モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

仕事、仕えてきたコト

2004-11-05 05:20:01 | ブログ「モノと心の独り言」のご案内
この独り言は、様々な仕事に就いて身体で感じてきたことの積み重ねです。
その変転の数は少ないほうではないけれど、
一つ一つそれなりに面白く暮らしてきました。
1968年 日本大学理工学部建築科入学
1969年  住宅地図測量補助、住宅地図販売
1970年  レンタカー事務所洗車員
1971年  撞球場店員
1972年 建築史小林文次研究室で卒研やり直し 
      建築設計事務所(アトリエ磯崎新)アルバイト
1973年 トラック運転手(関東圏の食料品輸送)
1974年 海外プロモーター社長運転手兼国際部
      (アダモ、S.バルタン、J.グレコ、M.デートリッヒ・・
       D.ワーウィック、R.ブライアント・・
       T.レックス、ディープパープル・・・
       スタイリスティックス、ベイ・シティー・ローラーズ・・・
       NBA ・・・)
1976年 海外プロモーター ラ・テ局担当(FM東京、FMNHK、朝日新聞)
1977年 長男として父の会社に転職、
      三井物産系の三井航空サービス浜松営業所での
      海外旅行代理店業(業務出張手配、観光・視察企画・添乗・コーデイネート・・・)
1982年 旅行業から国内商社業務へ転任、
      (建築設備・電子部品・医薬部外品・・・)
1985年 父の会社を離れ、旅行業時代に学んだ貿易業務を活かし、
      特殊木材製造業国際部へ転出。
      アジアから、北米・欧州での原木・加工品輸入業務開拓
1992年 後継者がいなかったので、再度父の会社へ呼ばれ、
      新規事業開拓を担当、三井物産情報通信関連の
      長距離通信代理店事業から、携帯電話代理店事業
      地域商工会議所のマルチメディア研究会での
      情報タウン構想から研究から研究事業代表、
      産学官有志の三遠南信SENネットワーク
       三遠南信ライブコンサート
      地域情報生活調査、コールセンター研究、
      携帯エージェント端末パセオプロジェクト
      駅周辺企業連絡会を基盤とする中心市街地活性化活動
       タウン・ホスピタリティと町の1to1マーケッティング
       市民と外国籍在住者との3×3バスケットボール定期イベント         三遠南信ライブコンサート第2回   
1998年 旅行業を廃業しその法人を社名変更して独立
      ATT国際通信カードなどの代理店業と
      通信・情報を活用するプロジェクト・コーディネート
       *2003年父の死去後、父の会社に復帰、取締役、
        代表取締役など役職につきながら後継体制固めをし、
        2006年4月委譲完了
      CTIを活用した医療・介護法人のコミュニケーションシステム
       (総務省支援事業+事業所内でのコンサルティング)
1999年 CTIを活用した製造業の営業コミュニケーションシステム 
2000年 CTI、Web、地域FMを連携した地域福祉サービス事業
       (経済産業省が委託した商工会議所事業)
2001年 コミュニティ・サービス・プロバイダー研究から地域プロジェクト
       (東京商工会議所直轄NPO SFK21と世田谷区との事業)
  ~03年
2004年 コミュニケーション・メディア・コミュニティ研究と、
      個別調査、事業に従事 
        コミュニケーションとローカルメディアの連続
        生活・交通行動に伴う生活メディア
        活動促進メディアとしてのポイント・システム     

卒業論文のテーマは、近代小住宅史に取り組んだのですが、環境や建築と生活の関係が分らなくて、留年して再挑戦、近代建築史と美術史の関係を探る中、最終的に、「ダダ・シュールレアリスム ノート」でした。明治神宮の参道を歩んでゆく身体・緩やかな地形に沿って、細かな砂利を歩む音、木漏れ日、眼差しをとらえる灯篭、方向の転換を繰り返し、本殿に近づいてゆくに従って変化してゆく心情・・・などを、方法論をもって取り組もうというところにたどり着きました。
長い間世話になった、建築史の小林文次先生と、
アルバイトで模型づくりをしていたアトリエ磯崎新での感触、毎年引っ越しながら移り住み、長めのアルバイトを重ね、さまざまな生活を身近に感じたことが私を方向付けました。
その後は、「モノと心の関係」を探るため、自身の身体をいろいろな環境に放り込んで、没入して、実感をつかむ、丁度、目覚めながらの”自動筆記”みたいなもので、
自然や街、建築、TV、本・・・いろいろな刺激に反応する自身が記録です。

卒業まで勤めていたプロモーターでは、一瞬の舞台の感動の塊を実感し、
アーティストが自身の世界を築いて行くことと平行して、
プロモートし、メディアやイベントの場の相互関係の中で、
社会化してゆくプロセスに関わりました。
その後、父の商社に呼び戻され、海外旅行や、物販・代理店業。
ニューメディアが言われた頃には、同属会社を飛び出て、
逆に商品から製造へとモノの流れをさかのぼり、自然の野山や、職人の世界を歩き、特殊木材や、木材加工品の買い付けに北米・欧州・アジアを廻りました。
後継者問題で商社に戻った時は、北米の環境コントロール、住宅内の環境コントロール(高気密・高断熱・計画換気)技術を、建材部に持ち帰り、ソーラー事業に加え、基地防音工事建材事業を広げました。
その後、長距離通信、携帯電話代理店で携帯電話、パソコン通信に関わり、
’94年、地域商工会議所のマルチメディアの研究会にて”情報タウン構想”を提案、研究会の代表になってから、時間空間生活調査をし、ユニファイド・メッセージ、CTI、IPネットワークなどの技術を活用した街づくり、イベント、メディア、コミュニケーションなどに集中してきました。
’95年、エージェント端末実験(パセオ・プロジェクト、全国2500台の内浜松にて200台を独自に運用)では、コミュニケーションをイベントにしながら地域メディアの原型が見えてきました。
また、当時の新規需要として、one2oneを実現するニーズが新介護保険制度にあると、医療・介護の音声IT化から取り組み、音声のIP化による生活現場からの情報発信のデータ化・PCネットワークでのCRM-業務アプリケーションとの接合などを行って、利用者中心のスタッフの情報発信・受信に基づいて医療・介護サービス提供基盤を作成・運用アドバイスをしてきました。
2001年からの首都圏での研究事業は、企業と行政と地域商店街・市民との組織・立場をことにする中でのコミュニケーション・メディアの研究でした。
Web、地域情報紙、交通広告などを通じて、
都市生活におけるコミュニケーション・メディア・コミュニティーの、複雑系の社会を実感しています。

この間、インターネットは発展し、ネットワーク上の活動は拡大しましたが、
ブロードバンド、ユビキタス環境は、IPネットワーク化の途上です。
そして、なにより口頭・会合などでの村社会での感受・記憶・表現・伝達が、
工業化・都市化・情報化の中で失われ、自立・孤立化が進み、
情報社会でのメディア消費力は上がりましたが、
共感・共存・創造力がまだ未成熟だと感じています。

今は、ネットワーク上だけでなく、
地方での車社会と大都市圏公共交通網での多地域分節生活を体感しながら、
アジア的なコミュニケーションとメディアの展開の仕方を模索しています。

モノと心の関わりは、まだやっと科学的な裏づけが始まったばかりです。
いろいろなセンサー・記録・統計データの集積・分析方法など、
社会的な領域の情報科学化は、実用に遠いところです。

逆に、マーケッティング・メディア・ストックマーケットなどの投機的な分野でこそ、試行錯誤をしながら、現実的なデータを得ているようです。

このブログは、
私の身体と生活、メディアや社会現象への直感を
吐き出し、繋ぎ合わせている場です。

具体的な仕事内容、私企業などの固有名を出さないようにしていますので、
よろしく


最新の画像もっと見る

コメントを投稿