弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

beyond death-colored-season・・解けない呪い

2018-10-29 00:40:21 | メンタル
詳しい発症はいつかは分からないが、鎮静系の向精神薬を使わないと、眠る前に動悸が起こる。

mECTの後であることは間違いないが、PTSDほどでもなく、mECTの直接の副作用というよりは10回目の手術が原因だとも思う。
すなわち、手術室で点滴が漏れているのではないかという騒ぎがあり、実際、点滴は漏れていなかったらしいのだが、その騒乱のうちに心が乱れたまま全身麻酔をした。
言ってしまえば、恐怖・トラウマ体験。

以来、眠るという行為が私の中で死を連想させるものとなっている。

以前、隣に友人でも恋人でも猫でもいてくれたら和らぐのではないかという考察をしたが、それもあまり当てにはならないようだ。

点滴で落ち着いて、この週末には古くからの友人と三人で旅行に行ったが、やはり眠る時は怖い。
睡眠だけではなく、くねった山道でバスに乗っているときも、
「落ちたら一瞬で終わりだな」
と考えていた。

旧跡から市街地を見渡しているときもそう。
果ては、電車に乗っているときもそうだった。。。

どう足掻いても、日常生活から、死のトリガーを払拭できない。
タナトフォビア・・なのだろうか。いや、それにしては日常生活を営めている。
達観している訳でもなく、動悸が起こっているときは特に怖い。
「このまま死ぬんじゃないか」
と。ただ、パニックになるというよりもその場で眠りに落ちるので強制的にその体験がリセットされる。
ので、克服という概念も無く、日々、それに委ねている。

既視感や軽い離人感も起こることがある。
まあ、説明しても理解されなさそうなので、カウンセラーにも主治医にもそこまで強く訴えてはいないのだが。

このまま、心が死んだまま、いや、徐々に麻痺していくのだろうか。
私は私を取り戻せないのだろうか。

・・・

それでも、自殺念慮が頻繁に起こる疾風怒濤の時期は去って行ったようだ。
今年も何とか生きられた。
来年は・・分からないな。

ともあれ、悪夢の季節は父の命日に墓参りをすることで終わらせよう。

手術云々もだが、結局、始まりは15年前のあの日からか。

・・・

いつ、どこで、どのように死ぬか分からない。
この思考の習癖は呪いだ。
未来とやらを曇らせる。

それでも何もしないよりはマシならば、明日から一日一日を生きていくしかない。
明日があるかも分からないが。


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