寿泉院の山門手前右手に
国定忠治の像といわれる
木枯し紋次郎風の地蔵がある。
何故 ここ須坂に 忠治なのか?
説明文には
「江戸末期の侠客、
国定忠治にゆかりの地蔵菩薩で、
嘉永3年(1850年)に造られたという。
もとは 野沢温泉にあり、
中風除け忠治地蔵として
信仰を集めていたが、
昭和25年に訳あって
この地に安置された。
この お地蔵様の評判は、
県外の方が高く、
群馬県や新潟県等から
わざわざ訪れる人もいる。
国定忠治は、信州にも来ており、
大笹街道の抜け道を通っている。
なお、当区では、
区長以下が毎年春・秋に参拝し、
区の平穏無事と区民の
健康を祈願している。」
資料では 忠治は 渡世修行として
北信濃に足を運んでいる。
「中風」とは “脳血管障害”で
忠治自身も中風を患っていたいう。