今日は仕事で、勤めて最初に赴任した街へ行きました。行ってみてびっくり。駅前からかつての職場まで、街並みがすっかり変わっていて、懐かしく感傷に浸ることもできませんでした。
アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」、BOROの「大阪で生まれた女」、伊丹幸雄とサイドバイサイドが歌った「街が泣いてた」などなど、街に別れを告げる歌には名曲が多いですね。私も住居を転々としましたので、感情移入する部分が多いのかも知れません。
敬愛する建築家の安藤忠雄氏は、阪神淡路大震災のとき、街が崩壊するということは、単に街並みがなくなることではなく、そこで暮らした人々の記憶や思い出が消滅することだといった話をなさいました。さすがに偉大な建築家だと舌を巻いたものですが、街とは、あるいは建築物とは、そういうものだと思います。西欧では、戦災などで壊滅的な被害を受けた街並みを何十年もかけて元通りに復元しています。街や地域社会を大切にする思想が窺えます。
今日、わずかに記憶に残っていた建築物は、古びたスナックと雀荘が長屋になったモルタル二階建ての廃墟だけでした。それが無くなれば、あの街と私との接点も完全に消え失せてしまいます。
アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」、BOROの「大阪で生まれた女」、伊丹幸雄とサイドバイサイドが歌った「街が泣いてた」などなど、街に別れを告げる歌には名曲が多いですね。私も住居を転々としましたので、感情移入する部分が多いのかも知れません。
敬愛する建築家の安藤忠雄氏は、阪神淡路大震災のとき、街が崩壊するということは、単に街並みがなくなることではなく、そこで暮らした人々の記憶や思い出が消滅することだといった話をなさいました。さすがに偉大な建築家だと舌を巻いたものですが、街とは、あるいは建築物とは、そういうものだと思います。西欧では、戦災などで壊滅的な被害を受けた街並みを何十年もかけて元通りに復元しています。街や地域社会を大切にする思想が窺えます。
今日、わずかに記憶に残っていた建築物は、古びたスナックと雀荘が長屋になったモルタル二階建ての廃墟だけでした。それが無くなれば、あの街と私との接点も完全に消え失せてしまいます。