「動きすぎてはいけない - ジル・ドゥルーズの生成変化の哲学」 千葉雅也 2013年10月20日初版 の読後ノート
分野を超えた本を拾い読みしている私のノートとして
非意味的な接続=通貨市場社会が交通・通信ネットワークにより膨張しているなか、
その数値による非意味的万物斉同化に抗するには、
理念や体系での構造化でも、
その構造の再構築でもなく、
身体周辺での他者との断続的な不確かな共立ではないかと、
縮約してみた。
言い換えれば、
グローバルなホーリズムに接続しつづけるのではなく、
身体が関わるローカルな現場で、生まれ・育ち・生業の違う人と共立するところに、数量にも言語でも交わせないセルフエンジョイメントが成り立つのではないか?著者のエピローグ、ロビンソンクルーソーの無人島でのフライデーとの生活のように。
読後の行く先は、
個人から発しているような哲学から社会学・社会システムとの関わり、
そして、社会システムと心身問題へとの「個体」に立ち返ること。
「魂のレイヤー - 社会システムから心身問題へ」西川アサキ著
できうれば、器官無き身体、運動と化学と作動、節約と縮約、構造化時代の妄想だとわかっていても、心身問題から「個体」の振る舞い、社会の生成変化へとスッキリできればいいのだが。
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