なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

質より量

2009-02-03 18:29:44 | Weblog
 2月に入ると何となくせわしなくなって来ます。
  個人的には来年度の契約はすんだので、その面では楽なんですが、その分来季の準備も含めた仕事がスタートします。
 昔なら年末気分・今は年度末のラストスパートに向けて助走期間のような気がします。
 普段の業務をこなしながら、年度末の集計的業務を準備します。
  一方でほぼすべての台帳の準備があるのです。
 現在のように電子的な記憶装置が発達しても、台帳は消えません。
  私の担当している業務では昭和42年頃の記録がありますし、よく問い合わせがあるのは昭和62,3年頃の記録です。
 現在取り扱っているものは、電子的にコンピュータに入力して管理するものと、台帳で管理するものがあり、台帳のものはパソコン入力もしますからダブル手間。
 マア、ダブルにはそれなりの意味もあり、私も仕事があるのですから文句ばかりも言えませんが、ともあれこの時期には翌年度の台帳の準備が必要です。
 これが市販のものが無いので、原本を自家製して必要枚数をカラーコピーします。
 印刷屋さんに頼めなくもないのですが、種類の割に必要数が少ないので、外注すると相当数の在庫を抱えることになるので、やはり手作りするしかなさそう。
 更に各ページの項目ににナンバーリングし、見出しタグをつける・・・このご時世に仕事があってありがたい。

 ありがたい忙しさのおかげで疲れる!?ので・・・観戦中心の生活?になりそうです。
 考えてみれば「仕事で疲れるので実戦が減る」と言うのはまともな流れですが、若い頃はそうではなかったはずです。
 常識的な人はそうかも知れませんが、少なくとも私は違った。
  仕事で忙しい時・それが出張などで物理的に不可能な場合はともかく、忙しい時ほど碁を打ちたいと言う欲求が強かったと思います。
 「忙しい時ほど」と言うのはだいぶ誇張ですが、仕事と関係なく碁を打っていたはずです。
 「酒は別腸」と言うか「ケーキは別腹」というか、仕事の忙しさとか疲れとかは関係なく、仕事帰りに碁会所によって碁を打って、閉店後は徹夜マージャン、翌朝はそのまま出勤。
 
 そういう無茶が祟って今そのツケを払っているのかも知れませんが、ともあれ「疲れているので観戦」気分に変わってしまいました。
  気持ちのエネルギー、気力のスタミナ不足と言うか、老化現象が本格化してくるのかも・・・そうなると敵は対局相手だけでなく、最大の敵は自分の中にあるのかも・・・。
 そう言えば、最近読書の量も減ってきている。
  本来なら読書は量より質が肝心なんでしょうが、私の場合は質の低さを量で補うみたいなところがあるし、斜め読みで大意をつかめれば良いと言う読み方もします。
 「トリビア」的な知識も好きだし、その意味で質はともあれ量が大事ですから、読書量の低下は致命的?。
 という事で碁も読書も量でこなすタイプ・・・これでは、量で質をカバーできるのには限度がある。