アメリカン・ブルーです。
3月16日・・・・
あの11日を越えたばかりだったのに・・・・
そんな想いの中、再び揺れは大きく、続けてやってきました。
その瞬間から、昨日まで、
今回も、各地のブロ友さん・友人からラインが届き、
この10年に渡って、
幾度となくご心配の連絡を頂き、そのたびに感謝の気持ちです。
また、前記事コメント欄にもご心配を頂き感謝しております。
ありがとうございました。
あの震災の日も、息子からの電話が真っ先に届き、
その電話以降は、ほとんど繋がらなくなりました。
今回も、直後に鳴った電話が息子から・・・
電話しておかなければ・・・
「大丈夫?」
「凄かった・・・ でも大丈夫。。。」
「良かった・・・」
我が家は免震構造のマンションなので、
ものは何一つ落ちることは無く、壊れたものもありません。
ですが、揺れ幅は大きく、
ものが落ちたり擦れたり、食器が鳴ったり家具がずれたり、
そういう地震特有の音は全くせず、
いつも思うのですが、
むしろ音が消えた中でゆらりゆらりと言いようがない感覚を覚えます。
ひたすら何もせず、床に座って、ただただ止まることを待つのみです。
船酔いのような気持ちがそのあとも残っています。
一度止まったところに、再び襲ってくるもっと大きな揺れ。。。
「あの時もそうだった・・・」
あの日の3度目には、私は心を投げてしまいました。
幸い、今回は2度で終わり、
3度目のアラームに緊張する中、揺れは来ませんでした。
「終わった・・・・」
昨日、ご心配頂いていたことへの感謝と、
無事だったことをここに綴ろうと思っていたのですが、
何かとても疲れてしまって、
申し訳ありません、遅くなってしまいました。
昨日、電話を貰った友人たちが揃って言ったことがあります。
「なんだろう?
今回は、心臓のバクバクがいつまでも止まらなかった・・・」
実は私も同じでした。
毎日朝晩測っている血圧計ですが、見たことがない数値を表し、
身体全体がずっと恐怖感から落ち着けないままか?
そんな気がしました。
昨日、夫は大学病院の定期検診日。
病院は大丈夫なのだろうか?
早朝、病院から、
「歯科以外は受診できますがいつもより時間がかかるかもしれません。」
そんな内容のメールが届いていたようです。
病院はとても空いていたそうです。
いつも薬局へ薬の処方箋をファックスして事前に準備しておいてもらうのですが、
相手先が通常営業しているのかの確認作業が入るので、
そこは並ぶ人が多く時間がかかったと言っていました。
隣のツルハドラッグで薬を受け取って、
いつもと変わらない時間に夫も帰宅しました。
前回1月は、急に船橋へ駆けつけたので受診キャンセルしていたので、
およそ4か月ぶりとなりましたが、
お陰様で、心臓の方は順調とのこと。
安心しました。

3月14日に梅を見に訪れた白石市・・・
今回一番被害が大きく、新幹線も脱線した状態です。
他にも寄ったところがあって、
続きを書く予定でしたが、
それはまた落ち着いたところで追記したいと思っています。
今回の揺れも、東日本大震災の余震・・・とのこと。
余震? どこまで続くのでしょうか・・・
災害は忘れたころに・・・
そういうことわざがありますが、
記憶にどんどん上書きされて、
私達は生涯忘れることは無いような気がします。