弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

汝、一切の娯楽を捨てよ~act as a patient

2017-09-03 14:40:13 | メンタル
どうも、周りから誤解されている節がある。
飲みに来られるくらいなら仕事もできるはずだ、と。

飲みに行くのは2週間に一度くらいで、しかも割と調子の悪くない夕方から夜だ。予め言ってくれれば、頓服を含めて調子の整えようがある。
自分から誘うのはそんなにないし、急に誘われた場合に断るケースの方が多い。

そんななか、説明した人もそうでない人も、気分の波というのを理解してくれている人はどれくらいいるのだろうか。
というより、働けていないのは不安症状のせいの方が大きくて、そこら辺を説明していない気もする。

飲みの場ではアルコールのせいも相まって、明るく振る舞ってしまうのも「病人」という扱いにならない一因だろう。

だが、どうだろう。飲んだ翌日は大概調子が悪い。
じゃあ、飲みに行くなよ、という気がしないでもないが、孤独感に耐えられてないのが現状だ。
つまり、社会的な接点がない。デイケアに行っても、コミュニケーションしているとは言い難い現状がある。家族ともほとんど喋らない日もある。

ボーっとつけているテレビの野球も娯楽とは言い難いし、ゲームもやって1時間に満たないし、娯楽という娯楽は診察日にゲームセンターに寄るくらいだ。
これも、何か習慣-人生の半分を占める-のようになっていて、惰性に行っている感が強い。

こういう私生活を無視して、たまに飲みにも行けないような状態でもないと、周りは自分のことを働けると思うのだろう。

じゃあ、何だろう。
(元々そんなに買わないが)洋服も買わずみすぼらしい身なりで、
酒も飲まず、
食欲も無く
テレビもつけず、
外出も大して出来ず、

常に具合が悪くて一日中、寝たきりレベル。でないと、「働けない」扱いはしてくれないのか。
もはや、それは病人じゃなくて(本当の意味での)廃人かうつ病の急性期だろう。

もう、急性期は過ぎた。ずっと慢性化したまま。
建設的な過ごし方-他人の目を気にしない過ごし方で、病状を良くする可能性のあるものを探す必要はあるだろう。

そうじゃないなら、身近にいる人に勘違いされないように、病人は病人らしく-典型的な病人像に当てはまるような行動をすべきだろう。
おそらく、それは内在化されて、自己正当化にしかつながらないと思うが。