モノと心の独り言

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山王まつり 下町連合渡御をみて、スーパーフラットの次を考える

2012-06-15 08:50:52 | 暮らし・街・環境

   

1.銀座で待機、 2.銀座一丁目前をトラックで、3.京橋・日本橋を渡御、

写真大は:6月10日、山王まつり下町連合渡御 日本橋上

近代から現代へ、そして祭から’まつり’へ。近代の社会意識がフラットになったとき、祭はイベントに。

メディア化が進と、モノが視覚的な表皮一枚になり、コトの由来や意味は問わない・押しつけない時代は、スーパーフラット。対峙する意識が分散する身体の固有性は薄れ、浮遊して刺激に集散する。デジタルネットワークとデジタルチャネルが身体に直結すれば、刺激のRFA(直近性・頻度・集積量)で、人は動く。メディア・ネットワークは、マスもパーソナルも融合し、カウント可能な、直近性・アクセス数・累積量が、’自由な個人’という神話の中での絶対価値となる。更に数値に代え、明日への不安・欲望を市場化して金融資本市場が投機化する。資本自体が自己増殖する仕組みだからだ。

しかし、銀座の入り口から京橋・日本橋橋上までの山王まつり下町連合渡御を取材しながら、それでも、担ぎたい・支えたいと共振してくる身体。そして、ツナガリたいソーシャル・メディア。しかし、コミュニケーションから対話へと個をさらすのではなく、揃いの半纏で溶け込みたいのが日本個人か?揃うコトや意味を問い合わない。問い合えば孤立の予感。

(浮世風呂の底は、昔抜けていた。湯が減り続ける大浴場みたいなものか)


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