そろそろお正月のおせち料理の話題などが聞こえてくるようになりました。現代、2割程度の家庭では、お正月におせち料理を食べないんだとか。若い世代では、子供の教育のためにおせち料理を揃えるが、少しずつ体験的に食べてみてそれで終わりだそうで、そういうパック商品も売られているということでした。
私の家でも現在は、すべてセットになったものを買っていますが、私が子供の頃は、すべて母が手作りしていました。料理は、年始の挨拶に来る父の部下や親戚をもてなすためであり、母達が、暮れから三が日まで、料理から解放されるために、大きな鍋に作り置きされるのが常でした。雑煮や汁粉、切り干し、郷土料理などのほか、母が函館出身のため、ヒジなますや鯨汁などが用意されました。
御用納めの頃から、母は一冊の手帳を開きながら、台所に立つようになります。その手帳は、古い古い家計簿で、空いたページにおせち料理のレシピがびっしりと書き込まれていました。毎年毎年、それが母の年末恒例の仕事でした。私も、ギンナンをはじめとする野菜の皮むきやらを手伝わされました。外は雪で、水も凍るような冷たさでした。
母が家事をすることはすっかりなくなりました。父は、切り干しだけは造っていましたが、それも、この数年は出来なくなりました。二日がかりでやっていた大掃除もいつしかしなくなり、年末年始も、普段の生活とあまり変化はなくなりました。
私は、生まれてから現在まで、故郷の実家以外で年を越したことはありません。今年も単身で帰省する予定です。あと何度帰省できるかと考えると、今さら帰らないわけにはいきません。両親がいなくなれば、もう帰省することはないでしょう。
今日、おせち料理の話題を耳にして、母の手帳のことを思い出しました。もう使うこともなく、継ぐ人間もない手帳ですが、母はどこかに大切に保管していることでしょう。毎年毎年1年ずつの母の思いのこもった手帳です。捨てることはありえません。でも、どこにしまったのか、それは訊いても思い出せないと思います。
私の家でも現在は、すべてセットになったものを買っていますが、私が子供の頃は、すべて母が手作りしていました。料理は、年始の挨拶に来る父の部下や親戚をもてなすためであり、母達が、暮れから三が日まで、料理から解放されるために、大きな鍋に作り置きされるのが常でした。雑煮や汁粉、切り干し、郷土料理などのほか、母が函館出身のため、ヒジなますや鯨汁などが用意されました。
御用納めの頃から、母は一冊の手帳を開きながら、台所に立つようになります。その手帳は、古い古い家計簿で、空いたページにおせち料理のレシピがびっしりと書き込まれていました。毎年毎年、それが母の年末恒例の仕事でした。私も、ギンナンをはじめとする野菜の皮むきやらを手伝わされました。外は雪で、水も凍るような冷たさでした。
母が家事をすることはすっかりなくなりました。父は、切り干しだけは造っていましたが、それも、この数年は出来なくなりました。二日がかりでやっていた大掃除もいつしかしなくなり、年末年始も、普段の生活とあまり変化はなくなりました。
私は、生まれてから現在まで、故郷の実家以外で年を越したことはありません。今年も単身で帰省する予定です。あと何度帰省できるかと考えると、今さら帰らないわけにはいきません。両親がいなくなれば、もう帰省することはないでしょう。
今日、おせち料理の話題を耳にして、母の手帳のことを思い出しました。もう使うこともなく、継ぐ人間もない手帳ですが、母はどこかに大切に保管していることでしょう。毎年毎年1年ずつの母の思いのこもった手帳です。捨てることはありえません。でも、どこにしまったのか、それは訊いても思い出せないと思います。