モノと心の独り言

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電子書籍ビジネスに期待すること

2010-07-29 05:35:31 | 映画・音楽・・・パッケージ・メディア
昨日インプレスR&Dの「電子書籍ビジネスの全貌」というシンポジウムを聴かせてもらった。昨年から今年3月にかけて、公共図書館と電子書籍の調査に関わってきたので、その行方が気がかりだった。
で、結局、気がついた事は、書籍がハードとソフトに分かれて、キャリアーとコンテンツとして、動き出した事。アップルのようにネットワークは通信業者に任せて、ハードからコンテンツ・マーケットを統合するビジネスモデルもあるし、検索&マッチングをコンテンツにしてしまって、その周辺にハードとソフト(著作物)を引き寄せてしまうモデルもある。紙という媒体は、電子書籍化により、’スクリーン’という視覚的なフレームの一つになり、大きい/小さい、動く/動かないなどのハードの枠からは超えてしまった。そこで逆に、ハード:書籍自体のデザインはより、一つの体験を提供する工夫の余地と価値が生まれる。また、時系列の履歴=古書も、キャリアーとしての価値ではなく、経緯としての価値が生まれ、書き込みもまた有益になる。

’電子書籍’のビジネス化が話題になってうれしいのは、電子化した情報が著作権が守られ・有料でもネット上を流通することだ。フリーミアムで、無料の情報が流れるのは、それはそれでいい。しかし、感性の錬金術で練り上げ、削り取った創造の結果にたいして、アクセスを制限し/課金し/作者・流通者にたいする糧を提供できなければ、創造行為自体が廃れる。
創造は、ファインアートのような至玉の宝、稀少価値ばかりではなく、日常の人とモノ/人と人との出来事に対する気づきに潜む。目の前の人と環境との関わり以上に、市場で価値付けされたモノ・コトを求めるのは、自らの身体/地域の価値を疎んじることになる。著作物ばかりでなく、所作/身振り/もてなし・・・。人が身体で発し・感じあう世界は、’エンタ’を消費しなくても、日常の豊かな感情を呼び起こし合う。共感と行動こそが、コミュニケーション・メディアの目的なのだから。
日本の電子書籍が、ケータイでのBL、TLなどH系のコンテンツによって成長したことは、悪い事ではない。H系と隔てる習慣はモダン的で、すでに接触抜きでの、かわいい/エロイなどが、全年齢に広がって、フロイトの言を日常化している。

問題は、コミュニケーションのネタぐらいのコンテンツでは、有料化/課金しつづけることができるかどうか?
クラウド化した市場は、瞬間的な勝者/ヒットは生まれても、持続が難しい。
言葉の意味が共有しにくくなり、変化の時間がより早くなっていく情況で、
場所と時間の集中、つまり空間でのイベント/出来事へ、主体の行動する空間での合致点へと、生活空間内での共感を求めるのではないか?
都市への集中は、生産/流通のためではなく、共感の為に、さらに進むのではないか?
それは、均質な都市ではなく、感性を喚起する差異の明確な場の群れなのだ。

電子書籍は、そのコンテンツを本/装置から解き放ち、
生活空間のあらゆるところで、コンテンツを提供者の承諾により提供するビジネスへの広がりがある。
インターネット上のフリーでスパムなノイズは、DRMにより守られた情報の流通により、バランスがどれる。
ノイズと情報の選別は、送り手/受け手の倫理やスキルだけには頼れない。

’電子書籍’ブームに期待したいのは、DRMなのだ。


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