師走の恒例行事は・・・そうだ12月に入ると何故か真珠湾の日や討ち入りの日を思い出します。
当然私の記憶ではありませんで、強いて言えば民族的記憶と言うところでしょうか。
現実的なところで言えば、忘年会、あるいはクリスマス、天皇誕生日、大掃除に昔なら暮れの28日あたりに餅をついておいて、のし餅を切り分けたり、、、あるいは母がオセチを作っていた姿を思い出します。
今は残っているのは数回の職場関係の忘年会と年賀状作りくらいでしょうか。
昔は仕事の関係で取引先の忘年会などにも顔を出したりして忙しかったのが嘘のようです。
私個人は全くの下戸ですが、それがこういう会に顔出すのが仕事の内・・・今でもそういう商習慣みたいなものが残っているのでしょうか?・・・もう古い感じですから今は無いような気がしますね。
昔、昔私が営業で近隣の県の担当地区の得意先を回っている頃は、電話での商談は低く見られていまして、良く取引先の重役に「電話ではなく顔を出して話をしに来い」と言われたものです。
最近の電話、FAX、メール、インターネットなどなど何でもアリの時代は想像も出来なかったですネ。
師走の行事の話に戻ると、大掃除は嘗てはマンション周辺の近隣の行事と、家の中の台所中心の日+その他の部屋または窓・ベランダなどの日・・・これらの予定日、あるいは危険を感じられる日は公園方面に避難に限る。
マア、粗大ごみの私がいないと言う事が最大の協力みたいなものです。
それから「職場の大掃除」・・・これが様変わりしていますね。
ほんの5,6年前までは「大掃除の予定表」が回覧されてきて、そこには自分の課の執務デスク回り以外の所内全体の分担箇所が明示されていました、、、「書庫」「会議室」「休憩室」「コピー室」などなどと、、、。
ところが最近は、改まっての大掃除と言うのがなし崩し的に影を潜めて行く傾向にあるようです。
マア確かにたいていの場所は常に掃除はしているので、大掃除をしなくても汚れは目立ちませんが、、、やはり「大掃除」でなくては手を入れないところがありますから、こういうツケは10年くらいするとはっきりしそうですね、、、マア日常的には不都合が無いので気にしませんが。
ところで12月はお歳暮シーズン。
尤も私は仕事関係。上司にはお歳暮も年賀状の贈った事が無い。
そういう意味では、上の方々からは憶えがめでたくない人間をやって来ました、、、どちらも親戚と友人のみですネ、、、これは今でもそう。
12月に入ると、兄姉からはお歳暮定期便。
兄姉4人の内3人は故郷に居るので、そこからは田舎の特産物中心のお歳暮。
昔はミカンの箱がほとんどでした・・・これが3人同じ時期に届くと食べる方も大変で、、、やがて時期を少しづつずらして貰ったり、、、果物の種類を変えて貰ったり、、、あるいは果物以外の特産物とか海産物にして貰ったり、、、マアこの瀕は兄弟ですからこちらからリクエストしたりします。
そうそうリクエストと言えばすぐ上の姉の旦那さん(義理の兄)の出身地は山国なので、特産物は川魚の甘露煮のような、、、確かに普段は買って食べることは無い、、、貰う方の我が家族は全員これが苦手なので数年後には「お願いだから違うのにして・・・」と言う事で、今では北海道の海産物の詰め合わせに・・・ドライと言うか自分でも少し気がさしましたが、それでも正直に言ってお互い良かったとは思っています。
そうそうお歳暮のミカンでは一つ話的思い出がある。
娘が保育園年長組時代・・・この娘が小さなころは食いしん坊で且つ帰還大好き。
12月に熱を出して近所の小児科で診てもらったところ、医師は盛んに首をひねっている。
「黄疸が出て体が黄色になっている」
見るとお腹など上半身が黄色い・・・といかオレンジ色。
医師が娘に「ミカン食べましたか?」、娘「うん」
医師「いくつ食べました?」、娘「うーん、7つ」
今でいうLLサイズのミカンを7つ食べて・・・黄疸みたいにお腹がオレンジ色になっていた。
今でも田舎からミカンが届くと「ミカン話」を思い出します。
娘に「田舎からミカンが届いたけれど取りに来る?」と電話をしますが、マア今のご時世、隣の市から車で取りには来ませんね。
そうそう当地の特産品を兄姉の所に送っている筈ですが、全て女房殿にお任せ・・・今年は何を送ったのだろう?
当然私の記憶ではありませんで、強いて言えば民族的記憶と言うところでしょうか。
現実的なところで言えば、忘年会、あるいはクリスマス、天皇誕生日、大掃除に昔なら暮れの28日あたりに餅をついておいて、のし餅を切り分けたり、、、あるいは母がオセチを作っていた姿を思い出します。
今は残っているのは数回の職場関係の忘年会と年賀状作りくらいでしょうか。
昔は仕事の関係で取引先の忘年会などにも顔を出したりして忙しかったのが嘘のようです。
私個人は全くの下戸ですが、それがこういう会に顔出すのが仕事の内・・・今でもそういう商習慣みたいなものが残っているのでしょうか?・・・もう古い感じですから今は無いような気がしますね。
昔、昔私が営業で近隣の県の担当地区の得意先を回っている頃は、電話での商談は低く見られていまして、良く取引先の重役に「電話ではなく顔を出して話をしに来い」と言われたものです。
最近の電話、FAX、メール、インターネットなどなど何でもアリの時代は想像も出来なかったですネ。
師走の行事の話に戻ると、大掃除は嘗てはマンション周辺の近隣の行事と、家の中の台所中心の日+その他の部屋または窓・ベランダなどの日・・・これらの予定日、あるいは危険を感じられる日は公園方面に避難に限る。
マア、粗大ごみの私がいないと言う事が最大の協力みたいなものです。
それから「職場の大掃除」・・・これが様変わりしていますね。
ほんの5,6年前までは「大掃除の予定表」が回覧されてきて、そこには自分の課の執務デスク回り以外の所内全体の分担箇所が明示されていました、、、「書庫」「会議室」「休憩室」「コピー室」などなどと、、、。
ところが最近は、改まっての大掃除と言うのがなし崩し的に影を潜めて行く傾向にあるようです。
マア確かにたいていの場所は常に掃除はしているので、大掃除をしなくても汚れは目立ちませんが、、、やはり「大掃除」でなくては手を入れないところがありますから、こういうツケは10年くらいするとはっきりしそうですね、、、マア日常的には不都合が無いので気にしませんが。
ところで12月はお歳暮シーズン。
尤も私は仕事関係。上司にはお歳暮も年賀状の贈った事が無い。
そういう意味では、上の方々からは憶えがめでたくない人間をやって来ました、、、どちらも親戚と友人のみですネ、、、これは今でもそう。
12月に入ると、兄姉からはお歳暮定期便。
兄姉4人の内3人は故郷に居るので、そこからは田舎の特産物中心のお歳暮。
昔はミカンの箱がほとんどでした・・・これが3人同じ時期に届くと食べる方も大変で、、、やがて時期を少しづつずらして貰ったり、、、果物の種類を変えて貰ったり、、、あるいは果物以外の特産物とか海産物にして貰ったり、、、マアこの瀕は兄弟ですからこちらからリクエストしたりします。
そうそうリクエストと言えばすぐ上の姉の旦那さん(義理の兄)の出身地は山国なので、特産物は川魚の甘露煮のような、、、確かに普段は買って食べることは無い、、、貰う方の我が家族は全員これが苦手なので数年後には「お願いだから違うのにして・・・」と言う事で、今では北海道の海産物の詰め合わせに・・・ドライと言うか自分でも少し気がさしましたが、それでも正直に言ってお互い良かったとは思っています。
そうそうお歳暮のミカンでは一つ話的思い出がある。
娘が保育園年長組時代・・・この娘が小さなころは食いしん坊で且つ帰還大好き。
12月に熱を出して近所の小児科で診てもらったところ、医師は盛んに首をひねっている。
「黄疸が出て体が黄色になっている」
見るとお腹など上半身が黄色い・・・といかオレンジ色。
医師が娘に「ミカン食べましたか?」、娘「うん」
医師「いくつ食べました?」、娘「うーん、7つ」
今でいうLLサイズのミカンを7つ食べて・・・黄疸みたいにお腹がオレンジ色になっていた。
今でも田舎からミカンが届くと「ミカン話」を思い出します。
娘に「田舎からミカンが届いたけれど取りに来る?」と電話をしますが、マア今のご時世、隣の市から車で取りには来ませんね。
そうそう当地の特産品を兄姉の所に送っている筈ですが、全て女房殿にお任せ・・・今年は何を送ったのだろう?