金融マーケットと馬に関する説法話

普段は資産運用ビジネスに身を置きながら、週末は競馬に明け暮れる老紳士の説法話であります。

【思い出のレストラン②】 高校時代に小遣いレベルでも通えた洋食屋 茗荷谷の『バンビ』!

2022-08-27 07:19:19 | グルメ

 昨日に続き思い出のレストランシリーズ第2弾。今回ご紹介するのは茗荷谷の洋食屋『バンビ』

 私の通っていた中学高校は、地下鉄丸の内線の茗荷谷駅が最寄り駅で、その茗荷谷駅近くに存在していたのが、この『バンビ』

 

 

 写真は、現在のバンビ茗荷谷店。今は春日通りに面しており、堂々とした佇まいのお店でありますが、私が高校時代に通っていた時は、通りの反対側の奥まったところ、拓殖大学横のこじんまりしたお店でした。とにかく、旨くて安い! というのがバンビの特長でありまして、御覧の『バンビランチ』が、スープもライスも付いてて480円

 

そして、次の『ドカン焼き』も、スープとライス付きで380円

 

 当時、バンビの隣にあった吉野家の牛丼(並)が350円でした。当時の吉野家はカウンター席のみの回転率商売のお店でしたが、ちゃんと着席テーブルで料理を供する洋食屋さんが、上記のお値段でやってくれていたので、高校生でも、週に1回、土曜日くらいは、ここでランチを楽しむことが出来たという次第。大変ありがたい存在のお店でありました。

 

 ちなみに、浪人生時代、あるいは大学生の時代に、お茶の水駅近く、もっと正確には地下鉄都営新宿線の神保町駅近くにも、洋食屋『バンビ』があって、そこのお店に随分お世話になったという方もいらっしゃると思います。お茶の水のバンビは、茗荷谷のバンビの支店だったと思います。

 その後、洋食屋バンビは、当初の茗荷谷店が閉鎖となって、またお茶の水店も閉鎖となって、四谷に本店を構えたようです(今でも四谷が本店のようです)。さらに、新宿東口の地下街であるサブナードレストラン街に出店するとともに、新茗荷谷店を春日通沿いに復活させ、最近では、池袋のサンシャインシティの中にもお店を出した模様。

 

 私自身は、当初の茗荷谷店とお茶の水店が閉鎖後は、洋食屋バンビは消滅してしまったと思い込み、寂しい思いをしていたのですが、今から5年前に、偶然に新宿サブナードレストラン街のお店を発見して、バンビが生き永らえていることを知り、狂喜乱舞してしまいました。

 

 40年以上前に東京で学生だった方で、私と同じような思い出を抱いているオヤジは、全国に数多くいらっしゃると思います。皆さん、茗荷谷とお茶の水にあった洋食屋バンビは、まだ別の場所で生き残っていますよ!

 お値段は、ソコソコ上がってはいますが、味に関しては保証付きであります。ぜひ、新茗荷谷店でも、新宿サブナード店でも、お寄りくださいな。懐かしいメニューが全て残っていますよ‼


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【思い出のレストラン①】 初ボーナスで両親を招待した場所 『南国酒家 原宿本店』!

2022-08-26 05:36:47 | グルメ

 ひょんなことから、原宿の風景を眺める機会があって、1965年に分譲販売された日本初の億ション「コープオリンピア」の1Fにある『南国酒家 原宿本店』を見つけてしまいました。

 

 南国酒家は中国料理の老舗ですが、テナントとして入っている「コープオリンピア」の管理組合が2009年に建替えを決めたことから、この創業の場所から出ていかざるを得ない運命でした。ところが、その後、現在のコープオリンピアが建築基準を満たしていないことが判明して、予定通りの建替えが難しくなって計画が頓挫、その結果、お店は現在に至るまで存続しておりました。

 すでに無くなっているものと思い込んでいただけに、「まだ残っていたのか・・」と、自分の感慨もひとしおでありました。というのも、この南国酒家は、私にとっては「思い出のレストラン」に他ならないからです。

 

 

 もう40年近く前の話になります。

 自分の実家は代々木にありましたので、当時、近くに存在する高級中国料理のお店と言えば、原宿の南国酒家

 大学を卒業したばかりで、それまでは、ずっと親の脛をかじっていた自分にとって、両親にちゃんと「感謝」できるチャンスは、初ボーナスを貰う時だろうと心に決めておりました。そして初ボーナスを貰った直後に、思い切って、両親をこの南国酒家にご招待いたしました。会社に入ったばかりの23歳の春。1984年の6月ですから、バブル景気へ突入する手前の時代。南国酒家のコース料理は今と変わらず、1万円前後だったと思います。

 味はもちろん美味しかったけれど、とにかく量が多くて、ラストに控えていた名物料理の「鯉のから揚げ」に、3人掛かりでも、もう全く手が付けられなかったことを覚えています。(あとでお店の方を掴まえて「従業員の皆さんで召し上がって下さい」と丁寧に謝ったことも忘れられません)

 両親はまだ50歳台でしたから、相応に健啖家だったのですが、さすがに帰りは「お腹いっぱいで動けず」という状態に。店の前でタクシーを拾って、代々木の実家まで連れて帰りました。

 

 よくよく振り返ってみると、自分が両親に対して親孝行らしいことをしたのは、この時の南国酒家ご招待くらい。感謝の言葉を口にしたのも、この時と、父と母がそれぞれ亡くなる直前に、病院で寝ている姿に対して口にした時だけもう少し、きちんと感謝して、ちゃんと親孝行をしておけば良かったと今になって思いますが、後悔は先に立たず。

 

 ちなみに、7年前に父が亡くなったあと、母から聞いたのですが、父は、この時の南国酒家のことが良い思い出だったらしく、酔っぱらうたびに「最後に出てきた鯉の丸揚げをまったく食べれなかった」と、嬉しそうに繰り返し繰り返し、誰ともなくに話していたそうです。

 

 その母も3年前に見送りましたので、あの時のことを覚えているのはもう自分だけになりました。

 いや・・ 原宿の南国酒家がまだ残っているのだったら、お店自身が、あの時の3人のことを覚えてくれていますかね。一度、覗きに行きたくなりました。

 いつまでも、残っていてほしい『思い出の場所』です。


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【悲願の凱旋門賞勝利】 惜しいチャンスは4回あった! 痛感するペースメイカーの必要性‼

2022-08-25 05:48:58 | 競馬

 日本調教馬による凱旋門賞制覇の夢は、まだ叶えられていませんが、少なくとも惜しいチャンスは4回ありました。

 

 1回目は、1999年のエルコンドルパサーが2着に敗れた時。この日は馬場が悪かったので、蛯名正義騎手は果敢に逃げ戦法を選択。この結果、エルコンドルパサーは自分のリズムで終始走ることができ、このまま逃げ切りか!というところ、最後にモンジューに差されて惜しい2着に敗れました。この時は、日本の関係者の多くがゴール寸前まで「勝った!」と思っておりました。

 2回目は、2006年のディープインパクトが3着入選(レース後失格)に敗れた時。この年は、2005年の凱旋門賞馬にして2006年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスSを勝ったハリケーンラン、そして前年のBCターフを勝って2006年もGⅠ4連勝中だったシロッコの欧州2強とディープインパクトの対決で盛り上がりました。この2頭に勝つことに専念した武豊騎手は、ラストの直線に入ると、早めに抜け出すハリケーンランとシロッコを、猛然と外から差し切って、そのまま勝利するかと思われましたが、あまりに早めに仕掛けたため、後方で待機していたレイルリンクとプライドにゴール前で交わされ、3着入選という結果になりました。まさに、競馬に勝って、レースに負けたという内容。

 3回目は、2012年のオルフェーヴルが2着に敗れた時(1回目)。この年は、直前になって、スノーフェアリーとか、ナサ二エルとか、有力な欧州勢が次々と離脱。質的には手薄なメンバー相手に、オルフェーヴルは最後の直線で他馬を突き放して、そのまま押し切るかに見えた瞬間、何と「内埒に身体をぶつけて失速する」という事態に。その隙を突いて、ソレミアが差し切って優勝。一番大事なところでオルフェーヴルの気の悪さが飛び出して、千載一遇のチャンスを逃したのでした。

 4回目は、2013年のオルフェーヴルが2着(2回目)、キズナが4着に敗れた時。この年は名牝トレヴが最初に凱旋門賞に勝った時なので、終わってみれば、オルフェーヴルにも、キズナにも、勝つチャンスはなかったレースだったと言えるかもしれません。ただし、欧州全体のレベルと、日本競馬全体のレベルが、ほぼ拮抗したことを示すレースでしたので、敢えてここにも挙げさせて貰いました。

 

 これらのレースを思い起こしてみると、よく言われている馬場の重さ云々は、確かに大きな要因ではあるものの、決定的な不利要因ではありませんでした。それよりも、レースにおいて、日本馬がリズムを壊すか否かの方が大きな敗因になっていると思います。

 1998年のエルコンドルパサーの好走は、何といっても、思い切った逃げ戦法に出たこと。これにより、エルコンドルパサーは、自らの走りのリズムを失わず、最後まで自分の力を出せたと思います。

 一方のディープインパクト。そのあまりの強さのため、当日の凱旋門賞は厳選されたメンバーだけの少頭数のレースとなりました。結果として、逃げ馬がいなかったため、前半が超スロー。ディープインパクトは何と2番手3番手を進むという展開となり、いつもの走りのリズムを失うこととなりました。

 2012年のオルフェーヴルは、多頭数のレースで、ラビットと呼ばれるペースメイカーが存在したため、流れるレースの中で、好位でリズム良く走れる結果に。直線に入ると、オルフェーヴル独特の躍動的な差し脚で、前に居る馬たちを置き去りに。しかし、あまりに早めに1頭で抜け出したため、気が散ってしまったのか、内埒の板を目掛けて突進するという狂気がほとばしる事態に。

 

 総括すると、日本調教馬には、ラビット=ペースメイカーが必要だと思います。ディープインパクトのレースにペースメイカーがいれば、楽勝だったと思います。

 

 ちなみに今年は、現役最強と呼ばれるタイトルホルダー、昨年の雪辱を狙うディープボンド、ダービーレコード勝利のドウデュース、サウジとドバイで活躍のステイフーリッシュなど、多彩な顔触れが参加予定になっていますが、鍵を握るのは、矢作厩舎のパンサラッサの存在だと思います。

 もちろん、タイトルホルダーも、自らレースを作れる強みを持っていますが、タイトルホルダーが逃げるとなると、当然ながら欧州勢から厳しいマークに遭います。しかし、もしその前に、パンサラッサがハイスピードで逃げることを選択すれば、日本馬にとっては、いつもの日本的なレース展開となるのに対して、一方の欧州勢にとっては、いつもと異なる=リズムを壊す、ことに繋がります。

 パンサラッサは、札幌記念のあとの体調面を見ながら、参戦するか否かを判断するようですが、出来れば是非出走してもらって、ペースメイカーの役割を担ってくれないかと期待しています。

 

 タイトルホルダーの生産者 岡田牧雄氏も言っているとおり、今年こそ、「凱旋門賞の呪縛」から、日本競馬が解放される年であってほしいと思います。


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【エフフォーリア 秋も完全休養へ】 競走馬にも『燃え尽き症候群』が散見 可哀そう過ぎる‼

2022-08-24 05:42:06 | 競馬

 昨年の年度代表馬エフフォーリアの2022年秋全休が発表されました。春の大阪杯、そして宝塚記念の負け方を見ると、しばらくは無理をせずに、エフフォーリアの『走りたい気持ち』が戻るまでユックリ休んでもらう方が良いと思っていたので、この判断は正しいと思います。

 このように、一流の競走馬が、ある時から突然、馬が変わってしまったかのように走る意欲が減じてしまう現象が散見されるようになってきました。人間同様『燃え尽き症候群』と呼ばれることもあります。

 

 こうした現象が散見される背景には、2つの事象があると思います。

①調教技術の進歩が著しく、ギリギリのカミソリのような尖った仕上げが可能となったことが、特に3歳春のクラシック候補の馬たちにとっては、成長期に当たるだけに、フィジカル面メンタル面の両面において、大きな負荷になっていること。

②3歳春のクラシックレースで活躍した馬たちが、秋のシーズンから、海外や古馬との激しいレースへの挑戦を積極的に強いられていること。

 

 特に上記①の理由は、競馬そのものの仕組みに関係がありますので、なかなか解消するのが難しいハードルが存在します。まず、馬主が1億円も2億円も出して競走馬を購入するのは、ダービー馬のオーナー、オークス馬のオーナーを目指しているから。

 2歳の秋頃にデビューして、すぐに勝ち上がれれば良いですが、どんな高額馬でも2着3着が続いて、やっと2月頃に勝ち上がりということは十分にあります。そこから、ダービーへの出走を目指すとなると、まず重賞レースで勝つか、あるいは2着で賞金を足して上でトライアルで3着以内に入ることが必須条件に。

 そうなると、レース間隔が3週間、あるいは2週間と短くなることもシバシバ。しかも、結果を出すために、調教師は『ギリギリの仕上げ』を施します。その結果、晴れてクラシックホースになったり、あるいはダービーやオークス入着馬として、世代の代表的なスターホースへ成り上がっていけるという訳です。

 ただし、問題はそのあと。そうやって無理を重ねた結果、3歳クラシックレースのあと、二度とレースに戻ってこれない馬たちも少なからず存在します。また、やっと復帰できても、そのまま抜け殻のように競馬場を去っていく馬も。3歳春のクラシックレースに出走するために、無理を重ねる事例は後を絶ちません。一方で、馬主から指令されれば、調教師もまず逆らえません。

 

 次の②の理由は、春のクラシックで一流馬の仲間に入った若駒たちが『燃え尽き症候群』となるメインの理由です。これも調教技術の進歩によって、3歳馬が古馬と走る際に、3歳馬が優位になっていることが直近の傾向。JRAでは、昔ながらの1~3㎏の年齢ハンデによって、この有利不利の解消をしていたのですが、『競走馬を鍛える技術』の進歩によって馬の身体能力の早熟化が図られ、むしろ2㎏前後のハンデの効果が、3歳馬有利に働きだしていることが背景にあります。ちなみに、海外ではこの年齢ハンデが更に3㎏前後に広がります。

 こうなると、3歳馬による古馬GⅠへの挑戦、そして海外GⅠへの挑戦が活発化しますし、チャンスが大なので、調教の仕上げもギリギリに施されます。結果として、3歳の有力馬は、若い段階で古馬の最強馬群との闘いを前倒しで強いられていきます。3歳春は同世代の闘いを勝ち抜き、秋は古馬との闘いや、海外GⅠ馬との闘いを強いられて、この段階で『燃え尽き症候群』の予備軍となるのです。

 

 かつては、ここはもう少し、のんびりやっていました。3歳時は同世代の闘いで、4歳になってからが世代間、あるいは海外勢との闘いと。

 レモンは、ゆっくりと少しづつ絞らないといけない。絞り過ぎてはいけない』というのが、昔から英国で伝えられてきた、競走馬の育成に関する格言。これが、直近の日本では、守られていない気が致します。

 

 エフフォーリアサトノダイヤモンドハープスター・・。

 綺羅星のような才能が『燃え尽き症候群』となり、苦しむ姿はもう二度と見たくはありません

 調教師の皆様、そして馬主の皆様、競走馬のメンタル面へのご配慮を、特に若駒のメンタル面へのご配慮を、切にお願いしたいと思います。


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【4回目のワクチン接種】 今度は地域接種で受けて参りました。 またもやモデルナです・・

2022-08-23 05:48:18 | ワクチン接種

 先週の18日(木)、4回目のワクチン接種を受けて参りました。報告が遅れたのは、その後の症状を正確にお伝えしたいが故

 前回までは、職域接種でしたので、自分の職場の席から、歩いて数分の接種会場へ行くだけでしたが、今回は60歳以上に限定したブースター接種ですから、地域接種となりました。予約できた会場が、小平市の特設会場だったので、西武バス⇒JR中央線⇒西武多摩湖線と乗り継いで、1時間近くかかりました。

 また、少し早めに到着しても、予約していた時間どおりの運営。このあたり、さすが市役所のお仕事でした。なお、ファイザーワクチンは人気で、モデルナワクチンしか予約できませんでした。まぁ自分の場合は、ずっとモデルナですので、抵抗感はありません。

 

 さて問題の症状ですが、結果としては、前回とほぼ同じでした。当日の夜までは、肩が痛いだけ。念のために解熱剤を飲んで早めに寝たところ、早朝2時頃に目が覚めて、全身がだるくなっておりました。このあとは丸々1日半、解熱剤のお世話になりました。汗を大量にかくために水分補給を気を付けて、あとはジッとしているだけ。

 そう言えば、前回の3回目の接種の時は、3月13日(日)の金鯱賞で、本命のジャックドールが逃げ切り、レコード勝ちを収めて稼がせて貰った記憶が蘇ってきました。ジッとしていても、馬券だけはネットで買えます。良い時代になったものです。

 そのジャックドールが、今回は8月21日(日)の札幌記念に出てくるではありませんか!

 

 今回は、パンサラッサとジャックドールの2頭を1着2着で決めて、3着以下を5頭選んで三連単を買ったところ、これが本線で大当たり‼ 150倍以上の万馬券となりました。

 札幌記念の前までは、なんでワクチンを打つだけでこんなに苦しむのか。もう5回目の接種はやめようと、心に決めていたのですが、どうも、ワクチンで朦朧としている時ほど、馬券的中には効果があるようです。

 特に、このモデルナワクチンとジャックドールの組合せには、何か特別な関係がありそう。という訳で、10月以降に急遽予定されている、BA-5用のワクチンについても『前向き検討』と致します。

 

 BA-5のワクチン、10月末の天皇賞秋に間に合うかなぁ・・


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