故忍田 光先生からお聞きしたお話です。

 皆様、いつもたいへんお世話になり、ありがとうございます。

 ぶろぐ本当に長い間、飛びました。いつも読んで頂いていた皆様、ごめんなさい。

 また、ぼちぼちと書いてまいりたいと思います。

 どうぞよろしくお願いします。

 

 

 去る9月2日は、故忍田 光先生の命日でした。

 今日は、先生からお聞きしたお話で、印象に残っているお話しを一つ書きたいと思

 います。

 

 それは、以前、弘祥の知り合いが、ガンになった際手術したことがあります。

 その際、本人や周りのFamilyの御希望で、先生に遠隔をお願いしたことがあった

 のですが、その際お聞きしたお話です。

 

 「弘祥」

 明日、いよいよ手術となります。手術を受けるに当たって、何か氣をつけることは

 ありますか? 

 

 「故忍田 光先生」

 あります。一つ大切なことがあります。

 明日、手術で、腫瘍部を取り除いた後、これで、悪い物は、全てなくなった。

 と 思うことが大切です。これで、悪いところは、なくなったんだと信じ切って

 あげる事が大切です。

 

 周りのFamilyや友人など、全ての方がそう思ってあげるようにくれぐれもよろしく

 伝えてあげて下さい。

 

 

 つまり、下にあげるようなことは、決して思ってはいけません。 ということです。

 

 ・ 手術は、うまくいったみたいだけど、ガンなのでどうかなぁ…

 

 ・ あの場所のガンだからどうなんだろう…、後は良くない人が多いよねぇ…

 

 ・ 5年生存率は、このくらいらしいーよ、○○さんはどうなんだろう

 

 ・ 病氣が病氣だけに、楽観はできないだろうねぇ…

 

 ・  運が良かったら、このまま行くと思うけど、ガンなのでどうかなぁ

 

 

 

 など、思う人がいるだけで、その患者さん自身にマイナスの波動となって伝わるの  

 で、せっかくきれいになっって治るガンも予後が悪くなってしまう…と

 

 

 つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

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故忍田 光先生は、今日が誕生日でした。

 おはようございます。いつも、皆様、たいへんお世話になり、ありがとうございます。

 このぶろぐは、アクセス解析が付いているのですが、故忍田 光先生のことを検索

されて、このぶろぐに来られる方がじつに多いようです。

小林正観さんによると、人間は、2度の死を迎えるそうです。一つ目は、肉体の死で

す。また、もう一つは、人々から忘れられて迎える死だそうです。つまり、835年に入

定して亡くなられた弘法大師様は、2度目の死は迎えていないという事になるそうです

また、もちろん一般の方々でも故人を知る人間が、ひとりでもこの世にいっらっしゃっ

る限り、この2度目の死は迎えないそうです。

 

弘祥と忍田 光先生は誕生日が、1日違いでしたので、忍田 光先生が存命の頃

は、今日1月27日は、毎年お元氣な声をお聞きしておりました。

そこで、今日は、先生と親しくさせていただいた10年間を越えるおつきあいの中で、

見聞きした数々の奇跡から一つの思い出をお伝えして、先生を偲びたいと思いま

す。

 

それは、平成10年3月29日の日曜日東京の丸の内のパレスホテルで「忍田先生を

祝う会」が盛大に開催され弘祥も出席いたしました。

それは、平成9年の秋の叙勲で勲五等瑞宝章を授与され、さらにたま出版より先生

の3番目の著書の出版、さらに喜寿を迎えられ御慶事が重なったこの機会に、皆様

方と共に忍田先生を祝うというものでした。会場前の広い広い廊下では、忍田 光先

生と記念撮影する来場者が一杯おられました。また、よくおみかけする女優さんや芸

能人やプロスポーツ選手が、氣軽に皆様からのリクエストで写真に収まっておりまし

た。会場入りする時間になり、自分の卓にまいりました。あまりの人数に開宴時間を

10分経ってもまだ、入場出来ない方がおられるようでした。

当時は、弘祥は、目が良かったのですが、一番端の方のお顔はわからないくらい、

あちこちからかけつけた皆様で一杯でした。この時のことが、載っている出版雑誌が

あるのですが、弘祥の手元の「ビィ・オール 65号」のその記事の中にも「会場が…

広い。広すぎる。端と端の人の顔同志は、多分視力3.0くらいなければ確認できな

いだろう。」とあります。

会場入りしてあたりを見渡すとよく、先ほどの女優さんの他の女優さんや芸能人、国

会議員さんや会社の社長さんまた、プロスポーツ選手とそれぞれの卓にお着きでし

た。どうやら、グループに分けられているようでした。そして、「自分たちの卓はどんな

卓かな?」と思っていましたら、全員揃ったということで、その卓で、だれかれとなく名

刺交換のあいさつがはじまりました。名刺を交換してわかりました。

弘祥のようなセラピストの方、氣功を研究している京都の研究所の所長、筑波

からは、当時有名な研究で知られた先生がヨーロッパに学会で留守のため、代理で

おみえになったという研究員とういうように人体を、特に氣と造詣の深い人々でした

時間を過ぎて開宴になり総合司会は、有名な元アナウンサーの中井美穂氏でし

た。

最初にお祝いの言葉があり、先生ご夫妻に故深野一幸氏オーラアート画家の龍

敬子氏、また患者様の代表で車いすの男性と白鶴の大きな樽の鏡開きがありまし

た。

それから、また、皆様の体験談やお祝いの言葉、歌があり、踊りがありじつに

忍田 光先生ご夫妻をはじめ集まった皆様、楽しいお時間を過ごしているようでした

 

そして、このとき一つの奇跡を見たのでした。会場の(横か後ろ?)大きな扉

が開き子供さんを抱いた男性が、それぞれ入ってまいりました。司会の中井氏から、

ご紹介がはじまりました。昨年10月(当時ですので平成9年の10月)「皆様から

向かって○側の○○○ちゃんは、2歳の女の子で、部屋で遊んでいて、誤ってころび

ガラステーブルの角に運悪く後頭部を強打して、意識不明の重体に、瞳孔もすでに

開いた状態でした。おとうさんは、警察官をされていたため我が子を抱いた時に、後

頭部から出る出血の血糊とチアノーゼの顔を見て、お父さんをはじめその場にいる

誰もが「もうダメかも知れない。」と思いました。その時、お母さんが、一縷の望みをも

って忍田 光先生に緊急のヒーリングを依頼されました。そして、その電話が終わる

や否やそれまで意識不明だった女の子が突然泣き出して、意識を取り戻して元氣に

なられました。」と

また、不思議なのですが同じ時期に今度は○県でこんなことがありました。と紹介が

はじまりました。

「また、もうひとかた皆様から向かって○側の○○ちゃんも、2歳の女の子で

、2段ベッドから後ろ向きに落ちて、頭を強打して、瞳孔が開きチアノーゼを起こして

おりました。ひじょうに重篤で危険な状態でした。

祖母様が先生のことをご存じで、緊急のヒーリングの依頼の電話をかけました

。やはり、電話をかけ終えた時に、意識を取り戻しました。」

今日お二人は、すっかりお元氣になられ、大好きなお父さんに抱かれて一緒に

お祝に駆けつけてくれました。」とのご紹介でした。

そして、お嬢様を抱かれたお父さんは、卓と卓の間をゆっくり歩かれ、皆様ご

婦人達は、お嬢さんの頭を撫でながら「良かったね」。「本当に良かったね。」「奇

跡ですね」「こんな近くで奇跡をみせていただき、ありがとうございます。」ある人は、

お父さんの手を握り感無量でことがが出ず、震えている方と我が孫、我が娘、我が

子がごとく声をかけておりました。ほとんどの女性が、ハンカチで涙を拭いておりまし

た。

そして、自分の卓の所へは、ガラステーブルにぶつけられらたお子さんが来て

くれました。お嬢さんを抱いたお父さんの目も真っ赤でした。自分たちもそれぞれの

ことばをかけておりましたら、同席の先生がお父さんにお願いされました。「お父さ

ん、わたしも治療をさせていただいてるものです。よろしかったら、お嬢さんのけがし

た所をぜひ、見せてもらえないか?」というようなことを方言の混じったことばで伝え

ました。すると、お父さんは「はい、いいですよ。どうぞ、どうぞ、見てやって下さい。」

ということでお嬢さんのうなじを急いで掻き上げられました。

席に戻りかけた他の先生や隣の卓からも見に来られました。弘祥もしっかり見

ました。

ちょうど、盆の窪に十字のような傷が残っておりました。その時、お父さんは

「忍田先生からは、ものごころ付く頃には、わからなくなるんじゃないの」と聞いており

ます。と話してくれたのでした。そして、卓と卓の間をゆっくり歩を進められて先生

のところに着いたお父さんに抱かれた二人に、先生は、本当にうれしそうにニコニコ

していたのを思い出します。

 

現代医学的に言っても、瞳孔が開き、チアノーゼを起こし、意識不明の重体の

状態が、緊急の遠隔ヒーリングの電話を終えると同時に意識を取り戻すということ。

それも、同時期に同じ2歳の女の子が、同じように回復して、元氣に抱かれているの

を目の当たりにして、忍田 光先生のヒーリングというもの、人の治癒力を深く考えさ

せられたのでした。

以上が、この日、見させていただいた一つの奇跡です。

 

白河伊都子先生からも「忍田先生のお力は、すごかったのですね。」「この世

にいらっしゃる間に、ぜひお会いしたかった方でした。」とお手紙もいただきました。

また、白河先生から、「故人とは、思えばすぐつながる。」とお聞きしました

。忍田 光先生とこの世で、お会い出来た皆様、残念ながらお会い出来なかった皆

様も、先生を思えばつながるそうです。自分も診療の白衣には、先生と一緒に写した

写真を入れております。

 

以上、在りし日の故忍田 光先生を、偲んで記事にしてみました。

忍田 光先生、ありがとうございました。合掌。

 

長文を読んで頂き、ありがとうございました。感謝。

 

 

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明日2日は、忍田 光先生が、光の世界に旅立たれて、ちょうど、1年です。

セラピー療術院の忍田 光院長先生が、昨年9月2日に光になられました。その時に、

弘祥が思ったことを今日は、書いてみます。このことは、9月28日に自宅をお参りさせて戴いた折り、ご家族の方にはお話しいたしました。

 

以下は昨年の御逝去の折のお話しですが

「先生が御逝去された。」という一報を、ご家族の方からお聞きした時、弘祥、実はたいへん驚いたことがあります。

先生は、1921年(大正10年)1月27日生まれでした。(自分は、26日生まれですので、それでよく覚えておりました。)

横に羅列すると

     1 9 2 1 1 2 7

そして先生が、御逝去された年月と時間を書きますと

日午前1127分  となり誕生日の上の数字の一番前の数字の1

をとると先生が旅立たれた時間と符合することに氣付いたのでした。

 

「偶然ではないのだろう。」と自分は思っていますが…。皆様は、どう思われますでしょうか?

 

今はただただ、たくさんの忍田 光先生との思い出を大切にして先生に感謝を申し上げ、ご冥福をお祈りするのみです。

ありがとうございました。忍田 光先生。合掌。

 

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忍田 光先生が、御逝去されました。

 本日は、皆様に御報告があります。

世界的にヒーラーとして活躍されました弘祥が師と仰ぐ、茨城県のセラピー療術院(6月末にて閉院致しました。)の院長先生でした忍田 光先生が、療養中のところ、去る9月2日に88歳にて永遠の旅に旅立たれました。

ここに、謹んでお知らせ申し上げます。

前に、弘祥が先生からお聞きしていた日より、お早い旅立ちとなりました。

また、近いうちに、熊野においでいただき開かせてもらった4度の講演会・ヒーリングの催しの際、一緒にまわった熊野を観光した際のスナップ写真、先生からお聞きしたお話などにて先生を偲びたいと思います。

 

忍田 光先生、本当に長い間ご苦労様でございました。先生と、ご縁をいただけたこと弘祥、心から感謝申し上げます。ありがとうございます。今は、どうぞ、やすらかにお眠り下さい。先生に教わったことを、心に深く刻みこれからの日々の臨床をつとめてまいりたいと思います。御冥福をお祈り申し上げます。

忍田 光先生、ありがとうございました。合掌

  

 

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忍田 光先生よりご連絡をいただきました。

 皆様いつも大変お世話になりありがとうございます。

 このぶろぐに再々登場されている茨城県のセラピー療術院の忍田 光院長先生から弘祥のもとに連絡をいただきました。

 先生も87歳の高齢になり、少し体調をくずすことも出てきたそうです。そのような時は、皆様にご迷惑をお掛けするのもなんだからということで、体調が完全になるまで院内での直接ヒーリングと遠隔ヒーリングを共に、6月5日(木曜日)をもって一時、お休みするそうです。また、再開する時は、弘祥に連絡をいただけます。

 「皆様方には、たいへんご迷惑をお掛け致しますが、どうぞ、よろしくお願いします。」との先生のことばでした。

 

 

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27日は、忍田 光先生87回目の誕生日でした。

 27日は、名古屋に出張に行きましたので、昨日28日の朝に忍田 光先生にお電話にて誕生日のお祝いを申し上げました。

 先生は1921(大正)年1月27日が、お誕生日なので今年で87歳になられます。

 お電話では、「この頃は足腰が弱くなったんだけど、なんとか元氣においていただけるみたいだよ。」と笑っておりました。

 以前は、忍田先生のところのホームページが、あったのですが今は閉鎖していますので、そのこともお聞きしてみましたが今のところ再開する予定はないとのことでした。

 このぶろぐは、アクセス解析がついているのですが、どうでしょうか?最低でも2日に1回誰かがインターネット上の検索で忍田 光先生関連のお名前を入れておられるようです。その結果ココのぶろぐに来られる場合が多いようです。

 そのこともお話しいたしました。ホームページの再開予定がないのは自分も残念です。そこで、皆様には前に承諾いただいて忍田 光先生のホームページにあった「波動とは?」を当院のホームページ芝下鍼灸整骨院ホームページの弘祥の一人言の中に転載しております。よろしかったら、お読みになって下さい。

 

 

 

 

 

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忍田 光先生の一つの近況です。

 このぶろぐがどのような方が検索した結果訪れておられるか見させていただく方法があるのですが、毎日のようにお名前があるのが、忍田 光先生、忍田先生、セラピー療術院、茨城 忍田などのお名前です。また、時々は、忍田 光先生についての問い合わせが弘祥の診療所の電話で受けることもあります。

そこで、今年いただいた年賀状からご紹介したいと思います。

弘祥の友人のお母さんからいただきました。娘からこんな連絡がありましたと…。

弘祥の友人の妹さんは、アメリカにお嫁さんに行ったのですが、今年の新年のお休みをコロラドの牧場の友人宅で迎えたそうです。

その滞在中にお世話になった牧場の友人のファミリーが急病になったそうです。そして、そのせっぱ詰まった状況の時、娘さんが忍田 光先生を思い出し国際電話をかけたそうです。

そしたら、奇跡的にすぐにに回復し、みんなにたいへん喜んでいただいたと、アメリカの娘より連絡がありました。

とお母さんからの年賀状には書いていただいておりました。

 

ありがとうございます。忍田 光先生に伝えます。H様       弘祥

 

 

 

 

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