アラフィフ女のないない日記

独身、財産なし、家族なし。ないないずくしの待ったなし、の50代のホンネを書いてゆきます。

放射能漏れ

2011-03-26 16:55:53 | Weblog
地震から2週間たったが、まだまだいつもどおりの生活、というわけにはいかない日が続いている。
原発は炉が壊れるという最悪の事態はまぬがれているもの、やはり放射能は漏れていた。
水、野菜の汚染、そして海水の汚染へと事態の影響は広がっている。
千葉県内には水道水の飲料規制が出ている地域がある。

まだ放射能がどこから漏れたのかわからないというのも不安だ。
これからのことを予測できないからだ。

情報規制がとられていることはほぼ間違いないと思っている。
「建屋が壊れても何ら心配はない」と当初繰り返し報道されていたが、説得力がない。
いらない建屋なら最初から作る必要はないではないか。

漏れ出た放射能の対策は時間がたつのを待つしかない。
米シンクタンクの科学国際安全保障研究所(ISIS)は、今回の事故は国際原子力事象評価尺度(INES)のほぼレベル6、さらに最高の7にまで達する可能性があると発表した。

やっぱり原発はリスクが大きすぎて割に合わないものだったと思う。
この事故を受けて、欧米では原発を一時停止させたところもあるときいたが、日本国内のほかの原発は依然として稼働している。
電気の少ない不便な生活を選ぶか、原発のリスクを選ぶか、国民が考えて決めていかなければならないことだと思う。


うぐいす

2011-03-20 10:11:42 | Weblog
今朝、今年初めてのうぐいすが鳴いた。
原発や地震に関係なく、あたたかくなればうぐいすは鳴く。

これから、日本全体が苦しい数年を歩むことになるだろうが、自分のすべきことをひとつずつ片づけていくしかない。
そうすれば、必ず春は巡ってくる。

私は来週から新しい仕事を始める。

地震疲れ

2011-03-16 10:48:30 | Weblog
余震はまだまだ続いているし、徐々に被害が明らかになり始めたところだが、私自身は当初の緊張がゆるみ、疲れが出始めた。
家にいれば無計画停電に気を配り、テレビは地震と原発のことしかやっていない。
街に出ても物はない、交通もマヒぎみ。
気の休まる部分がないのだ。

被災者の方もいるのだし、ぜいたくなのかもしれないが、少し、一息入れるものが欲しいのが正直なところだ。


無計画停電

2011-03-14 15:10:37 | Weblog
無計画停電に困った。

今日は本当なら県の施設に、とある認可を受けに行く予定であった。
提出のタイムリミットがせまっている。

ところが、電車が不通。
これが都内であったなら特例措置で一部の動いている電車やほかの交通機関をのりついで行くことができたであろうし、もっと地方なら車の便が発達していたかもしれない。

ところが千葉は、特例の恩恵も受けられず、さりとて車も持たず、という中途半端な都会(?)で困った状況に陥った方が特に多い地域だったのではないだろうか。
私は朝から冷や汗をかいて、駅から駅、バス停からバス停をさまよったが、結局、電車で20分+バスで20分+徒歩で15分の県の施設にたどり着くことはできなかった。

そして、誰に聞いても、どこを調べても、明日以降の運行予定は未定である
この準備のために、どれほどの苦労をしたかわからない。
果たして認可は受けられるのだろうか。

こんな、やるせない思いをした人が今日はたくさんいたと思う。
駅の前はひとだかり、タクシー乗り場・バス乗り場は長蛇の列、町は浮足立っていた。

電気が不足して、どうにかしなければならないのはわかっている。
しかし、テレビのスイッチを切るように無造作に、町のスイッチを切るのはやめてほしい。




「役場サ、どこだ?」「・・・もう見えねぇ。」

2011-03-13 14:20:22 | Weblog
これは、津波から避難して、自分たちの町が津波に覆われてゆくさまを見ていた方達の会話。
今日の地震関係のニュースで一番ささったことばである。

今回は地震の被害のほかに、津波の被害が非常に大きかった。
こんなものすごい津波はよその世界の話だと思っていたが、身近に起こってしまった。
地震よりも津波で亡くなった方の方がはるかに多くなりそうだ。

それから、最も危惧しているのが原発。
とりあえず、今は危機的な状況にはないようだが、メルトダウンまで起きて大事に至っていないというのはたまたま運がよかったとしかいいようがない。
放射能は非常に長期に環境を汚染し、染色体を破壊する。
ということは、負の遺産は代々受け継がれることになる。
大規模な事故がなかったとしても、本当になにも影響がなかったといいきれるのはかなりあとだろう。

被災者へ自分には何ができるんだろうと考ても、募金するしか思いつかない。
日本へのダメージを考えれば、日本国民全員が被災者といえるかもしれないほど大きな災害だ。

とにかく、起こったこと、感じたことをブログに残しておこう。


超ヤバイ 原発

2011-03-12 19:01:46 | Weblog
福島の原発がとうとう爆発した。
「菅さんが原発視察」ときいた状態で、これは「大変なことになる」と感じていた。
そして、メルトダウン、爆発・・・。
ヤバすぎてNHKではほとんど報道規制状態だ。

私は原発反対だ。
原子力はまだ人類の手に負えるものではないと思うからだ。
「万一」の事故は許されない。
99.99999%ではだめなのだ。

そして、とうとう事故は起きた。
興味のある方は以下の本を読んでみてほしい。

高村薫 「神の火」:小説だが、原発の背景がものすごく調べて書かれている。
広瀬隆 「東京に原発を」:学生時代に読んだ本だが、今でも説得力があると思う。

本当はこんなところでブログを書いている場合ではないかもしれない。
しかし、逃げるところもないので、自宅にいるしかない。

チェルノブイリの二の舞か、それとも、原発関係の殉死者を何人か出すだけで食い止められるか。
地震よりも今はこちらの方が心配だ。

3.11 ーその時。

2011-03-11 17:56:28 | Weblog
生まれて初めて立てないほどの地震(私の体感震度は震度5)にあったのは、千葉県内の大きなビル施設で商談している時であった。
大まかに時系列に私の体験を書いてゆく。

15:05
すぐに管内放送の指示に従って外へ避難。
幸い、施設内にいた人にけが人はないようであった。
駐車してある車が揺れているのではなく、タイヤから動いている。
外に出てすぐに携帯で私の無事と、相手の安否確認のメールを送る。
携帯ニュースで、震源が宮城近辺で震度7あることを知る。

15:15
施設から地域の災害避難場所の地図を渡される。
施設利用グループごとに避難者の無事を確認するように依頼が出る。
私は個人商談中だったので、どこのグループにも属さず、不安を感じる。
帰宅を考えたが、荷物が館内に置いたままであること、帰宅するよりも施設下にいたほうが安全だと判断し、施設に留まって様子をみることにする。

15:20
一度は施設内に戻ることがOKになったが、その直後、大きな余震があり、再び外へ誘導される。
館内の安全が確認されるまで外にいるよう、指示が出る。

15:25
施設のTVが窓際から見られるようになる。
東北の津波の映像を見、千葉の震度は4程度であることを知る。
被害地域と状況がわかり、落ち着き度が増すと同時に、日本経済への影響が心配になる。
音声を最大にしてもらうように頼んだ。

15:30
施設の対応
・TVを大スクリーンで見られるよう設置
・毛布を20枚程度配布
・暖かい飲み物の配布
・簡易イスの設置
私の反応
体力温存と情報確保をこころがけ、最前列の施設関係者の近くに席を確保。
飲み物で手を温めながら、ニュースを見る。
安否確認の返信メールが数件ある。

16:00
グループごとに館内へ誘導される(1Fのみ入館可)。

16:20
施設の商談相手に帰宅する旨を告げ、館内に置いてきた荷物を回収、トイレを借りてから自転車で帰宅。
道路は渋滞、やはり館外避難指示が出ていたのか公共施設前は人だかりがしていた。
食糧確保のため立ち寄ったスーパーは「地震のため落ち着くまでお休みします」の貼り紙が。

17:00
帰宅。
エレベーターは使用禁止になっていた。

まず、テレビをつけてから、我が家の被害状況の確認。
普段から地震を前提に重いものは下に配置していたので、破損物はなし。
引き出しが開く、ベランダの窓が開く、小物が倒れる、程度で被害は軽微だった。
避難袋の充実と、避難経路の確保を図る。

18:00
地震発生5分後くらいから、今まで、ずっと救急車のサイレンが鳴りっぱなしだ。
幸い、見える範囲には火災は発生していない。
私はテレビを聞きながら、ブログを書き、現在に至る。

これから、どのくらいの被害が明らかになるのだろう。
みんな、がんばれ。