山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

うぶすなの宮はお祭のかざり

2011-08-20 23:51:34 | 文化・芸術
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―表象の森― <日暦詩句>-41

  「他人の空」  飯島耕一

鳥たちが帰つて来た。
地の黒い割れ目をついばんだ。
見慣れない屋根の上を
上つたり下つたりした。
それは途方に暮れているように見えた。

空は石を食つたように頭をかかえている。
物思いにふけつている。
もう流れ出すこともなかつたので、
血は空に
他人のようにめぐつている。
      <すべての戦いのおわり Ⅰ>

  -飯島耕一詩集「他人の空」-S28-より


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-223

8月20日、やつと心機一転、秋空一碧。
初めてつくつくぼうしをきいた、つくつくぼうし、つくつくぼうし、こひしいなあ。
いよいよ身心一新だ、くよくよするな、けちけちするな、ただひとすぢをすすめ。

※表題句は8月4日付の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―長大な砂嘴、野付半島-’11.07.27


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ふるさとの空の旗がはたはた

2011-08-19 20:00:14 | 文化・芸術
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―四方のたより― 橋下知事のいかがわしさ

どうも夏バテのようだ、この二日、寝ると爆睡といった調子だし、起きても身体が怠いし重い。

ところで、橋下知事がWTCへの府庁舎移転を断念した、のニュースが朝から躍っている。
3.11の東北大地震の際、震度3で思わぬ被害を出したWTCであってみれば、本来この時点で断を下すべきだったにもかかわらず、これまで頑なに拘泥しつづけた挙げ句、今に到っての断念は笑止千万というしかない。
この男の饒舌、上滑りのお調子乗りにすぎないことは、マスコミの寵児となっていた頃から明々白々のことだろうに、堺屋太一なんぞが持ち上げるに及んで、圧倒的支持を得て知事にまでなってしまった。
そして今、知事・市長のダブル選を仕掛けるなか、これを目前にしつつ180度の政策転回=移転断念をするなら、その反省の弁はどれほどの言を費やしても言い尽くせるものではないと思われるが、この男、多くを語らず、イケシャーシャーとしてござる。
この期に及んでの断念は、救いがたい失政であり、政治生命が断たれるべきものである筈、と私などにはどうしても映るのだが、マスコミはじめ府政周辺での反応がどうにも鈍いのはどうしたことか。


―表彰の森― 秋山巌の版画世界

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「山頭火版画句集-版画家秋山巌の世界-」春陽堂刊-1575円

山頭火の句を独自の世界へとさまざまに変奏した秋山巌氏の版画が計100作品掲載されている。氏の版画世界を知るには格好の書であり、かつ廉価版なのがうれしい。
あとがきで氏は、「長い生涯の中で、私は二人の師と出会った」といい、その一人は棟方志功であり、もう一人は山頭火であった、と綴られている。
志功師の口癖にも似た「化けものを観ろ、化けものを出せ」の言が、後年、山頭火の句との出会いによって交錯、火花散らすことになったのであろう。このあたりの創造の契機というものは、よくわかるような気がする。本来関わりのない、結びつく筈のない二つのものが、氏の内部で突然結ばれる。氏にとって<山頭火の句=化けもの>は電撃的な閃きであったのだろう。以来、氏は、氏の<化けもの>を顕わにせんと、山頭火の句を板に彫りつづけ、今日に到る。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-222

8月19日、何事も因縁時節、いらいらせずに、ぢつとして待つてをれ、さうするより外ない私ではないか。
入浴、剃髪、しんみりとした気持になつて隣室の話を聞く、ああ母性愛、母といふものがどんなに子というものを愛するかを実証する話だ、彼等-一人の母と三人の子と-は動物に近いほどの愛着を体感しつつあるのだ。‥‥
父としての私は、ああ、私は一度でも父らしく振舞つたことがあるか、私はほんとうにすまなく思ふ、私はすまない、すまないと思ひつつ、もう一生を終わらうとしてゐるのだ。‥‥

※表題句は8月4日付の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―神秘的な水面の摩周湖-2-’11.07.27


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けさも青垣一つ落ちてゐて

2011-08-18 23:58:44 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-221

8月18日、近来にない動揺であり、そしてそれだけ深い反省だつた、生死、生死、生死、生死と転々とした。
アルコールよりもカルチモンへ、どうやらかういふやうに転向しつつあるやうである、気分の上でなしに、肉体に於て。
待つ物来らず、ほんとうに緑平老に対してすまない、誰に対してもすまない。

※表題句は8月16日付の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―神秘的な水面の摩周湖-’11.07.27


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あてもない空からころげてきた木の実

2011-08-17 23:47:52 | 文化・芸術
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―表彰の森― 聖職者ジャン・メリエの悲劇

ジャン・メリエ-1644~1729-、フランス北東部アルデンヌ地方の寒村で、一介の司祭としてなんの波風もなく40年間の長きを務めあげた彼は、その陰で「すべての宗教は誤謬とまやかしとペテンにすぎない」といった驚くべき文書を営々と綴っていた。
神々と宗教の虚妄なることを論証したこの遺言の書というべきこの手稿は、全8章からなる長大なもので、その死後、彼が属した教区裁判所の文書課に託されたのだが、非合法の地下文書として秘かに流布していく。早くも1730年代にはその写本をヴォルテールの知るところとなり、後-‘61-2年-に、彼によってその抜粋「ジャン・メリエの見解抜粋」が秘密出版され、部分的ながらその思想が知られるようになっていく。

全8章の章立ては以下の如く-
1. 宗教は人間の発明である
2. 「盲目の信心」である信仰とは、誤りと幻想と詐欺の原理である
3. 「見神」や「啓示」と称されるものの誤謬
4. 旧約聖書における預言と称するものの虚栄と誤謬
5. キリスト教の教義と道徳の誤謬
6. キリスト教は権力者の悪習と暴政を許す
7. 「神々」の存在の虚偽
8. 霊性の概念と魂の不滅の虚偽

表面的にはあくまでも忠実なる神の僕として寒村の一司祭の役割を生きるしかなかった彼が、その陰で黙々と書き綴った無神論或いは先駆的唯物論の書、その全訳書は「ジャン・メリエ遺言書-すべての神々と宗教は虚妄なることの証明」として、’06年に法政大学出版局から刊行されている。なんと1365頁の大部の書で、税込31,500円也だ。

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-220

8月17日、やつぱりいけない、捨鉢気分で飲んだ、その酒の苦さ、そしてその酔の下らなさ。
小郡から電話がかかる、Jさんから、Kさんから、-来る、来るといつて来なかつた。
また飲む、かういう酒しか飲めないとは悲しい宿命である。
此句には多少の自身がある、それは断じて自惚れぢやない、あてもないに難がないことはあるまいけれど-あてもないは何処まで行く、何処へ行かう、何処へも行けないのに行かなければならない、といつたやうな複雑な意味を含んでゐるのである-。

※表題句の外、句作なし

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Photo/北の旅-2000㎞から―津別の森の散歩道-’11.07.27

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虫が鳴く一人になりきつた

2011-08-16 23:01:38 | 文化・芸術
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―四方のたより― ゲノム解析

私の読んでいるメルマガ「明快!森羅万象と百家万節の系譜」によると、ゲノム解析はめまぐるしく進み、そのコストは飛躍的に安価になってきているという。以下は8/13付のメルマガから-

「DNA を読み書きするためのコストは、この10 年間で100 万分の1 になりました。そのスピードは、LSI上のトランジスタ数が、時間経過とともに指数関数的に増加するという<ムーアの法則>を超えているそうです。
そのおかげで、たくさんの一般的な病気への「罹りやすさ」を決める遺伝子変異がすごい勢いで発見されています。ただ、それぞれの遺伝子変異はご く限られた貢献度しかもっていないらしく、総合スコアで罹りやすさを計算します。例外的には、病気の罹りやすさをほぼ決定する遺伝子変異(遺伝病の原因遺伝子)があります。
個人のゲノムを決めても現在では100万円ほど。ゲノム・データはマイクロSDに入ります。あらゆる病気に対する罹りやすさを計算することができるので、健康を維持するための注意をあらかじめ知ることができます。人間的な一生を全うするための強力な武器となることでしょう。さらに、健康保険の費用を大幅に節約できるならば、健康保険程度の費用で運営できるかもしれません。
個人ゲノムをベースにした健康管理システムを利用するには、たくさんの人がこのシステムを利用し、疫学データと遺伝情報データを一定の期間、蓄積する必要があります。すなわち、個人のすべての病院名、受診結果、健康診断の結果、投薬を記録する必要があります。データ管理のために、ICカードが保険証に組み込まれます。診療報酬のレセプトも含めてシステムに組み込めば、費用の節約になります。ドクターショッピングや過剰診療の防止に役立つことになります。」


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-219

8月16日、いよいよ秋だ、友はまだ来てくれない、私はいわゆる「昏沈」の状態に陥りつつあるやうだ。
待つてゐる物が-それがなければ造庵にとりかかれない物が来ない。
今日もやつぱり待ちぼけだつたのか。

※表題句の外、1句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―雄阿寒岳と阿寒湖-’11.07.26

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