27.03.23 こ た は ん NO.743
私が少年時代に過ごしたのは「住吉新地」という遊女街で、我が家の隣家から全戸97軒の遊女屋
がありました。 戦禍の深刻な住宅難という事情もありましたが、生活の足しにするためにわずか
な期間でしたが、狭い我が長屋に一人の遊女を下宿させていました。 その遊女の源氏名が
「小太郎さん」通称「こたはん」と呼んでいました。 大阪弁で何々さんというのを、なになに「はん」
と云いました。 「イトはん」(末の娘)もそうですし、京阪乗る人「おけいはん」というコマーシャルが
あるでしょう。 その「こたはん」のことです。
当時の遊女は、時代の流れでやむに已まれぬ事情でそういう境遇に落ち込んだのでしょうが、
「こたはん」は昼間我が家の仏壇の前で熱心に経を唱えていました。
ほかにも、源氏名で「カネマルはん」当時としては珍しいハーフ嬢の「ひばりちゃん」という遊女も
お経を唱えに来ていました。 「こんな女に誰がした!」・・・やむに已まれぬ心境だったのでしょう。
昭和31年売春防止法の施行に伴い、街の柳並木も雪洞(ぼんぼり)も撤去されて、普通の町に
なってしまいましたが、その後彼女たちの身にどんな変化があったのでしょうか?・・・今どこで・
どうやって生きているのでしょうか?