 花落ちてるの 初めて見るぞぉ。

 

すごい量やでぇ。 はよ、神倉山上らな、

 

こりゃぁ、 門の中へ入れんでぇ。 と すると、ある人は

 

門の中とゆうより、山へ上れんなったら困るでぇ。

 

はよ、行くでぇ。 はよ、行こら。 はよ、行こら。

 

と…

 

 

自分たちは、鳥居をくぐっておあすかさんで、松明にくくりつけているお賽銭をひきちぎり、お参りしていきます。あまりの上り子の数で、お賽銭箱に行くのをあきらめて少し遠目から和紙で包んだお賽銭を投げ入れる上り子さんもたくさんおりました。

お参りが終わると、装束の背中におあすかさんの御朱印を押してくれました。

押すと同時に、よっしゃぁ、はいよぉ、 氣ーつけてぇ、行っといでぇ と氣合いを入れてくれました。

その後、生姜入りのおいしい甘酒を、いただきおあすかさんを後にしました。

今度は、熊野三山の一つ、速玉大社に参拝です。

たのむでぇ、 はいぃーたのむでぇ、たのむでぇ、 たのむでぇ

  たのむでぇ、 たのむでぇ、たのむでぇはいぃー、たのむでぇ

若者の中には、もうすでに花のなくなった松明を持つ者も多くおりました。

途中の沿道で、なじみのお店などから、白い物と一緒にお酒をいただいて行きます。

自分たちが、速玉さんの鳥居をくぐって境内に入っていくと、何とも言えないたくさんのホラ貝の音が聞こえてきました。修験者を先頭に、神職、、介釈棒をそれぞれ持った介釈の方々に守られて、宮司が古式にのっとり火打ち石でつける御神火をいただく迎え火用の大松明も、我々とすれ違いました。(動画でご覧になれます。)

速玉さんは、普段はお賽銭の所は、広いんです。ですが、見たこともない上り子でひしめきあっておりました。たくさんの上り子が、おあすかさんと同じようにお賽銭を投げ入れておりました。お賽銭箱は、入りきらない和紙の包みで一杯でした。そんな時聞こえてきました。

はぁいー、こどもやでぇ、子どもおるでぇ、たのむでぇ、

氣ぃつけぇたってぇよぉ、通したってぇーよぉ、

みんな一斉に、声の方を振り返り、その子達を守るように、あいだを空けているのを何度も見かけました。

そして、必ずまた、別の人がそれぞれに大きな声を出して、順繰りに声を出していくんです。

今から、 そっちぃ、 子ども、 行くでぇ、 たのむでぇ

        おーい、 今、 そっちぃ 子ども、 行ったでぇ、

あいだを空けると、お父さんがありがとうというように、何度も会釈をしながら抱っこしたお子さんを連れて…、また、幼稚園児くらいでしょうか?それくらいのお子さんたちが、自分たちの前を通って行きました。

 なんともほほえましい感じがしました。上り子みんなで、子どもを守っているんです。

速玉大社から、別当屋敷を通って国道筋に出て行きました。

はいぃー、たのむでぇ、 カツン たのむでぇ、たのむでぇ、 カン たのむでぇ

  たのむでぇ、 たのむでぇ、 ゴン、 たのむでぇ、はいぃー、たのむでぇ

 

速玉さんの参拝の後、引本君のお店にいったん戻りました。たくさんの上り子とあいさつを交わし自分の松明の花も全て松明から取れて手にその一部が残っておりました。

 

               

 

 

    また、つづきますが、寺門さん撮影の動画の後編置きます。

 

 

新宮市?お燈まつり(後編)

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お燈まつり・お灯まつり  「おとう」に上ってきました。その2

 では、前回のつづきです。

次に、患者様達が教えてくれたのは、草鞋(わらじ)です。「草鞋は、買ってきたら一日水につけて下さいね。そして、次の日乾くまで干して下さい。」と そうしたら、一緒に上る事になった患者様の村上さんの奥様が、「水につけるバケツも新しいのを用意した方がいいですよ。 」と 「うちも初めて、上る時に、隣のおばさんが、教えてくれたんです。」と 。弘祥ももちろんそうしようと思っておりました。父が林業の仕事に就いておりましたので、よくお榊やびしゃこなどを山から取って来て水につけておりましたが、そのバケツには「上用」「神様用」などと書いていたからでした。

「松明(たいまつ)も、身長に合わせて買うんですよ。」と 教えてもいただきました。

患者様の村上さんと一緒に上ることに決めまして、ここのぶろぐにも書いている熊野川カヌーマラソン実行委員長で、現在家業の電氣店と気象予報士また、ラジオ和歌山の新宮支局でパーソナリティとして放送を担当また、その他にもいろんなわらじを何足も履く大活躍をしております引本君に一つ聞きたい事があり、連絡を取りました。彼は、新宮市内でも神倉山の入り口に近いふもとで、国道沿いにその電気店のお店があります。現在までおとうには、38回上っているそうです。それで、今回の初上りを伝えたら、「装束良かったら、着せたるでぇ。来るかぁーん」と声をかけていただきまして、当日の4時に村上さん共々伺う約束をしました。

本当に不思議なのですが、診療に次々に来る人来る人がいろいろと教えて下さいまして、午前中の診療を終えてすぐに車を走らせて、装束は、村上さんは、持っておりましたので自分だけ患者さま方に教えてもらった松田仕立屋さんで、2組の草鞋と荒縄は、国道沿いの山口青果店さんで、2本の特大というサイズの松明は、松明作りで有名な上道益大氏のところで買い求めました。

後日、村上さんの奥様が診療に来られた時、「買ってきたものをお渡ししましょうか」と、お話ししますと「主人は、明日休みなので、自分で取りに来る」と言うてるんで、「このままここに置いておいて下さい。」「女人禁制のまつりでしょう、やっぱり。洗濯やアイロンなどは、かけますよ。白装束の着付けも、男の人だけでしますものね。 」と…なるほど、そうです。そうなんだと思いました。

 

次の日、午前中にご主人がお見えになられお持ち帰りになりました。その後、また、奥様から電話をいただき、草鞋は、白足袋を履いて履くのですが、足の親指と人差し指の間がくい込んで痛くなるという事で、いいものがあると5本指の靴下を教えていただいたんで「今から、主人が買いに行きますが、先生も買われますか?」と電話をいただきましてお願いしました。なんでも、これを履いて、白足袋を履くと「痛くならずにいいよ。」と近所の方に聞いたそうです。

 

 

買い求めた五角錐の松明の一つの面に奉納や奉と書きます。他の4面に、祈願を書きます。自分は、「家内安全」と「世界平和」と「日本隆盛」と「病氣平癒」と書きました。病氣平癒は、自分が現在診させていただいている全ての患者様のお体が良い方に向かっていただければとの思いからです。弘祥は健康そのものですので(^_^)。松明には、和紙などにお賽銭を包み込んで、赤や白、金や銀の水引でくくりつけてぶらさげます。お参りにあわせて4つぶらさげるのです。

下の写真が当日我が家にあった用意した一式です。白装束の上と下、頭と首をやけどから守ってくれるフードみたいなもの、松明、荒縄、草鞋、白足袋、さらし、5本指の靴下、白手袋など、

 

        

 

おとうの日は、祈願者として上る上り子は、白いものしか食しません。(昔は、一週間前よりそうしたそうです。)

 

朝食です。白ご飯に、かぶを細かく切ってあえております。しらすに大根おろし。白豆。です。

 

       

 

 

お昼は、こんな感じです。白ご飯におとうふに山芋をかけて塩とお酢で味付け。白いはんぺん。白いたくあん。写真を取り忘れましたが、白いお餅を砂糖で食べました。

 

       

 

土曜日の診療を終えて、上のような食事を取ってから、自分の場合は、お風呂場で行水して、白い下着を身につけ、上に白いものを重ね着して、一式を持って、村上さんのお宅にお迎えに行きそこで、カイロを背中と腰に貼って白装束だけ身につけました。娘さんが、塩味のおにぎりを作ってくれていただきました。時間になり、約束の電氣店にむかいました。

着くとすぐに引本君から今日一緒に上るwbs和歌山放送のアナウンサーの寺門さんを紹介いただき初対面のあいさつをしました。順番に引本君のお父さんの啓五氏に荒縄を巻いていただjきました。荒縄は、七回、五回、三回と奇数回巻きます。自分の場合は、七回巻いて下さいました。草鞋の履き方も教わりました。一番下は、寺門さんが撮られた動画の画像です。

みんなが、それぞれ用意できてからおみきを頂きまして、雪のちらつく中お店の前で記念撮影をしました。

いよいよ出発です。

 

             

 

    つづきます。

 

 

 新宮市?お燈まつり(前編)

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お燈まつり・お灯まつり  「おとう」に上ってきました。その1

 弘祥も新宮の生まれです。ですが現在、この歳までお燈まつり・お灯祭りに上ったことは、ありませんでした。もっぱら、翌日の7日に毎年毎年たくさんの方の手当をしてまいりました。

おとうは、今から1435年前の西暦574年正月二日に神倉山が光を放ち、翌年正月六日夜、神倉火祭り始まると記される程歴史のある女人禁制のお祭りです。

ですが、このお祭りには、男と女の役割分担があるのです。神倉山に上るのは、男の役目と言うことです。

地元では、書き表すとお燈まつりまた、お灯まつりとも表現するのですが、呼び名は、ここ熊野の地元では「おとう」と呼んでいます。「おとう」へ上ると言うと、このまつりに参加することをさします。

神倉山は、自分も高校の時のクラブ活動でよく上ったり、下りたりを繰り返してトレーニングでよく行っていました。また、成人してからは、熊野を訪れた友人や同僚の先生や日本ダウザー協会の堤裕司会長や故忍田 光先生、引き受け氣功の藤谷康允先生その他たくさんのお客様をお連れしてのぼることはよくありました。

神霊に詳しい知人が話されていたのですが、この「おとう」には、のぼれる時(上らしていただける時)が、あるそうです。自分の父は、その昔50年余り前の若い頃に一度上ろうとして、松明や白装束、荒縄など全て用意万端整えていたそうです。ところが迎えた2月6日の祭り当日に、まったく前の日までピンピンだったにもかかわらず、原因不明の40度を超す熱が急に出たそうです。それで、周りのみんなが必死に父が上るのを止めたそうです。当時のおとうは、お店なども早くに閉めるくらいに荒れてけんかの絶えない祭りだったと聞いたことがあります。父の若い頃の写真からして、上っておれば、たいへんなことになったのでは、ないかと思います。そして、父はそれ以後上っておりません。

 自分は、学校を出て、東洋医学や鍼灸、整骨、氣功などの修行を終えて開業するため、熊野に帰って来た時、おとうに上ろうとしたことがあったのですが、自分の場合もある先生から、「自分(あなた)はね、時期が来たら上れるから、それまで待つ方が良い。どうして、? と思うやけど、それも時期が来たらわかるやろうからな。それまで…」と言われておりました。このことについては、また、先の機会に書いてみたいと思います。

 そして、その時期が昨年の11月くらいにやってきました。早速、11月の23日にあった鵜殿神社の例祭で、はじめて御神輿を担がさせていただきました。

 2010年の年が明けた時、おとうに今年こそは、上りたいと思っていましたら、患者さま方が、色々と教えてくれたのでした。それも、本当に不思議なくらい、「あれは?」「これは?」と思っていると、その時その時におみえになった患者さまが、診療の時に答えを教えてくれたのでした。

そのうち、子供が小学生の時に一緒に上っていたが、中学生になって武道の仲間達と上るようになり、5年程上っていらっしゃらなかった当院の患者さまであるご主人のお話しをその奥様が診療におみえになった際に、お話しをしていただきました。詳しく伺がっていたら、主人が「今年は、ひとりでも上ろうかな。」とお話しされていると聞きました。それで、「自分で良ければ、一緒に上りますが、ただ、自分は、初めてなので、連れて行ってもらってもいいですか?」と伝えました。そして、一緒に連れて行っていただけることになりました。 

おとうに初上りを決めまして、患者さま方から教えてもらったお店で白装束を買い求めよう、荒縄と草鞋(わらじ)を買い求めよう、松明(たいまつ)も用意することにしようと決めました。すると、白装束も、「先生、装束買っって来たら一度洗濯を忘れないようにね、でないと装束燃えやすいからね。あちこち焼けて穴あくからね、だから、洗濯を忘れないようにして下さいね。昔、うちの主人が初めて上った時、そんなこと知らないで洗濯せずに上ったら、山から下りてきてびっくりしましたよ。背中一面なくて次の年のお灯の時に新しい装束を買い直したんですよ。」とこれも患者さまが、教えてくれたのでした。

(つづく)

 

 

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今日、6日は、お燈(とう)祭りです。

 本日6日は、熊野に春を呼ぶ祭りと言われる、お燈(とう)祭りが、熊野新宮の神倉山の頂上の熊野速玉大社の摂社である神倉神社であります。

 江原啓之氏が、ここが熊野の元であると、修検道の開祖である役小角(えんのおづの、えんのおづぬ、えんのおつの)=役行者(えんのぎょうじゃ)の声を聞いたところとして、有名になったところです。

 はじめて訪れた人は圧倒される538段の源頼朝公御寄進のおよそ40°の急峻な石段を上り終わった神倉山の山頂で行われる神事です。上り子(のぼりこ)という祈願者は、白装束を身につけ、荒縄を腹に3回か5回か7回のいずれも奇数回まいて男結びでしばりあげます。装束の着付けも全て男がします。足下は、白足袋を履いて、草鞋(わらじ)です。そして、かんなで1枚1枚丁寧に削ってこしらえた、花(はな)というものがついた五角形のたいまつ(松明)を持ちます。JR新宮駅には、この上り子の親子のブロンズ像が建っております。昔は1週間前より白いもの以外食べませんでした。現在は、その日当日が多いようです。子供達も、パンの耳を取って、カルピスや牛乳など、大人は白ご飯にシラスをかけたり、白いかまぼこ、白い豆腐、白いはんぺん、白いたくあん、ご飯に塩をかけたおにぎり、白いイカ、など白いものしか食しません。現在高校生を持つお母さんから聞きましたが、子供が小学生の時は、じゃがいも、たまねぎ、マカロニ入りのクリームシチューを作ったそうです。着付けが終わると、新宮市内の阿須賀神社、熊野速玉大社、元熊野比丘尼のお寺だった妙心寺、と順番にお参りをして行くのです。用意が整った者から、最初に目指す阿須賀神社(おあすかさん)に向けて新宮の町中から、同じ白装束を身につけ、手にたいまつを持つ上り子が新宮の町の至る所を歩きはじめます。歩き始めると新宮の町中の至る所に、たいまつの花があちこちに落ちています。それを、見て「お燈や」と思う人も多いようです。上り子と上り子が行き交う時は、互いに「頼むでぇー」「頼むでぇー」とあいさつを交わして、たがいのたいまつを「ガツン」、「ゴン」と当てます。おあすかさんの後は、熊野速玉大社(はやたまさん)、妙心寺とお参りしていきます。上り子が持つたいまつは、五角形をしていて、一つの面には奉納と書いております。他の4面には、それぞれの祈願を書いております。持ち手の所には、氏名、生年月日また、住所を墨字で書いております。また、松明には、お賽銭を和紙でくるみ赤と白の水引でしばりあげて、4つの面の4カ所にくくりつけてぶらさげております。そのお賽銭をひとつづつ、ちぎってこの3カ所をお参りしていきます。その後、いよいよ神倉山の山頂の神社を目指して、538段をかけ声と共に上ってまいります。そして、最後に4カ所目の山頂の神倉神社にちぎったお賽銭を入れてお参りします。山門から一番奥の神社のあたりは、小さい子を連れた人達の場所です。また、山門近くは、若者を中心として一番最初に下ろうとする人たちが、ひしめきあっています。上り子は、7時までに入山をおえないといけません。入山の締め切りの後、伝統の神事が熊野速玉大社の宮司の手で山頂で行われ御神火が灯され、大きな松明(迎え火)にその火を分けた後、迎え火の大松明は、山頂から少し中腹に下りた中の地蔵まで、この祭りになくてはならない介釈達に前後左右を守られて降りて、神事が行われます。その後、この迎え火から上り子の代表の松明に火が分けられます。そして、山頂に戻り、そこで待つ上り子の松明にどんどん分けられて行きます。ちょうど、弘祥の新宮の川向こうの三重県にある実家でも見ることができました。山がたいそう明るくなり、上り子の人々のどよめきが川向こうまで聞こえてきます。全員の松明に火が点いてから、上り子は、しばらくの間、炎の熱さと煙でいぶされ続けます。介釈達のご奉仕で全ての上り子を山門の中に入れ一度山門が閉じられさらに炎の熱さと煙でいぶされます。8時に山門が開け放たれ、その火の点いた、たいまつを持つ上り子は、われ先へわれ先へと駆け下ります。そして、無事山を下りて、ふもとで帰りを待つ女性達の元に、御神火を持って帰るのです。そして、1年その燃えて小さくなったたいまつを神棚などにお奉りしていきます。

新宮節にも「山は火の滝、下り竜」と歌われる、女人禁制の1400年続く火祭りの神事です。

この、祭りが終わると、いよいよ熊野に暖かい春がやってきます。

今年は、土曜日なので上り子も多いと言われています。どうぞ、お祭りにおみえになられる皆様、事故の内容お祈り申し上げます。

患者さまが、前に上った時に書いた記事です。御了解をいただいておりましたのでここに置きました。よろしければ、見てみて下さい。

 

また、昨年2009年に上り子としてお燈祭りに参加された熊野信仰の御縁で新宮市と姉妹都市となりました宮城県の名取市長の佐々木いそお氏のブログが写真が豊富でよくわかると思いましたので、アドレスを置かせていただきました。まだ、承諾を頂いていないので、アドレスの一番最後に「ml」だけつけて見てみて下さい。どうぞ、よろしくお願いします。

http://www.isasaki.com/archives/51437517.ht

 

 

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2月4日 今日は、立春です。春の養生をひとつ

 EMXセラミックのネックレスに、黄色の色の含まれる方には、ご苦労様でした。本日、立春になりましたので、土用は終わりました。今日からは春です。春を表す色は、東洋医学では、青色となります。 次にかかげる色の方は、大切な季節になりました。お氣をつけて、お過ごし下さい。 

 

         春を表す青色を含む各色 

  

つまり

ブルー  =(青色))

ペールグリーン  うすい緑= (青+黄+白) )

グリーン  =(青+黄) )

ダークグリーン    濃い緑= (青+黄+黒) )

ダルグリーン   にぶい緑= (青+黄+黒+白) )

バイオレット    むらさき= (青+赤+白) )

 

 以上の6つの色の方は、春は、肝の氣が、旺盛になる時期なのですが、旺盛になれない場合が、多くみられます。肝の氣が、弱くなると、筋(すじ)が痛んだり、筋(すじ)が、疲労しやすくなります。また、目が疲れやすくなり、眼の疾患になりやすくなります。ます。肝の氣は、イライラ(=怒)しすぎると、弱くなります。東洋医学では、中からの原因(内因)は肝は、怒です。肝臓を悪くした方が、怒りっぽいのは、その為です。また、その他に、外からの原因(外因=臓を悪くする自然の現象)があり、肝は、風です。風の邪ということで、東洋医学では、風邪(ふうじゃ)と、表わされます。ですから、風門(背中の上の方に、あります。)というツボがあり、ここから風邪(ふうじゃ)は、入ります。皆様が、風邪(かぜ)の初期に、背中の上の方が、ぞくっとして  ( ̄・・ ̄)ムズ( ̄^^ ̄)ムズ(>0<)クシュン( ̄ii ̄)ジュル  になるわけですが、その場所がまさに風門(字のごとく、風邪ふうじゃが入る門)なのです。風邪引きの際、背中がぞくっとしたら、温めて上げて下さい。貼るカイロなどを、一枚服の上から、貼っていただくだけで、風邪引きの治りが、早くなると思います。ただし、寝るときは、1枚服の上から貼り付けても、直接さわってしまったりして、低温やけどのおそれがありますので、決して、貼らないで下さい。

ゆえに、特に上記の色の方は、この時期、風に当たりすぎないようにすることが、大切になるわけです。

 

 東洋医学の五行学説から、肝を選んだ場合、五味(五臓を養う味)は、すっぱい味、五穀(食べると良い穀物)は麦、五果(食べると良い果物)は李(=すもも)、五肉(食べると良い肉類)は鶏肉となります。したがって、イライラしやすい人などは、肝の氣を旺盛にするために、鶏肉やすもも、麦などをとるのが良いとされています。

どうぞ、青色の色が、構成として含まれる6つの色の方は、春のこの時期をお過ごしください。

 

参考文献 東洋医学全書

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大人の疳の虫出しは、注意が必要です。

 皆様、おはようございます。  

このぶろぐに大人の疳の虫出しで検索の結果ヒットされて来られる方が多いよう

なので、今日はその辺の話しを一つ書いてみることにします。    

今日は、疳の虫出しでも大人の方の場合、次のような注意が必要だと思います。  

翌日に大事な商談など控えている場合は、しないほうがいいです。  

翌日に遠出などで、車やバイクを運転する場合なども、控える方がいいでしょう。  

正観さんも著書の中で、書いておりましたが、自分もまったく同じようなことを経験

しました。

特に、初めての場合は、注意が必要だと思います。    

では、弘祥の体験談を一つ。  

 

自分は、青信号で止まりかけまして、幸い後ろから来る車はなかったので良かった

ですが…。今でも不思議ですが、信号を見ていたのに、嫁さんや子達ら家族に  

 「青やでぇ、おとん、 危ないやん、何、しゃーるん?」

 「目、開けてるんかぁ?」

 「寝てるんかぁ?」って言われて、  

 「うん」「ああ、そうやねぇ」とか言ってあわてて、走らせたことがありました。

決して、居眠りでもありません。

青信号を見ていたのに…です。  本当に不思議な経験ですが…。  

ですので、自分がさせていただいた治療により、大人の方の疳の虫が出てきた

場合は、次の日の予定等を聞いて対処しております。

翌日に大事な所用がある場合は、土曜日など次の日がOFFの日を選びまして

めて疳の虫出しをします。

また、虫がすでに  出てしまった場合は、ご本人に注意を伝えております。 

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持っている方は、腕振り運動の時、持つといいです。

 皆様、いつもたいへんお世話になり、ありがとうございます。

 前に、腕振り運動について書きました。

 今日、思ったのですが、腕振り運動の際に、故忍田 光先生のパワーカードを

 お持ちの方は、掌に輪ゴムで止めてもいいし、手芸屋さんなんかでテープを買って

 きて(例えばマジックテープなど)加工して止めてもいいなと思いました。

 今日まで、左右の手にカードを持って腕振り運動をかなりの回数で

 実験しましたが、いいですよ。氣に敏感な方は、すぐわかると思います。

 先生が生前1枚500円で、お分けしていたものです。

 ないようでしたら、弘祥が同じもの作る事が出来ると思いますので

 1枚500円で作って差し上げたいと思います。 

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