弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

思考停止とその末路

2016-11-27 16:05:40 | 思考
中高男子校で二浪時代もろくに異性と話せず、ほとんど異性恐怖に近い状態で、大学時代もそれを引きずって・・という過程で、恋愛というものを軽視するしか自分を守る方法が無かった。その際、進化心理学が役に立ち、今では内面の薬かつ毒となっている。rrr
社会学や社会心理学、色々な知見を寄せ集めて、出した命題は以下の通りになる。

恋愛(感情)とは、人類が環境への適応と生殖のために発展させたものに「すぎず」、社会が発展するにつれて、個体の持つエゴを明示或いは暗示の社会的規範のベールで覆ったものに「すぎない」と。

そして、

男性側としては、生殖に関するコストは少なく、(自己複製のために)いかに「子種」をまけるかにかかっている。
数撃てばいいので、相手の遺伝的優劣はあまり問題にならない。つまり、制度としては一夫多妻制の方が、「強者」にとっては都合がいい。
女性側としては、妊娠期間中と子の育成のコストが膨大なため、いかに男性側の保護を引き出すか、又、繁殖機会が限られているため、いかに遺伝的に優れた異性と繁殖できるか、が重要だ。これは一夫多妻制は完全には否定しないが、一夫多妻では自分の子の保護という意味では繁殖相手の保護の機会は奪ってしまう。

そして、遺伝的優劣の基礎となるのが、対称性を基盤とした「美」の基準と、社会的地位だ。
太古では社会的地位は肉体的強靭さと同義だったが、現在ではその色彩は薄い。

以上が、進化生物学の基本的見解だと思う。

ただこれは、社会的状況がかわるにつれて、というか、キリスト教道徳とそれがもたらした法規範、社会規範によって、大きく変容を受ける。
最初の命題もこれを踏まえたものだ。

この進化生物学の根本価値(いや、生物学の根本価値=自己複製と自己保存)は普遍で、感情というものもそれに沿ったものに過ぎない。

だから、意識していないだけで、生命のシステムに縛られた「下らない」ものだ。

という結論になる。
例外となるかもしれない、自己犠牲・愛他行動などは、別の原理(根源的利己主義)で封殺できる。

ここで思考停止する。
だが・・・「下らない」という見解があるからには、一体何が下らなくないというのだろう。
下らなくないものなどない、というニヒリズムで封殺するのか・・・

しかし、この命題に限って言えば、生命のシステムに縛られていなければ、「下らなくない」のか。
というか、生命である以上、生命のシステムから脱却できないはずだ。
それは価値判断を挟むまでもない「事実」であって、だからどうということはないはずだ。
更にいうなれば、社会システムや繁殖の利益を享受できない者の「敗者道徳」である。(そもそも、勝敗がつくのを嫌って土俵にすら登ろうとしていないのだが)

結局、ここで行き詰る時点で、大学生の頃から変わってない・・・
一時的な薬が猛毒となって自分を蝕む。
生命のシステムを否定するならば、自殺、これ以外に完結した答えが無いからだ。


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