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あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポーランド・クラクフ 87 竜

2018-07-16 | ポーランド紀行

 

 

「城壁から下を見ると何かがありますよ?」
とガイドが言うので

覗き込むと木の間から怪物のモニメントが見える。
格好は日本ゴジラ?

ガイドの説明では 

川に竜が住んでいて
付近に住む美しい娘をさらっては食べていた。
王様は竜を退治した者は
次の王にすると御触れを出した。

そん中 靴職人の弟子が若い娘だと偽って
タールと硫黄を染み込ませた羊をこの竜に捧げた。
これを食べた竜は 喉が渇き 川の水を飲みつづけ
最終的には体が破裂してしまったという。
その後この弟子は英雄となり 次の王になった。」という。

 その竜の住んでいた洞窟が城内にあり
「竜の洞窟」として入場できるそうだ。


また伝説の竜のモニュメントは
一定時間おきに火を吐くとも。

 

 


ポーランド・クラクフ 86 ヴァヴェル城

2018-07-15 | ポーランド紀行

 

 

旧市街 の南端 ヴィスワ川沿いにそびえる

ヴァヴェルの丘に建つ「ヴァヴェル城」へ

 



第二次世界大戦中のドイツ占領下では

ここヴァヴェルにドイツ軍本部が置かれたことから

 ナチスの破壊行為から逃れている。

 

広い城内へは無料で入場できるが 

見学スポットの

「王宮」と「大聖堂」内への入場は有料で

 時間 人数の制限があるとのこと。 

 

 

    時計回りで 東南の坂をのぼり 城門をくぐり入場する。

 

 

 


ポーランド・クラクフ 85 十字架

2018-07-14 | ポーランド紀行

 

 

カノニツア通りから 
ヴァヴェル城の前に出た東側
聖イジー教会脇に「十字架」が立てられている。

 十字架には「1940 KATYN 1990」とある。

1940年は 第二次世界大戦時に
「カティンの森事件」があった年。


そして1990年はソ連が事件を認め、
ゴルバ チョフ大統領が謝罪した年を表している。


カティンの森事件とは

第二次世界大戦中に
ソビエト連邦のグニェズドヴォ近郊の森で
約22,000人のポーランド軍将校
国境警備隊員 警官 一般官吏 聖職者が
ソビエト内務人民委員部によって銃殺された事件。

虐殺死体がみつかった当時は
この虐殺は ナチス・ドイツが
行ったものと伝えられていた。

しかし 1990年 ペレストロイカ(改革)の一環で
「この虐殺事件を行ったのは ナチス・ドイツではなく
ソビエト軍によるもの。」と認め 謝罪した。




ポーランド・クラクフ  84 番地とだまし絵

2018-07-13 | ポーランド紀行

 

 

先にブックカフェを紹介したが 

街を歩くと建物に
動物のレリーフが多くみられる。

現地ガイドに聞くと

「番地表示より、動物の目印のほうが
分かりやすく覚えやすいから」という。

昔は識字率が低かったことも一因かもしれない。

今は 番地の表示がしっかりとある。

この建物は、ライオンの家? 金獅子の家?かな。

 



また 動物飾りだけでなく 

建物の特徴を印象付けるためなのか

“だまし絵” の壁を施した 建物も見かけた。



ポーランド・クラクフ 83 ブックカフェ

2018-07-12 | ポーランド紀行

 

  



聖マリア・マグダレン広場から
カノニツカ通りに曲がったところに

 「ボナ 本とコーヒー」
(Bona Książka i Kawa)がある。
 今 はやりの ”ブックカフェ”。

 

店名「ボナ」は
イタリアのスフォルツァ家から
ポーランド王に嫁いた

ボナ・スフォルツァ女王(1494-1557年)の
名に由来するそうだ。

彼女は ポーランドに洗練された
ルネサンス文化を持ち込み
繁栄の時代を築いた。


ボナは イタリア野菜を料理に用いて
多くの料理をポーランドに紹介したので

現在の ”ポーランド料理の母” ともいわれている。

  飾り棚の本は 石でできているようだ。

 

 


ポーランド・クラクフ 82 聖マリア・マグダレン広場

2018-07-11 | ポーランド紀行

 

  像の奥は「エラズム・チオウェク宮殿」

 

「聖ペテロ・聖パウロ教会」の前

グロニツカ通りとカノニツカ通りに接して
「聖マリア・マグダレン」の
名前を付けた広場がある。


”マグダラのマリア” とは
新約聖書中の福音書に登場する
 イエスに従った女性である。


正教会・カトリック教会・聖公会で聖人。

一方 正教会では 携香女・亜使徒の
称号をもつ聖人とされている。


彼女は 香油の入った壷を持った
姿で描かれているが
これは墓にあると思われていた
イエスの遺体に塗るために
香油を持って墓を訪れたとの聖書の記述に由来し
「携香女」(けいこうじょ)の称号も 
この記述に由来する。(ウィキペディア)

このような意味合いから 
この場所は 小さな広場にもかかわらず

多くの歴史的な行事が行われてきたという。

また ここにも 詩人アダム・ミッキエヴィッチの像が立つ。

 


ポーランド・クラクフ 81 聖アンデレ教会

2018-07-10 | ポーランド紀行

 

 

聖ペトロ聖パウロ教会の南隣に
「聖アンデレ教会」がある。


ロマネスク様式の建物で
11世紀末(1079ー1098年)に
レンガと石で造られて

1000年の歳月を経る中 
増改築を繰り返している。


12世紀末から13世紀初頭には
 巨大な塔やバロック様式のドーム

殿堂などが付け加えられた。

また、14世紀にはゴシック様式の
小礼拝堂が教会の横に建設されている。

外壁からも教会の傷み具合が知れるが 
現在 修復作業中である。

 

 

 

グロツカ通りの先 
聖アンデレ教会の塔が 通りの演出を醸し出している。

 


ポーランド・クラクフ 80 聖ペテロ・聖パウロ教会

2018-07-09 | ポーランド紀行

 

 



さらに南 「聖ペテロ・聖パウロ教会」がある。


ジグント3世によってイエズス会に寄贈され
イエズス会系でクラクフでは 
最初のバロック様式で
1597年から1619年にかけて建設された教会。

ニ聖人の名前を冠する教会でもあり
教会前の柵に等身大より大きい
12使徒の石像彫刻が並んでいるので有名。

現在並ぶ彫像は複製品で 
18世紀に製作されたオリジナルは
損傷を避けて別にされているという。


また この教会では毎週水曜日には
「フーコーの振り子の実験」が行われるが

この実験に使われるロープは
46.5mとポーランド最長という。

 

 


ポーランド・クラクフ 79 フランシスコ教会

2018-07-08 | ポーランド紀行

 

 


前回の触れたドミニカン教会を 180度方向を反転して
 交差点の西奥に「フランシスコ教会」が見える。

こちらも緑の屋根が印象的だ。

教会と言っても 本来は 修道院の聖堂。

 

 (Web資料から)


この教会 他の教会には見られない
アールヌーボーのステンドグラスが有名。

ポーランドが誇る劇作家にして画家 詩人でもある
スタニスワフ・ヴィス ピアンスキ(1869-1907)の作品。

ポーランドズウォティの旧札では
10000ズウォティ札の顔にもなっている。


因みに ショパンが 5000ズウォティ
コペルニクスが 1000ズウォティ。

 

 


ポーランド・クラクフ 78 ドミニカン修道院

2018-07-07 | ポーランド紀行

 

 

中央市場広場(左)から ヴァヴェル城の間 (赤線)
 クロツカ通り~カノニツア通りを歩く。

 

 

 一番目の交差点 東側奥に
ネオゴシック様式 レンガ造りの
「ドミニカン修道院」がある。

 当方には 燃える炎? 頭髪が逆立つ?
のようにも見える外観は 
特徴ある印象を与えている。 

 13世紀に異教徒の寺院の跡に建てられ
 ドミニカン修道院の発祥地として
現在もその戒律をまもっている。


建設時はゴシック様式の教会だったが
18世紀にネオゴシック様式に建て替えられた。

 


ポーランド・クラクフ 77 民族衣装

2018-07-06 | ポーランド紀行

 

 

小市場広場の一角に ステージが設けられ
「ポーランド文化祭」が催されている。 

壇上では 楽団が演奏し 
集まった人々は 手拍子で参加している。

彼らの着ている民族衣装が気になった。
街角で 女性の民族衣装も見ていたから。

資料によれば ポーランドは 
東西ヨーロッパの中継点にして
古くから栄えた多民族国家であった歴史を物語るように
他国からの影響を強く受け時代ごと
地域ごとの変遷や差異が大きい。

ポーランドは
 ポメラニア 大ポーランド クヤヴィ シロンスク
 小ポーランド マゾフシェの地方に分類される。

男性服は コシューシコの乱や 
プロイセンなどのドイツ化政策への
蜂起のシンボルであり

軍服に転用されていた歴史がある。

女性服は 繊細な刺繍のポディスや
色鮮やかなスカートとエプロンに特徴がある。

「小ポーランド地方」は 
クラクフを中心に発展した南部の地帯であるが

この地方のものが代表的で もっとも有名。

 


白いブラウスに、アンダースカートで
可能な限り膨らませた無地の踝丈のスカートをはいて、

白か細かい花模様のエプロンを締める。
エプロンは刺繍などで飾り、
裾をギザギザ模様に飾り断ちしている。
既婚女性はスカーフを被る。

 

 

なお 市内カジミエシュ地区にある
「民族史博物館」には衣装やその変遷等が展示されているという

 


ポーランド・クラクフ 76 刺繍

2018-07-05 | ポーランド紀行

 

 

同じ小市場広場で 

刺繍を実演販売する屋台があった。

暖かく素朴で大胆な模様がほどこされた

ポーランドの刺繍は人気がある。

色鮮やかな花や図柄の刺繍は 

地域によって色合いや模様が異なり

それぞれに特長があり独自の文化を醸しだしている。

刺繍のされているハンカチやアクセサリーなどの

小物は価格が安いようで

お土産として売れているという。

 

 

家人のお土産バック


ポーランド・クラクフ 75 国民食 ピエログフ

2018-07-04 | ポーランド紀行

 

 

中央広場にある聖マリア教会の
裏側にある 
中央広場よりは
小さく長方形の「小市場広場」へ 

 ピエロギの屋台が 人を呼んでいる。

ポーランド語の垂れ幕には

「巨大な餃子は 新鮮なハーブとケチャップの
ボウルを詰め込み カリカリの皮」とある。

 ここの広場では 毎年8月の5日間
" フェスティバル ピエログフ“ が開催され

審査員  一般市民からの投票で 
ベスト・ピエロギ店が決定する。

いろいろな店のピエロギが
食べ比べができるとあって 連日大盛況だそうだ。

 ポーランドの国民食ともいわれる
ピエロギは ポーランドの餃子。

見た目は日本の餃子と似ているが 少し大きめで
皮が厚くモチモチした食感がある。
 
食材は 肉 マッシュポテトとカッテージチーズ
ザワークラウトとキノコ ほうれん草 蕎麦の実など。

また デザート系ではイチゴ チェリー
ラズベリーなどフルーツが入ったものもある。

 定番は 茹でたもの また茹でた後焼いたもので
炒めた玉ねぎ ベーコンや
サワークリームなどをかけて食べるそうだ。

主として 家庭料理として食べられるが
レストランやピエロギ専門店などで手軽に食べられる。

 「ポーランド文化祭」が催されている小市場広場

 

昼食「 ピエログフ」

 


ポーランド・クラクフ 74 ポーランドの象徴的詩人

2018-07-03 | ポーランド紀行

 

子供たちにも愛されているようだ。後方は織物会館。



中央市場広場 中央の立像は

リトアニア(リトアニア22  3/22)
 ・ワルシャワ(ワルシャワ19   5/9)でも

話題にした「アダム・ミツキエヴィッチ像」。


アダム・ミツキエヴィッチ(1798-1855年)は 
ポーランドの象徴的詩人であり

同時に 祖国独立のために
活発な政治活動をしたことでも知られている。

 

1855年 クリミア戦争でロシアと戦うため
移った先のコンスタンティノープル
(現在のイスタンブール)で病没したが 
遺体は ヴァヴェル城内の
ヴァヴェル大聖堂の地下に 安置されている。


像の基礎 四方に向く座像は  
東が祖国  西は勇気  南は詩  北は学問 を
象徴しているそうだ。

ミツキエヴィッチ像も 
ドイツ軍により破壊されたが
1955年に修復されている。

 

 




ポーランド・クラクフ 73 地盤沈下?

2018-07-02 | ポーランド紀行

 

 

中央広場の南端に 緑のドームを持つ
「聖ヴォイチェフ教会」
(=聖アダルベルト教会)がひっそりと建つ。

10世紀に建設さクラクフで最も古い建物の一つで 
伝統に従い 聖アダルベルト(ポーランドの守護聖人)が
説教したというこの場所に建てたという。

広場ができる前からの教会で 
その後できた広場が何度も修復 再舗装していくうちに
広場の高さが徐々に上がってしまった。
その結果 現在の教会の基礎は
2mも沈下状態になり 入口は階段下にある。

 

  教会脇 シャボン玉のパホーマンスが人を集めていた。