goo blog サービス終了のお知らせ 

観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

美人女医さんと

2009-12-16 20:57:30 | コラム
 歯科の女医さんに診察してもらっていることは既に報告しました。巷では、話題になる女性には、すぐに「美人」という言葉が付けられます。「美人詐欺師」とか「美人社長」とか、世の中にそんなに美人が多いのかと驚くほどです。しかし、私の診てもらっている女医さんは、正真正銘の「美人歯科医」です。ただ、すぐに歯を抜いてしまうし、やたらドリルで穴をあけたがるし、治療には問題があるような気もいたします。
 先日来、抜いた歯の後に入れる義歯を入れる準備をしていますが、ところどころで歯石を取り除く治療があります。それは、アシスタントの女性がやってくれます。美人女医さんは麻酔の注射をこれでもかとしてくださったところで交代です。先日、若いアシスタントの方が歯石を取ってくれたのですが、彼女の胸が私の胸のあたりに触れて、とてもよい思いをしました。
 生来真面目な私は(自分で言うなよ)、そんなことを期待もしていなかったし、考えたこともなかったのですが、治療の中では、倒れた椅子に座る私の上に、覆いかぶさるようにして治療をするわけですから、互いの胸が触れ合うのは、理の当然と言わねばなりますまい。私が好色だとか、アシスタントの方が悪戯好きだとか、そういう問題ではないことだけは確かです。
 物理的に当然、すなわち必然の結果として得られた幸運は、棚から牡丹餅的なものです。運が悪い私にも、必然の結果としてもたらされた幸運ですから、恐縮したり恥ずかしがったりする必要はありません。そう思ってしみじみと治療を受けていると、何とも幸福な気分になりました。邪心がないかと言われると返答につまりますが、まさか、治療中に変なことはできないし、アシスタントの方を口説くなんてこともできません。だいたい、口を開けたまま治療を受けているので、しゃべれないわけですから不可能です。そう思えば、妙な下心もなく、素直に母性的な触れ合いを楽しんでいるわけで、無邪気といいますか、微笑ましいシーンと言えましょう。どう強弁しても、いやらしくしか聞こえないこともわかります。わかりますけど、そんなに汚い気持ちじゃないと思うのです。それと、若い女性でも結構お腹がゴロゴロ音を出しているのですね。妙なことで親近感を感じました。
  まあ、どう思われても構いません。歯の治療は続きます。歯石取りもまだあるでしょう。期待するわけじゃありませんけど、またいそいそと出かけて行く私です。


初冬

2009-12-15 21:22:34 | コラム
 父は昔から薄いステテコを履いていました。ステテコ、実家では「ズボン下」と言っていました。関西ではパッチと言いますね。少しずつ意味が違うような気もしますが、それを、ずいぶんと年寄りじみていて、かっこ悪く感じていました。歳をとっても自分は絶対に履かないぞと誓っていました。でも、この数日の寒さに節を屈して、今日からタイツを履いています。もともとはスキー用に買って使っていたものです。履かないと誓っていたので、それくらいしか箪笥には在庫がありませんでした。
 どうしてタイツを履いたかには理由があります。私のズボンはみな夏に買った薄手のものばかりだからです。毛の厚いズボンは、みな痛んで捨ててしまい、冬用のズボンがないのです。考えてみれば、父も、厚手の上等のズボンは持っていなかったのではないでしょうか。だから、薄手のズボンでは寒いので、ステテコを履く習慣が身に着いたのかもしれません。毛のズボンはもともと高い上に、クリーニングに出さないといけませんから高くつきます。貧しい頃には、普段着にはできなかったでしょう。父がどんなズボンを履いていたのか思い出すことはできません。だから、自信を持って言うことはできませんが、まず間違いないでしょう。それほど、貧しい家庭でした。日本全体も、まだ貧しい時代でした。歳をとって気づくことってたくさんありますね。ステテコのことも、その1つでした。
 今日は曇りの予報でしたが、午後から日が出ました。カーテンを閉めた窓外を、はらはらと散っていく落ち葉のシルエットが見えました。初冬という季節になってきたと思います。

雨の思い出横町

2009-12-12 21:03:30 | コラム
 雨の金曜日、ひとりで新宿に出かけ、思い出横町に入りました。そこは、新宿の一角に取り残されたように残る飲み屋街です。かなり前に火事で多くが燃え、再開発の機運が高まったようですが、また以前のようなごみごみとした横町に再建されました。私が大学生の頃は、火事の前でした。当時は、思い出横町などという名前ではなく、しょんべん横町と呼ばれていたと思います。チュウハイやホッピーが出始めの頃で、私は10杯飲んで驚かれたことを覚えています。
 今回は、会うことになっていた女性に振られ、気分が少し沈んでいました。だいたいそうだろうと覚悟はしていたのですが・・・。赤提灯が点り、焼鳥を焼く匂いが充満した路地を何度か往復して、一軒の店の縄のれんをくぐりました。カウンターに座り、燗酒を注文。「何がいいですか」とこちらから尋ねると「7本のセットがあります」と言われ、即決。「頭からしっぽまで一通り食べられます」と聞いて、焼鳥屋ではないことに初めて気づきました。そこは鰻の串焼き屋さんだったのです。7本の内訳は、蒲焼きふうのものが3本、あとはひれというのが2本と臓物系が各1本という内容。お酒2合と合わせて2100円でした。
 連れもない私は、路地に降る雨を眺めていました。「もう少し遅かったら断ってましたよ」と言った店主は、「今日は余っちゃったなあ」と言いながら、早々に火を落とし、ラップをかけた容器を冷蔵庫へしまっていました。「今日あたりは、不景気だけど忘年会とかやってるんでしょう」と、客が少なかったのを説明してくれました。
 焼き台の上に下がった裸電球は、傘の部分から厚い埃と油に覆われて、年季が入っていました。横町の片隅で、鰻一筋に生きてきた歴史や気っ風が感じられるようでした。常連客が数人、酔って絡み合うようにカウンターに座っていました。地元の人達で、皆幼なじみのようでした。私も、地元に根を下ろして生きたかった。そうすれば、馴染みの店の数軒はあったかもしれません。私は、早々に勘定をすませて、雨の止まない街に出て、そのまま帰途につきました。

こむらがえり

2009-12-10 20:59:26 | コラム
 学生時代に仲間が、ふくらはぎを「ふくろはぎ」だとずっと間違えて使っていたという話があり、皆で笑い物にしました。
 「こむらがえり」を「コブラがえり」と間違って覚えている人がいるというのも、よく聞く笑い話です。私は、昔から寝ているときに伸びをすると、こむらがえりを起こします。これはふくらはぎがつるような症状で、ものすごく痛いです。当然目が覚めますし、声を上げるほどです。激しい時には、起きてから午前中いっぱいくらいまで、足を引きずって歩くようなこともありました。筋肉の痛みはミネラル不足から起こるといいますが、まだ原因はよくわかっていないようです。
 最近、立っていて体をひねったとき、二度ほど、同じような痛みを足の甲に感じてうめきました。これも、こむらがえりというのでしょうか。そう思って調べてみたら、大腿部、前腕部、脇腹、首前部、足指など、いろいろな部位でこむらがえりが起きるようです。ふくらはぎだけではなかったんですね。
 私は肩に関節ねずみという症状をずっと持っています。腕を動かすと、両肩から二の腕まで痛みが走ることが多いです。いろいろ理由は考えられますが、歳をとったというのがすべてでしょう。若い頃には感じたことのない様々な痛みが襲ってくるようになり、自分の老化を自覚しています。
 肩凝りも尋常ではない。昨日、散髪に行って、マッサージ機をあてられたら、とんでもなく気持ちがよくて恍惚としてしまいました。幼い日、よく母の肩を揉んであげました。自分でやられるとくすぐったいだけで、どうして大人は肩を揉まれると気持ちがいいのか、理解できませんでした。そうしたことも歳をとるとわかってきます。歳をとらないとわからないこともある。それは、よいことばかりではありませんが、だからこそ生きている価値もあるのかもしれません。

ブリの塩漬けとクジラ汁

2009-12-09 20:56:46 | コラム
  岐阜では富山湾で獲れたブリを塩漬けにして「年とり魚」として食べる風習があるようです。ブリはブリ街道を運ばれて、山間の村々に届けられ、正月に花を添えたことでしょう。山の民は海で獲れたご馳走を楽しみにしていたに違いありません。塩ブリは年末から正月の風物詩となっているのでしょう。郷土料理っていいですね。私も旅行先で、いろいろな土地の郷土料理を地酒とともにいただくのが何よりの楽しみです。
 私の母は北海道の出身で、年越しにはクジラ汁が不可欠でした。雑煮と同じような具を入れた汁物ですから、雑煮とかぶってしまい、食べきれずに捨てる羽目になることもありました。クジラ汁には、大根やゼンマイが入っていて、子どもにはあまり美味しいと思える料理ではありませんでした。脂ぎったクジラ肉も、旨いと感じたことはありませんでした。
 母も高齢になり、ほとんど寝たきりになりました。老父が食事の世話をしているようなありさまです。もう正月料理を作るために台所に立つこともできません。我が家の年末年始からクジラ汁が消えて、ずいぶん長い時間がたちました。あれを食べたいとは今でもそれほど思いませんが、以前に比べれば、嫌悪感も少なくなっています。出されたら食べてもいいなと感じるようになりました。否、むしろ、食べたいと思っている部分があるかもしれません。
 こうした郷土料理や家庭の味がどんどん姿を消していくのは寂しいことです。人間、五官が覚えている記憶と言うものがあると思います。そして、それはえてして強烈な思い出になっているのではないでしょうか。年の瀬が近づいて、そんなことを感じました。

ハエと時間

2009-12-08 20:51:15 | コラム
 京大でショウジョウバエを暗闇で50年間飼育した結果が発表されました。ショウジョウバエの寿命は50日なので1400世代飼育したことになるそうです。人間にすれば3~4万年にあたるといいます。全遺伝情報を解読した結果、嗅覚やフェロモンに関する遺伝子など、約40万か所でDNA配列の変異が見つかったそうで、生物の進化の過程を知る上で貴重なデータとなりそうです。
 この記事を読んで、時間というものを改めて考えさせられました。1954年に、この実験を始めた教授は既に亡くなり、その後、歴代の教員や学生が延々と引き継いできた成果です。最初に始めた教授が、そんなことを発想しなかったらそもそもなかったわけですし、その後、誰かが途中で投げ出していたら、続かなかったわけです。時間を超えた継続性があって初めて今日の成果があるのです。
 時間は過ぎてしまえば、二度と取り返すことはできません。だから聖なるものであり、誰にでも平等なものです。本来なら、環境に合わせて変化していく昆虫の適応能力に驚くべきなのかもしれません。でも、私には、時間の不可逆性といったもののほうが神秘的に感じられるのです。私の感じ方は少しおかしいでしょうか。

時には逆転もあるものです

2009-12-07 21:42:17 | コラム
 上司に蹴られ、一度は諦めかけたプランでしたが、その後、間に入ってくれる人がいて、再び社長に直談判に及びました。メインのプランを引き立てるサブのプランを画策し、猛烈にアピールしたところ、何と社長が折れて、私のプランが通ることになりました。まだ、正式な会議を経てはいませんが、かなり有望なところまで漕ぎ着けたようです。以前に、ここで触れたときには、社長をこき下ろしたのでした。でも、結果が変わってくると、なかなか懐の深いところもあるんじゃないのと思えてくるから現金なものです。
 会社の歴史に残る仕事ができたと私は満足しています。でも、一緒になって喜んでくれる人がいないのは淋しいことです。職場にも家庭にも、それを求めることができないのです。私の不徳の致すところです。このブログでも、ほとんど反響をいただけないのは、私のせいだと思います。「文は人なり」というように、文章の中に自然と、私という歪曲した性格が出ていて、嫌な印象を持たれてしまっているのでしょう。
そもそも、このブログを始めたきっかけは、何とかメルトモだけでもほしいという切実な思いからでした。その後、知らず知らずのうちに1年を経過し、駄文が積み重なっていくだけで、初期の目的は未だに達成されていない有様です。何の反応もない不特定多数の方々に向かって、読まれもしていない駄文を発信するのは何とも虚しいものです。たった1人でもいいから、何か言ってもらえる方がほしいと思います。その方のために今日はこんなことを書こうなんて思えたら、もっと力が入るだろうと思います。
こんなことを書いてもしかたがありません。自己満足のためでもいい、私はもう少しやってみます。このブログにも、仕事と同じような逆転があるかもしれない、それを願いながら。

ニルヴァーナの疑似体験?

2009-12-04 21:40:47 | コラム
 今日は帰宅途中で歯科に立ち寄りました。通い始めた歯科医は美人女医です。でも、思い切りがよく、すぐに抜いてしまうし、歯石取りも痛いし、サディストではないかと疑っています。
 今日は、麻酔の注射を打たれながら、小さい頃のことを考えていました。臆病な私は注射が嫌いで、予防接種などで順番を待つ間は、何か祈るような気持ちでいたことを思い出しました。注射に限らず、外界に対して、緊張して身構えていました。それが、社会不安障害となって現在にも残っています。しかし、今日は、どんなに身構えて自分を守ろうとしたって、人は誰も死んでしまい、忘れられていくんだと素直に考えていました。痛みを恐れる自分の小ささと、宇宙と言ってよい虚無の中に消えていく事実を思い浮かべて、それはそれでしかたのないことだと思えました。すると、その瞬間、自分が広大な宇宙に包み込まれたような、奇妙な感覚にとらわれました。それはまったくの一瞬で、ひょっとして、これが禅の大悟に近い感覚なのではないかと思い、反芻しようと試みましたが、無駄でした。あの自分と宇宙が溶け合うような感覚は、二度と蘇ってはきませんでした。
 もちろん、それを大悟などという気持ちはないですし、かといってオカルト的な霊感や啓示でもないと思います。貧血とか身体的なものでもないでしょう。何と表現してよいのかわかりませんが、安らかな、気持ちのいい一瞬だったことだけは確かです。
 歯の治療中という奇妙なシュチエーションで、ほんのささいな一瞬のことですから、これ以上、とやかく言いません。ちょっと不思議な感覚を味わったというのが、一番適当な結びの言葉でしょうか。

雨の日に考えたこと

2009-12-03 21:37:35 | コラム
 今日、幼稚園の前を通りかかると、クリスマスの飾りつけが雨に濡れていました。最近は、一般の家庭でも電飾が輝きだし、クリスマスの雰囲気が高まっています。私は出かけないのでわかりませんが、繁華街ではクリスマス商戦に突入していることでしょう。
 幼稚園の前を通って、自身の保育園時代のクリスマスを思い出しました。寒いお遊戯場に集まり、皆で歌を歌い、お遊戯をしたあと、サンタクロースがやって来て、一人一人にプレゼントをくれました。それは、駄菓子を小さなビニール袋に袋詰めにしたものだったと記憶しています。それがとてもうれしくて、今でも忘れられません。
 今と違って、何もない時代でした。我が家はクリスチャンではないからと言って、ケーキさえありませんでした。貧しくて買えなかったのだと思います。さすがに、それは本当に幼いころだけで、小学生の頃にはケーキもプレゼントもありましたが、現代とは比較にならないささやかなものでした。でも、何日も前から楽しみにし、指折り数えてもらった物が、どんなにささいな物でも、うれしかった気持ちだけは記憶に残っています。
 何もない時代だから、ささいな物が心に染みたのでしょう。物が豊富な現代では、もちえない感情だろうと思います。私は見たことがありませんが、映画で「三丁目の夕日」シリーズがヒットしたのもうなずける気がします。ノスタルジーだけではない、心の豊かさがあった時代だと思うのです。
しかし、これはあまりにステレオタイプな展開ですね。私の感情の基底は立派なノスタルジーです。純真な時代が自分にもあり、その自分は既にいないという愛惜の情がすべてなのかもしれません。クリスマスに胸を躍らせていたあの頃、未来は大きく開けていました。少なくてもそう思われました。でも、今は? どうしてここへ来てしまったのか、後悔ばかりですが、誰を恨む筋合いでもありません。自分が選んだ道なのですから。
クリスマスの幼稚園の前を通りかかって、冷たい雨に凍るようでした。

シルバーシート

2009-11-28 22:03:08 | コラム
今朝も昨日も、朝、バスに乗ってシルバーシートに座ってしまいました。私が利用しているバスの場合、乗り込んで左手に横向きにシルバーシートが設置されています。今まで、そこに腰掛けることはありませんでした。ここ数日、階段でめまいがしたり、ちょっと健康に不安が出てきたこともあります。でも、もっと自然な行動をとろうという気になったことの方が大きいかもしれません。
 海外にはシルバーシートのようなものはないそうです。カタカナ語ですけど、完全な和製英語のようです。なぜ外国にないかと言えば、外国ではハンデのある方などに席を譲るのは当然だからだそうです。日本とはずいぶん違うものです。これはキリスト教の博愛精神のようなものがベースにあるのでしょうか。
そんなものをあえて作らなければ席も譲れないというのは情けないですが、私だって他人のことは言えません。恥ずかしいし、「老人扱いするな」と怒られたこともあるので、席を譲るのが難しいなら立っていた方がましだと思っていました。
でも、バスの利用者なら同意していただけると思いますけど、降り口に近い通路に人が立っているのは邪魔なんですよね。席が空いているなら、座ってもらった方がありがたいと思います。空いているのに、通行の妨げになって立っているというのは、どう考えても合理的な態度ではありません。
日本人は何でもルールを作ってしまう、だから、自分で状況を読んで判断する能力がなくなるのだと非難されます。実際、海外に行くとわかりますが、信号や標識が少ないです。皆が自分の判断で道を渡り、自分の判断で速度を決めています。シルバーシートに限らず、私たちも、決められなければやらないではなくて、もっと自分の判断でしっかりと行動しなくてはならないと思います。説教をするのでなく、自戒をこめてそう思います。

芸術に触れる地域の取り組み

2009-11-27 20:16:56 | コラム
 川崎には、地域の人たちが会員になって、芸術を鑑賞する組織があるということで、出かけてみました。その日は、公民館に劇団を招いて、子どもたちに劇を見せるという催しでした。幼い子供たちが、母親に連れられて集まっていました。開演時間、公民館の大ホールは半分くらい埋まっていました。
 演劇の内容は、少年が老人ホームに入っている老人と知り合い、交流する物語。老人は孫になった少年に口笛の吹き方を教えたり、昔、サクランボをとって食べたスリルを話したりします。少年たちは、老人の誕生日を祝おうと、夜の野外へ老人をいざない、木に登ってサクランボを食べるスリルを一緒に体験したり、パーティーをしたりします。アルバイトで買ったネクタイも贈りました。しかし、心臓を患っていた老人は、病状が悪化したのか、その後、亡くなってしまいます。絶句する少年たちを、老人の知人だった老婆がなぐさめて終わりです。
 孫ができたことから自己の過去を思い出し、血がつながっていくことの素晴らしさ、喜びを語る老人の姿が印象的でした。「人生には意味がなくても大切なことがある」など、小学生が対象だという劇にしては、なかなか難しいと思いましたが、カーテンコールで、老人役の俳優さんが言いました。難しくてわからなくても、ワンシーンだけでも記憶に残ればいい、と。種をまくというのは、そういうことだと思いました。
 小さい子供を連れて観劇に出かけようと思えば、行くだけでも大変です。だいたい、就学前の子どもが見られるような演劇やコンサートはごく少ないでしょう。地域の人たちが力を合わせ、自分たちの手で運営するからこそ、小さな子供たちも参加できるのです。それは素晴らしいことだと思いました。わからなくても優れた芸術に触れる必要はあるというポリシーは「人生には意味がなくても大切なことがある」とピッタリ符合するものだと気づきました。

桜にまつわる思い出

2009-11-26 23:13:26 | コラム
 私の職場の窓から、桜が見えます。仕事に疲れて、ふと目を上げると桜が見えるというのはよいものです。桜と言えば、春ということになりがちですが、春ばかりではありません。今時もなかなかよい風情です。風が吹くと紅葉が舞う様は、春に花が舞う様子同様に美しいものです。春には満開の花、秋には赤い紅葉と、桜は年に2回も目を楽しませてくれます。
 遠い昔、ある女性と、桜の木がある家を買おうと考えたことがありました。某不動産屋が開発した宅地で、できるだけ自然を残して家を建てるというコンセプトのもとに、林に家が点在する別荘地のような一角になっていました。隣家との境にも塀などはなく、木々で適当に仕切られているといったあんばいでした。そこに1つのコミュニティーを形成しようという意図らしく、入居者にも大学教授や芸術家がいるという話でした。
 1棟だけ売れ残っていた家は、とても綺麗な建物でした。建具なども凝っており、海外のものを使っているのが自慢のようでした。2階のテラスを見せてもらったとき、大きな桜が家の上まで枝を広げているのに初めて気づきました。花の季節になったら、どんなにすばらしいことかと思わずにはいられませんでした。満開の花の下で、酒を飲んだり本を読んだりできたら、そして、その女性がいつもそばにいてくれたら……。そんなことを考えて買ってもよい気になりました。しかし、バブルの時期、売れ残りとはいえ、大変高価で、諦めざるをえませんでした。結局、私たちは別の家を買いましたが、一緒に暮したのは2年にも満たない間だけでした。
 桜が好きです。歳をとるにつれて、ますます好きになりました。桜にまつわる切ない思い出もありますが、歳をとれば、そういう思い出が増えるのもいたしかたないことでしょう。花を見るには、長い冬を越えなければなりません。窓の外を眺めながら、満開の桜を想像しています。

遅れてる

2009-11-18 23:32:24 | コラム
 定期券が切れて、今日、継続の手続きをしました。思い切って半年間で購入。すると、期限は来年の5月半ばまでなんですね。その頃、自分は何をしているのか、考えると、少し怖い気がしました。
 初めてPASMOでの購入です。本当は、従来通りがよいのですが、最近の改札機はPASMO専用のものが増え、従来の定期券で通過できる改札が、めっきり減ってしまいました。人の流れに乗って改札を通過しようとして、通れない機械だったりすると、人波に逆らって戻らなければならず、周囲のヒンシュクをかってしまいます。本当は、使いたくないのですが、しかたがありません。500円也の保証料を払って、PASMOにした次第です。
 定期でしか使えないのか、チャージして乗り越しなどでもスムーズに利用できるのか、私にはイマイチわかっていないのですが、たぶん、定期としてしか使わないでしょう。私は毎日バスに乗っていますので、バスでも使えれば便利でしょう。それから、最近、知人と移動する際、いちいち乗り換えで切符を買ったり精算したりするのは、待ってもらわなければならず、申し訳なく思っていました。これも、私がPASMOを使えるならば解決できます。
にもかかわらず、頑迷な私は使わないでしょう。私は、機械を信用していません。タッチして2~3倍くらいの料金を取られているのかもしれないのです。とても、気軽にタッチする気にはなれません。社会の進歩から取り残され、認知症になる典型のような気がします、私という人間は。

偶然の符合?

2009-11-15 22:24:04 | コラム
 はるか昔からのことですが、デジタル時計にふと目をやると、自分の生年月日を示している、ということがよくありました。別に、時間を気にして作業をしているようなときではなく、何時だろうと思って目をやるわけでもなく、本当にふと目を向けると、「あっ、まただ」という感じなのです。いつも時計になにがしかの関心を持ち、軽い気持ちで時間を見ることは、意識している以上にちょくちょくあって、たまたま生年月日を示しているときだけを、ことさら印象深く覚えているだけ、というのが本当のところかもしれません。
 しかし、つい先日、ちょっと不思議なことがありました。朝、自宅近くの停留所からバスに乗って、なぜか昔のことを思い出しました。それは大学の時に、国文学の演習を教えていただいた教授のことでした。その教授は『伊勢物語』の作者を紀貫之と推理して、それを証明する講義を1年間してくださいました。先生の講義は、極めて科学的なやり方で、主観的な判断を排除した、文学らしからぬ検証法でした。私は、文学の新しい研究法を知る思いで、毎回、興味深く講義を聴いていました。ですから、教授のお名前は今でもはっきりと覚えています。山田清市先生でした。
 その朝、なぜ山田先生のことを思い出したのか、まったくわかりません。大学卒業後は、お会いしたこともないし、消息すら存じ上げません。自分でも、不思議に思っていた、その矢先、バスの窓から、一枚のポスターが目に飛び込んできました。それは、講演会の案内のようで、講師の欄に「山田清子」というお名前が見えました。
 私は、その女性を知りません。でも、おそらく、私の教わった山田先生とは縁もゆかりもない方でしょう。そう考える方が自然だと思います。
 私のこの体験をどのように考えたらよいのでしょうか。偶然の符合とはちょっと思えません。きっと、私がそのポスターを以前に目にして、無意識の中に記憶していて、それが、山田教授を思い出させたのではないか。私は、それが一番妥当な考えではないかと思っています。もし、そうだとしても、人間の脳というのは不思議なものです。また、無意識の領域というのは神秘的なものだと思わずにはいられません。無意識というものを改めて考えさせられる体験でした。

悔しい

2009-11-12 22:17:27 | コラム
 数日来、仕事に忙殺されました。久しぶりに家にも仕事を持ち帰り、夜中まで机に向かう日もありました 
 あるプランを立てる仕事でした。明確なコンセプトを作り、それを具現化するものを具体的な形で示さなければなりません。休日に図書館に行って資料を借りたり、ネットを使って発想を得たりしてみました。
 その甲斐あって、私のプランは少しずつ発展し、締め切り前夜、啓示にも似たひらめきを得て、会心のプランが完成しました。何年ぶりかで味わう高揚感でした。
 これならいけると、意気揚々と出勤したところ、周囲の反応はイマイチで、社長にプレゼンをするところにも至らず、あえなくボツとなりました。
 最近、片付ける暇もなかった机上を整理して、今日は、退勤時間少し過ぎに退社。いつもの西友の一角で、発泡酒とふなくち菊水一番しぼりを飲んで帰宅しました。
 プランの決定では、役付の社員は皆、社長のプランを支持したようですが、私が見る限り、新しさも気品もない、ダサいプランにすぎません。上に立つ者、どうして仕事を下に任せて、自分が決済するという度量を見せてくれないのか。自分が企画して、部下を差し置いて、それをごり押しするなど、もってのほかと思います。最初から、そのつもりなら、部下に仕事を回すな、と言いたくなってしまいます。
 自分のプランが大したことないなら、とやかく言いません。社長より数段優れているという自負があるから言うのではない、いいと思うものはいいから、惜しいのです。功名心などありません。会社のこれからのことを考えても絶対にいいと思うから無念なのです。
 宮仕えって本当にキツいものですね。上司や、無責任な担当者によって、苦労もあっけなく葬り去られてしまいます。憤懣やるかたないけれど、やっぱりどうしようもないのがサラリーマンでしょう。
 きっと多くの皆さんが、今日の私のような経験をなさっていることでしょう。今日だけは愚痴らせてください。明日からは、また頑張りますから。