アラフィフ女のないない日記

独身、財産なし、家族なし。ないないずくしの待ったなし、の50代のホンネを書いてゆきます。

いじめと原発

2012-07-19 15:42:43 | Weblog
大津のいじめ問題に端を発し、全国の教育機関でいろいろな動きが出始めたようだ。
いいことだと思う。

今の教育は「学校にいじめはない」ということを前提に現場が動いている。
しかし、それは間違っている。

人間は集団になると序列を作りたがる生き物だ。
集団の最下層を位置づける「いじめ」という行為は「普通にありうる」ことを前提に教育システムは作られるべきなのだ。
私が教育委員会だったら、どこの学校であろうと「我が校の年間いじめ件数はゼロ件でした」などと報告されたら再調査を命じるところだ。

「いじめはあるべきではない」という理想が「いじめはあってはならない」→「いじめはない」という仮想現実を作り上げ、今回の事件を引き起こしたと思う。

その土壌はどこか原発に似ている。
「事故はあってはならない」が「事故は起こりえない」になり、危機管理に大きな問題を抱えたまま稼働、そして国土を不毛の地にしかねない大事故を招いた。

もし、原発事故やいじめを「ありうること」と仮定していれば、こんなあきれるような事態にはならなかったはずだ。

理想と現実を混同するとギャップが生じる。
そのギャップは、できあがった利益構造を守るために不透明なからくりと腐った土壌を醸成する。

そのような土壌を作った関係者は責任を問われ、土壌は刷新されるべきだ。
が、責任は構造の中でうやむやにされ、元の土壌に戻ってしまうのが日本のいつものパターンだ。
原発の利権構造は依然として根強く、汚染された土壌におかまいなく再稼働拡大への布石が着々と進んでいる。

教育界は少しは変わるだろうか。
変わってくれることを願ってこのブログを書いている。