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小言コウベイN

日々感じた風刺等について書いています。

こたはん

2015-03-22 20:07:41 | 日記

        27.03.23      こ た は ん       NO.743

私が少年時代に過ごしたのは「住吉新地」という遊女街で、我が家の隣家から全戸97軒の遊女屋

がありました。  戦禍の深刻な住宅難という事情もありましたが、生活の足しにするためにわずか

な期間でしたが、狭い我が長屋に一人の遊女を下宿させていました。    その遊女の源氏名が

「小太郎さん」通称「こたはん」と呼んでいました。 大阪弁で何々さんというのを、なになに「はん」

と云いました。 「イトはん」(末の娘)もそうですし、京阪乗る人「おけいはん」というコマーシャルが

あるでしょう。  その「こたはん」のことです。

当時の遊女は、時代の流れでやむに已まれぬ事情でそういう境遇に落ち込んだのでしょうが、

「こたはん」は昼間我が家の仏壇の前で熱心に経を唱えていました。

ほかにも、源氏名で「カネマルはん」当時としては珍しいハーフ嬢の「ひばりちゃん」という遊女も

お経を唱えに来ていました。 「こんな女に誰がした!」・・・やむに已まれぬ心境だったのでしょう。

昭和31年売春防止法の施行に伴い、街の柳並木も雪洞(ぼんぼり)も撤去されて、普通の町に

なってしまいましたが、その後彼女たちの身にどんな変化があったのでしょうか?・・・今どこで・

どうやって生きているのでしょうか?


ろくろく

2015-03-22 09:28:44 | 日記

        27.03.22      ロ ク ロ ク      NO.742

コタはんは泣いていました。  額(ひタイ)脂汗をにじませて、パンパンに腫れ上がった左腕を持て

余し気味にウンウンと唸ってもいました。

客にうつされた梅毒の治療薬606号(通称ロクロク)を検番で注射されたのですが、その薬液の一

部が静脈から漏れて腕が腫れあがり、高熱と激しい痛さにさいなまれたのでした。

ロクロクは毒性の強い水銀系の薬剤ですが、毒を持って毒を消す荒治療で、時には死境をさまよう

ほどの危険を伴う、賭けにも似た療法でした。  戦後、梅毒の治療にはこのロクロクしかなかった

のでしょう。  コタはんは無事生還し元の「職場」に戻って行きました。

「コタはん」は通称で源氏名は「小太郎」。   赤線地域で春を鬻(ひさ)ぐ戦争未亡人でした。

ほかの遊女たちは身も心も荒みはてて、その日暮らしのふしだらな生活をする中、コタはんいつか

きっと故郷に錦を飾るんだと、一生懸命になって「はたらいて」いました。

でも、コタはんは固辞していましたが、その真面目さを認めた「客」に身請けされて苦界から脱出し

て行ったのでした。     いまごろはどこで・どうしているのしょうか?

*春を鬻ぐ(ひさぐ)・・・女が肉体を売ること。 「売春」