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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

よい歯科医とは?

2008-10-26 23:49:12 | コラム
 大学入学とともに上京以来、引越を繰り返して今日に至りました。その数、10回を超えると思います。別に引越が趣味というわけではありませんが、やむを得ない事情で引越をしてきました。
 そのたびごとに、買い物するスーパーや散髪店、病院などが変わるのも、結構大変なものです。私の場合、歯が丈夫でないため、歯科医で苦労しました。引越だけでなく、転勤するたびに通う歯科医も変わるため、目まぐるしく転院することになりました。その結果、当たり前のことですが、歯科医にもいろいろな先生がいるなあということを感じます。
 先々月の末から、週1回のペースで、新しい歯科医にかかりました。住宅地の中にある個人医院で、職場に近いことから、職場での評判なども聞いた上で選びました。通院のきっかけは、親不知の虫歯でしたが、それは即日抜いて解決。その後は、メンテナンスを中心に1ヶ月間通いました。
 今回の先生のよいところは、まず、インフォームドコンセントが徹底していたこと。現在の症状はもちろん、近い将来に起こるであろう問題点を詳しく説明してくださり、治療法を提案してもらいました。次に、今までの歯科医がしてくれなかったような治療があります。私の前歯は、もともと少し間が空いていましたが、ある時、チキンカツが間に入って、大きく開いてしまいました。こうした場合、直後なら矯正することが出来るそうですが、私は機を逸してしまい、以来、相当なスキッ歯でした。これを診て、なぜ放っておいたのかと怒る先生などもいらっしゃいましたが、怒られてもどうしようもないわけで、よくわからないまま謝ったりしていましたが、今回の先生は、隙間に詰め物をして、格好をつけてくださいました。今回、素人としては、そんなことができるとは思ってもいませんでしたし、可能だったのなら、過去にかかった先生方が、なぜもっと早くそうしてくれなかったのかと憤りすら感じました。
 治療を終えた先生は、周囲の評判を聞いて、少し削って前歯を小さく見せるとか、今後の治療を考えましょうと言ってくださいました。ところが1週間以上たつ今でも、私の前歯に隙間がなくなったことに気づく人は一人もおらず、したがって、前歯が大きくてみっともないとか、少しはいい男になったとか、そういう反応は皆無でした。今さらながら、自分の影が薄いことに気づかされ、多少はショックでした。職場でも家庭でも、ほんの数秒でも互いの顔を注視しながら話すという場面がない日常ですので、考えてみればしかたのないことでした。
 結局、多少幅を削っただけで、整形とも言える前歯の治療は終わりました。私は、容姿に関する劣等感を一つ薄めることができて満足でした。もちろん、歯の安定性が出て来て、実際に咀嚼が楽になりました。
 医師を頻繁に変えねばならなかったことが、今回、功を奏したと思います。今回の先生に出会わなければ、このような治療をしてもらうこともできませんでした。セカンドオピニオンではありませんが、医師も十人十色、治療法もそれぞれ違うということは、肝に銘じておきましょう。 

運の善し悪し

2008-10-21 02:39:36 | コラム
 幼い頃、お小遣いの10円硬貨を握りしめて駄菓子屋に日参していました。そこでは、一回5円のクジを2回引くのが日課でした。毎日通ったのに、めぼしい賞品をゲットした記憶がありません。いつもハズレの粉ジュース(有害な合成甘味料入り)を舐めていたように思います。人の良さそうな店番の老婆さえ、胡散臭く見えて、自分は運が悪い人間なのかと、幼心にも淋しく感じました。
 ギャンブルをする方ならおわかりでしょうが、運というものは確かにありますね。ツキと言い換えてもよいのでしょう。ツキには波があり、何をやってもうまくいくときと、そうでないときがはっきりとしています。それは人事を超えたものに支配されているようです。「世の中、たいがいのことは努力すれば上達するが、競馬だけは、努力しても、長くやっていても上手くならない」・・・・・・知人の名言です。
 少し前まで、私は人生を一回きりの神聖なものと感じ、それとどのように対峙したらよいかと、眉間に皺を作る毎日でした。それが、最近、肩の力が抜けたと言えば聞こえはよいですが、もうどうでもよいような気になってきました。おそらく先が見えてきたからでしょう。
 人生をギャンブルに例えれば、私は負け組でしょう。でも、運が悪かったわりには、よくここまで来れたという思いもあるので悲壮ではありません。だから、さだまさし氏の名曲『無縁坂』の一節、「運がいいとか悪いとか、人はときどき口にするけど、そういうことって確かにあると、あなたを見ててそう思う」を思い出しても、感じるのは粉ジュースの妙な甘ったるさなのです。
 本来なら、苦い悔恨が甦るはずなのに、なぜ粉ジュースの味なのでしょうか。それは、私に運がなかったからではなく、それ以前の問題として、運を呼び込むような行動をしていなかったということに原因があると思います。宝くじを買わなければ当たらないように、私は眉間に皺を作るだけで、運をつかむための行動をしてきませんでした。見栄坊の私は、体面を重んじ、いきおい臆病になっていたのだと思います。
 自分から切り出しておきながら妙な結論になりますが、私には運の善し悪しを論じる資格がないことに気づかされます。それは、運が悪かったということよりも、惨めで哀しいことかもしれません。

あの日に帰りたい?

2008-10-20 00:26:03 | コラム
 大学を卒業してすぐに金融関係の企業に就職した私は、京都支店に営業職として赴任しました。私の担当する最大級の個人事業家がSさんでした。Sさんは、60歳半ば、小柄で話好きな生粋の京都人でした。息子より若い私を仕込もうと考えたのか、私に目をかけてくださり、打ち合わせと称しては喫茶店に連れ出してくれたり、碁会所に連れて行ってくれたりしました。あるときは、私を自宅に招いて、手作りのカレーをご馳走してくれたこともありました。Sさんは、若くして夫人に先立たれ、男手一つで息子さんを育て上げたので、家事は手慣れているようでした。
右も左もわからない京都で、私もSさんを頼りにし、一緒に昼食をとったり、緑内障で車の運転に不安が出てきたSさんに同行して、車を運転したりするようになりました。
 「わしも、もう歳やし、しんどくなってきてんねん。どうや、わしの共同経営者にならんか、会社奉公なんて邪魔くさいやろ。小さいけど一国一城の主やで、気軽でよろしいがな」
 Sさんは冗談めかして、そんなことを言うことがありました。息子さんは勤め人で、跡を継ぐ意志はないとのことでした。勇退を考え始めたSさんは、私を誘ってくれたのでした。それ以上ない私への信頼を示してくれたわけですが、当時の私は、転職や関東に戻ることばかりを考えていましたので、態度保留のまま、退職の日を迎えました。居酒屋のカウンターで退職祝いをしてくださったSさんは、「せいぜいおきばりやす」と言って、笑顔で京都を送り出してくれました。別れたあと、暗い路地を千鳥足で遠ざかって行った小さな後ろ姿が、今でも目に浮かびます。
 私は、東京に戻り、転職を果たして、現在に至りました。年賀状を交わしてきたSさんでしたが、晩年は老人ホームに入り、数年前に、跡を継いだ息子さんから年賀欠礼の葉書を受け取りました。「相変わらず、ぼちぼちやっています」という律儀な文字を目にすることもできなくなりました。
 ときどき、Sさんのもとで京都に残っていたら、果たしてどんな人生だったかと思うことがあります。さらには、同僚だった女性とお付き合いできていたら・・・・・・などと、女々しい妄想をたくましくしていくと、何とも甘酸っぱい思いも加わって、いたたまれなくなってしまいます。悔恨に近いものを感じたりもしますが、もうどうしようもないことです。生きると言うことはそういうもので、結果論を問題にしてもしかたがありません。
 秋の気配が強まると、毎年、よけいなことを考えて、眠れなくなってしまいます。そんなとき、「生きるなんて、邪魔くさいことやなあ」というSさんの口癖が聞こえてくるようです。あの人なつこい笑顔とともに。
 
 
 

コカコーラ・レヴォリューション

2008-10-17 22:23:38 | コラム
 高校1年生の夏、英会話の教材が欲しくて、夏にビアガーデンでアルバイトをしました。そのとき、よく口にするようになったのが、当時はまだあまりポピュラーではなかったコカコーラでした。
 最初は、薬臭いのを我慢して、格好つけて飲んでいるだけでした。とても人間の飲み物ではないと思いました。慣れるにつれて、拒否反応は薄まりましたが、今でもそれほど美味いモノだとは思いません。
 大学の社会学の講義で、日本人の味覚が欧米風に変化するきっかけとなった事件として「コカコーラレヴォリューション」を習いました。以後のファーストフードの隆盛を考えると、確かにコーラが日本中で認知されるようになったことは、大きなエポックであったと思います。
 美味しいと思わないコーラをかなり飲んだのは、格好をつけたいからだけではありません。当時、写真のキーホルダーがほしくてたまらなかったのです。プラスティック製で、実に精巧でキュートなこのアイテムは、コーラを何本か飲んで応募するともらえる景品だったと思います。なぜそれほどまでに欲しかったのか、今となっては思い出すこともできませんが、あの頃は、数本手に入れて悦に入っていた覚えがあります。
 ちなみに、大きさの比較用に写したのは、地ビール第1号のエチゴビールが限定発売していたヴァイスという発泡酒の350ml缶です。当時のエチゴビールは元気がよく、味も今より上でした。このヴァイスは、原料にコリアンダー、オレンジピール、ジンジャーを加えた画期的な商品で、その爽やかな美味さは、他に類を見ない素晴らしいものでした。缶のデザインも、たしか横尾忠則氏に依頼するほどの力の入れようでした。2~3年で姿を消してしまいましたが、今でも残念でなりません。
 あれほど夢中になったキーホルダーも手元には1つしか残っていません。ヴァイスの素晴らしい味わいも、もう遠い過去のものになってしまいました。時代だけが、私を置き去りにして加速度を増していくばかりです。コカコーラ・レヴォリューションに乗り遅れた私は、二度と時代に追いつくことはできないのかもしれません。
 

私の車遍歴

2008-10-15 22:24:03 | コラム
 大学時代に免許を取り、最初に買ってもらった車はスバルレックスというモスグリーンの軽自動車で、中古車でした。次はファミリアプレスト、さらにカーキ色のカローラ、スバルレオーネ、白の日産サニーと中古車ばかりが続きます。サニーは社会人になってからの購入でした。600キロを12時間ノンストップで走るという馬鹿げた記録を打ち立てたのは、この車でした。その後は日産セドリックとトヨタチェイサーに長く乗りました。2台ともディーゼルの中古車で、帰省や旅行に活躍しました。それから、皮革シート仕様のフォードフェスティバ、日産パルサーに乗り、最後の中古車は日産ローレルでした。メダリストというグレードでしたが、足回りがよくできており、私の乗った車史上、最も鋭い走りの車でした。なぜ中古ばかりかというと、知り合いが中古車を扱っていたからです。
 2年ほど前に、初めて新車でホンダのステップワゴンを購入しました。中古車で十分だったのですが、知り合いに頼まれ、親族の援助や値引きに惹かれて買ってしまいました。なかなかよい車ですが、燃費が悪すぎるのが欠点です。
 これまで乗った車で、一番印象深いのはトヨタのチェイサーでした。ディーゼルターボで走りもよく、高速ではリッター20キロ近く走ったと記憶しています。数回車検をとって大事にしていましたが、電気系統のトラブルが解決出来ず、走行距離も13万キロになったのを機会に手放しました(当然、廃車になりました)。
 車というものは、物という気がしません。一緒に走り、一緒に暮らし、孤独を癒してくれたパートナーのような気がするのです。
 今のステップワゴンには、それほどの愛着がわきません。この半年近く、私はほとんど運転していませんから、それが原因かもしれません。でも、一番の原因は私が歳をとったせいでしょう。
 時折、日産スカイラインで旅をする妄想を抱きます。すると、なぜだか、また、走る楽しみが甦るのではないかという気がしてくるのが不思議です。

朗報! あがり症は薬で治る

2008-10-15 03:38:52 | コラム
 今日は人事異動のためのプレゼンがあり、あがり症の私は心療内科で薬を処方していただいて、決死の覚悟で臨みました。
 一日一回のゼパゾンとデブロメールは12日と13日の夜に2回服用。本当はもっと飲みたかったのですが、酒を飲む都合で2回となりました。両薬とも、アルコールとは相性が悪く、副作用があるとのことでしたので服用を控えたのです。そして、今日の本番では1時間前にソラナックスとアルマールを服用して会場入りしました。
 いつもなら、極度の緊張で激しい動悸や腹痛があり、足の震えや書痙の症状が出る上に、意識も飛んでしまって、まともに話もできないような感じになるのですが、今日は鈍い動悸があるだけで、私としては大変落ち着いてプレゼンや面接を終えることができました。本番はもちろんですが、事前に感じる不安や緊張も相当緩和されていたと思います。今まで、あがり症で苦しんできたのは何だったのか、もっと早く薬に出会っていればよかったと痛感する結果でした。
 私と同じような悩みのある皆さん、あがり症は薬で改善されます。また同じような緊張の場面が想定されるときは、私は迷わず薬を服用するでしょう。多少眠くなるのが欠点くらいでしょうか。
 今日は薬のおかげで、納得できる結果が得られたと思います。たとえ不合格だったとしても満足です。

気分を変えて

2008-10-11 01:12:43 | コラム
 今回、初めてテンプレートのデザインを変更することにしました。本当は、従来の、紺地に白字が浮き出すものが気に入っているのですが、テンプレート編集が一切できないので、やむなく変更することにしました。
 なぜ、テンプレート編集が必要になったかというと、最も大きな理由は、ブログ内に、どうしても「メッセージ」欄を置きたかったことです。このブログを始めたのはソウルメイトを求めてのことです。ここまで、かなり自分を露出してきたと思いますので、そろそろ反響がいただけたら・・・・・・と思うわけです。個人的にメールのやりとりができたらうれしいと思います。ネットをお使いの方の多くが、そういう交流を望まないことは承知していますので、気長に待たせていただくことにします。
 次に、ブログパーツを設置したかったことです。まず、「gooあしあと」というアクセス解析が行えるものを置きました。まだ、どのようなものなのか、正直よくわかりませんが、いろいろ試したいと思っております。
 リニューアルオープンといった気分です。今後もどうぞよろしくお願いします。
 

社会不安障害

2008-10-09 00:28:39 | コラム
 昨日の続編を早速。
 都内の心療内科は予約が取りにくいことは知っていましたが、本日、職場に近いクリニックに電話したところ、幸いにも午後なら空いているとのことで、診察を予約することができました。
 万障繰り合わせて行ってみると、やはり患者さんが多く、受診まで約1時間かかりました。もっとも、その間、初診の理由書や3種類の簡単なテストがあり、「死にたいと思うか」「現状に満足しているか」などの質問に回答しました。
 それらの結果に基づき、医師と面談。医師は、ゆったりとした口調やペースで、さらに家族構成や幼少期の性格などを質問した後、「あなたは典型的な社会不安障害ですね」と診断を下しました。私のあがり症は、やはり病気だったのです。
 私は、1週間後に迫ったプレゼンのことを話し、薬の処方をお願いしました。医師が快く応じてくれたので、調査した結果を基に、安定剤とβブロックの薬で治療する例があるらしいですが・・・・・・と切り出すと、そうしましょうと同意してくれました。
 処方箋を持って薬局に行くと、1日1回、夕食後に服用する薬としてセパゾンとデブロメール各10日分、頓服としてソラナックスとアルマール各5錠をもらいました。意外だったのは、いきなりデブロメールを処方されたことですが、25mgという一番小さな錠剤であるとのことで、まあ妥当な選択なのかと思い、服用することにしました。
 本来であれば、この種の薬を初めて服用した状況を報告すべきところですが、本日は、久しぶりに飲酒しようと考えていたこともあって、服用を回避しました。いずれもアルコールによって効能が強化されたり、副作用を伴うからです(今現在、沢の鶴270mlを飲みながら、書き込みしております)。
 今日は、心療内科を受診でき、思惑通り、薬を手に入れることもできて満足しています。あとは、薬が体に合うのかどうか、薬の効能によって、本当にあがり症が緩和されるのかどうかが問題です。また、続報することにいたします。
 ちなみに、本日かかった費用は、診察費2750円(3割負担分)、薬代710円でした。保険がきいたようで、予想以上に安価でした。
 

あがり症なんです

2008-10-08 01:44:06 | コラム
 恥ずかしながら、昔からあがり症です。対人恐怖症というほどではありませんが、症状としては、極度に緊張する場面における震えや動悸、腹痛などです。書痙もあります。場数を踏めば治ると言われますが、私の場合、歳をくっているだけに、スピーチやプレゼンなど、人前で話す機会は多々ありました。しかし、年齢とともに慣れるどころか、近年は症状がひどくなってきたようにさえ感じます。一週間後に大きなプレゼンが控えているので、今回は、ただのあがり症ではなく、自分は病気であるという自覚から対策を考え始めました。
 まず、ネットでペースメーカー的な振動装置を購入しました。これを首にかけたり握ったりすることで、乱れる呼吸を整えようという装置のようです。溺れる者は藁をもつかむ心境です。2000円の投資なら、騙されてもよいと判断しました。
 次に、市販薬があることを知りました。小林製薬からイララックという薬が1500円で販売されています。成分を見ると、あまり期待できない気もしますが、安価なので試す価値はありそうです。酔い止めなども効果があるようです。
 しかし、最も信頼できるのは、やはり医師でしょう。私の場合は、急場をしのげればよいので、薬の処方だけをお願いできないかと思っています。調査の結果、私の症状には、抗不安薬とβブロッカーの組み合わせがよいように思われます。前者はセバゾンなど安定剤といわれるもので、後者は心臓の薬でインデラルなどがあります。根治のためには抗うつ剤として認可されたデブロメールなどSSRIなども使われるようです。
 今までは、小心だからとも思っていましたが、どうも病気ではないかというのが今回の視点です。案外、同じような悩みをお持ちの方もいらっしゃるかもしれないので続報します。ご期待ください?!
 
 

家族とは

2008-10-07 00:36:17 | コラム
 日本世論調査会なる団体が9月に行ったアンケート調査によると、祖父母、父母、子供など、大家族で暮らしたいと思っている人が60パーセントにのぼるといいます。それに対して、望ましい家族構成を核家族と回答した人は27パーセント。20年前くらい前のデータがあれば、比較してみると面白いのではないでしょうか。現代は高齢化社会の影響なのか、理想の家族が、昔の日本の家族像に回帰しているように思われます。
 仕事より家族を優先するという人は、「どちらかといえば」という回答も含めて81パーセント、人間にとって家族は必要と答えた人も、「どちらかといえば」を合わせて99パーセントだったそうです。これは、うれしい数字ですが、昨年度発生した殺人事件の半数が、家族を殺害した事件であったというデータをどこかで見た覚えがあります。家族が大切だという人が非常に多い反面、殺人の対象の多くが家族であるというのも、皮肉というか、矛盾した結果です。さまざまな原因で追いつめられた人が、その苦痛や不満のはけ口を家族に求めてしまうということなのでしょうか。介護疲れによる殺人なども、その割合に入っているのでしょうか。
 故郷で一生を過ごせる人は幸せだと思いますが、私のように、たまに帰省するほうが、ドロドロした現実を共有せずにすむ分だけ、両親などとも良好な関係を保てる部分があるように感じるようになりました。核家族が多い現代、ノスタルジアや憧れで、大家族を理想とする人が増えてきたのかも知れません。
 この調査では、今の自分の家族に満足している人は、「どちらかといえば」を含めて91パーセントにのぼるそうです。私には信じられませんが、予想以上に、皆さん、幸せなのですね。同病相憐れみたい私には、残念な?数字です。

 
 

人に乗る

2008-10-01 00:36:19 | コラム
 不動の価値観を持たない私は、物事を決断する際に迷ったときは、信頼できる人の意見に乗ることにしています。他者依存型ではありますが、それが私の処世術と言えましょう。
 特に仕事では、私は上司や同僚に恵まれて、ここまで来れたと思っています。切磋琢磨できる同僚や、私を評価してくださる上司に巡り会うことができました。その結果、満足できる結果を残すこともできたと思っています。相互に理解し合える同僚に恵まれた時期には、実力以上の仕事ができました。職場が楽しく感じられるほどでした。私にはパートナーが重要なのです。
 しかし、この6~7年は身近なパートナーに恵まれません。心を開いて接することの出来る人がいないのです。私の仕事は配置転換や転勤が多いので、来年度は新しい職場に異動しようと考えています。幸い、元上司から間接的に異動の打診があり、乞われるなら・・・・・・と、決意を固めました。元上司に乗ろうと考えたのです。これが吉と出るか凶と出るかはわかりません。流れに任せるというのも一つの手段でしょうが、乞われて赴くというのが男気というものだろうと思いました。海千山千の元上司ですから、本当に呼んでくれるという保証もありません。しかし、手をこまねいているだけで、不平を言っていても仕方がありません。現在の上司も、有り難いことに私を高く評価してくれますが、彼に乗ろうとは思いません。
 公私で言うなら、これまでは公のことを述べましたが、本当に必要なのは私生活のパートナーでしょう。自分で言うのも妙ですが、私は、よく聞き上手だと言われます。他人の話を聞くのが好きなのです。誰か親身になって聴いてくれる人と話すだけでも、ずいぶんと救われるものです。私は聞き役になりたいし、私の話にも耳を傾けてもらえたら素晴らしい。互いに信頼でき、尊敬し合える間柄なら、より一層癒されることでしょうし、道も開けていくと思います。
 多くを求めたいのではありません。多少でも通じ合えるものがあれば、互いによきパートナーになれる可能性はあると思います。
 
  

人生の先輩

2008-09-24 05:03:01 | コラム
 最近、二人の老紳士とサシで酒を飲む機会がありました。お一人は仕事の上司で50代半ば、もうお一方は70を超えた老剣士です。お二人とも実に温厚な人格者で、一緒にいるだけでうれしくなるような方々でした。
 私は、仕事関係の付き合いがあまり好きでなく、昔からプライベートな話題を職場で、あるいは職場関係の人と話すのが嫌でした。それが昂じて、近年は職場でも必要なこと以外はあまりしゃべらないような、偏屈な人間になっていました。それをやんわりと諭してくれたのが、前者の上司でした。私は、仕事にも支障をきたすようになった家庭の問題や、勤務評定や人事異動のことなど、いろいろと相談にのっていただきました。これまでの職場で、こんなに上司に甘えたのは初めてです。自然と話を引き出してくださるので、気がつくといろいろなことを話していました。でも、そのおかげで、さまざまな危機を乗り越えられたと思っています。本当に有り難い出会いでした。
 一方、老剣士の方とも、仕事つながりのお付き合いです。氏は消防官一筋で勤務する傍ら、剣道に精進され、多くの若者を指導されてきました。70歳半ばを過ぎた現在も現役です。少し耳が遠い他は、実に颯爽としていて、理想的な老境であると羨ましく思っています。この方も実に腰が低く、少しも偉ぶったところがありません。それなのに、やはりただ者ではないという威厳が感じられます。『葉隠』にある「武士道とは死ぬこととみつけたり」という、肝の据わった覚悟のようなものが、折々で感じられる気がします。
 文と武を代表するようなお二人ですが、男の生き方として、それぞれ魅力的です。それにつけても、自らのだらしなさ、未熟さが、改めて実感されるひとときでした。
 

夢はそんなに大切ですか?

2008-09-22 22:09:57 | コラム
 夢は叶わないから夢だなどと理屈を言うつもりはありませんが、「思いを強く持てば夢は叶う」「叶わない夢はない」などと言われると、そんなことはないと言いたくなってしまいます。
 もちろん、努力に努力を重ねて夢を叶える人もいます。そういう人は本当に立派であって、ただ頭が下がるばかりです。なぜ頭が下がるかと言えば、夢を叶えるために、その人達がしたであろう努力は、凡人にはできないからです。凡人にはできないから、夢を叶えた人に憧れるのであり、凡人にできないからこそ、夢を叶えた人たちが一層輝きを増すわけです。
 だから、凡人には夢を叶えることは難しいと言えましょう。私は、若い人たちに「大きな夢を持ち、そして、すぐに諦めなさい」と言います。種を明かせば、かなり以前に、テレビのインタビュー番組で、ある若い俳優さんが言っていた受け売りです。
 この言葉は実に素晴らしい。誰にでも可能性はあります。だから、初めから無理だと言ってはいけない。少しやってみて、この程度しか打ち込めないということがわかったら、もう諦めて違う道を探そうという合理精神の現れです。本当に才能があるなら、時間がないとか、資金がないとか、理由をつけて誤魔化そうとはしないはずです。寝食を忘れ、命をかけても進んでいく。そして、夢が叶うのです。
 私にはもう夢がありません。若くても夢のない人もいるでしょう。私は、夢というものは、ないならなくてもよいと思います。皆が偉人になれるわけではないように、皆が夢を叶える必要はありません。大空を飛び回ることは素晴らしいでしょうが、ささやかでよいから、少しずつ歩いていくこと、その方が大切だと思うのです。

プラネタリウム

2008-09-21 23:12:52 | コラム
 プラネタリウムはそれほど好きではありません。山行などの折に、山の澄んだ空気の中で星を見上げるのは素晴らしい時間ですが、プラネタリウムはあくまで人工の空間であって、うっとりと身を任せるものではないと感じてしまいます。
 今日は久しぶりにプラネタリウムへ行きました。夏の大三角、秋の四辺形など、星座を見つける際の基本事項を説明されて、中学生の頃のことを思い出していました。その頃、なぜか星座にロマンを感じて、ギリシャ神話や占星術に関する本を耽読していました。
 しかし、いつしか、そのようなロマンからも遠ざかり、目先の利益や実用的な知識のみに目が向くようになっていました。大人になるというのは、おそらくそういうことで、しかたのないことなのでしょうが、とても淋しい気がしました。
 遠い昔、一緒にプラネタリウムへ行った女性は、プラネタリウムや水族館が好きでした。生まれも育ちも都会の彼女は、すべてが洗練されていてエレガントでした。将来は田舎で静かに暮らすのもよいと言った私に、彼女は曖昧な微笑みを返しました。ほんの些細な瞬間でしたが、二人のその後を暗示するようなやりとりだったのかもしれません。
 私は夢やロマンをなくしてしまいましたが、それをイミテーションによって癒したいとは思いません。疑似体験のようなもので代替したくないのです。2年続けて足を運んだ尾瀬では、連夜、雨で星空を見ていませんが、星が見たいなら、私はリュックを背負って山へ行きます。プラネタリウムの役割は、そこで勉強してから夜空を仰ぐということで、予備知識を提供するだけのものなのかもしれません。しかし、それならば、最初から星空を見て教えてもらえばよいのではないか、ひねくれ者の私は、どうしてもそんなふうに考えてしまうのです。

見上げてごらん夜の月を

2008-09-12 04:17:01 | コラム
 一昨日は、仕事で帰りが遅くなり、家で食事ができませんでした。家人から外食するように言われましたが、帰途には適当な店がないので、スーパーで弁当を買い、公園のベンチで食べました。
 煌々と冴え渡る半月を中空に仰ぎながら、少し早い月見と洒落込んだ次第。旧暦の秋は7~9月、その真ん中の日が8月15日のため「中秋の名月」というわけですが、太陽暦は1ヶ月遅れなので9月15日となります。
 考えてみれば、日常生活の中で夜空を仰ぐようなことはなくなり、ぼんやりとする時間を過ごすことも皆無でした。家で、家人の機嫌を窺いながら、窮屈な時間を過ごすより、野趣溢れる食事は何とも楽しいものでした。淋しさや侘びしさは、ほとんど感じませんでした。
 先日、坂田明氏のアルバムのことを書いたせいか、どこからか「見上げてごらん夜の星を」のメロディーが聞こえてくるような気がしました。永六輔氏の心温まる歌詞に涙した日もありました。あの頃に比べれば、今はまだよい方かもしれません。半ば強引にそう思うことにしました。
 月見に酒はつきものです。その夜は、ワンカップの樽酒とシークワサーのチュウハイを飲みました。自宅では飲酒を禁じられているので、機会を逃さず飲まなければなりません。そういった意地汚さはありますが、その夜の酒は格別でした。
 気候もちょうどよく、蚊に刺されることもありません。散歩の人から冷たい視線を浴びる他は、いたって快適でした。「中秋の名月」に限らず、また月見をしようと思います。