1974(昭和49)年に流行した 歌謡曲「襟裳岬」の碑が
建てられていた。歌詞をみて自然と口ずさんでいたが
この歌が流行ったのは この時の世相がヒットに
導いたのかもしれない。
また「襟裳の春は 何もない春です」のフレーズが
印象に残るようだったが ここ地元では 反発をかった
ところでもある。
ところで 当方の 昭和49年はどうだったろうか?
改めて振りかってみたが ”特記事項なし”
それこそ「何もない 年でした」ということは
”平穏無事”であったということでしょうか!
『襟裳岬』
作詞:岡本おさみ、作曲:吉田拓郎、歌:森進一
「一 北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
理由のわからないことで 悩んでいるうちに
老いぼれてしまうから 黙りとおした歳月を
拾い集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です 」
*この年のおもな出来事は
東京丸の内三菱重工ビルの爆発事件
東京多摩川の堤防決壊
巨人軍長島選手の引退試合
田中内閣の金脈事件
など暗い事件多い。