goo blog サービス終了のお知らせ 

モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

情報社会でのリアリティとロスト感

2005-05-08 06:55:02 | 基本的なコト
情報社会での Reality と Lost 感、

リアリティとは、比較的に長期にわたって持続する刺激によって支えられる。
それは、認識の三次元
・ニューラル・レベル
・現象学的な意識体験
・認知的無意識レベル
での生の存在感。

農業社会から工業社会までは、意識が結晶化し構築してきた、
モノや建物、街、国土とか、組織や制度・習慣などのような
相対的に長期的・持続的・累積的な手がかりが、
認識の三次元にわたってあった。

その相対的に固定的な社会のリアリティが、近代に崩れ始めた。
モノや組織や言葉の変化の速さは、
現象学的な採取・生産・消費・廃棄の早さと量に比例している。
それを受け入れる人は、狩猟・農耕の地域から
生産・消費を中心とした機能都市へと移住し、また地方も都市化を早めている。
身体がうける認知的無意識の環境の変化は、
日々の通勤・通学から労働と生活と余暇の分割、生産単位としての家庭と職場、
余剰の循環としての余暇・レジャー・流行・モードのサイクル。
ニューラル・レベルでは、視覚・聴覚刺激量の劇的な増加、
活字印刷から写真、ラジオ・TVからデジタル・メディア、そしてネットワーク化へ。
視覚・聴覚情報の奔流は、これまでの身体性に根ざしていた
触覚・圧覚・牽引感覚・冷温覚・血液成分覚、
そして痛覚・味覚・嗅覚などからの刺激量を、
相対的に激減させることになった。

私たちは、情報ネットワークにのりやすい視覚・聴覚ノイズの波に、
状況に立つ足をすくわれ、転げまわることを、ワライとともに受け入れ、諦める。
手がかりにしようとする言葉の砂もまた崩れ、流され、
あとは、より根源的なビジュアルや音や味の消費に専念し、
個体の満足という蟻地獄
また、身体のリアリティを求めて健康活動をするほどに、死の影は忍び寄る。
近代の蜘蛛の糸が、
繋ぐ天国も絆もない。

そう、LOSTしていなかったのではなく、LOSTしていることに気がつかなかったのだ。
今の子供たちは、初めからLOSTしているかもしれない。

必要なのは、対象ではなく仕掛け、
求め続けられる手がかり以上を、規定することではない。
複雑系社会での、自己組織化と社会ネットワークの仕掛けづくり。
<バカボンの父の友人より>

○ こんな考え方もあるかも?と思った方は、ここをクリックください。人気blogランキングへ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。