以前のブログの記事にて、戦艦大和の生き残りの方269名のうち弘祥の地元ここ熊野には、今も2名の方がお元氣でお暮らしということを前に書きました。
弘祥は、お一人目の方、熊野本宮の淵龍寺住職の中道豊氏 (戦艦大和会 和歌山県紀南地区世話人で、京都南禅寺にて修行されておられる時に徴兵、海軍大竹海兵団、横須賀の海軍水雷学校を経て海軍の各艦船に配乗後、戦艦大和に乗艦し主砲発射の際、攻撃目標までの距離と方角等を専門に測る、現代のビルの高さに例えるとビル18階の高さにあった測距儀室の戦闘任務にて、第二艦隊沖縄海上特攻に参加)には2007年1月31日にお会いしてお話しを伺いました。
また、今年になって先月のことですが3月12日木曜日にもう一人の方でいらっしゃる坪井平次氏(三重師範卒で学校の先生をされている時に、徴兵を受け海軍大竹海兵団を経て戦艦大和配乗しマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦等の作戦に参加、沖縄に向けての最後の第二艦隊沖縄海上特攻と大和では、第5番高角砲員として戦闘に従事し、復員後教職に戻られ、小中学校教諭、教頭先生、校長先生を歴任して昭和55年停年退職)にお会いさせていただきお話しを伺える機会に恵まれました。
お二人にお聞きしたお話は、4月7日にはそれぞれ記事にしてここに載せようと準備してきましたが間に合いませんでした。また、用意でき次第ここに載せたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします。
下記の2枚の図は、先月お会いした坪井平次先生にいただきました。見てみて下さい。2枚目の図の紙の中央にある被弾6発の上の方に図示されているNo.⑤が坪井先生が戦闘に参加された戦艦大和右舷にあった五番高角砲です。
下記の本は、坪井平次先生の著作です。
戦艦大和の最後 坪井 平次 光人社 このアイテムの詳細を見る |
下記の本は、お二人が出てくる著作です。
戦艦大和―生還者たちの証言から (岩波新書) 栗原 俊雄 岩波書店 このアイテムの詳細を見る |