なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

おなかいっぱい

2009-02-07 04:40:41 | Weblog
 私が生まれたのは戦後まもなくで、昭和20年代、30年代に少年時代(そういう時もありました)。
 今から見れば相当貧しかったのですが、周りに桁違いに裕福な人がいなかったせいか、あるいは現実に大富豪の生活の情報などが無かったせいか、貧しいとはあまり感じたことはなかった。
  確かに、子供が5人もいるサラリーマン家庭の末っ子ですから、流行のおもちゃなどは期待できなかったのですが・・・姉たちは女3人なので、着るものなどは上から下へお下がりとなるので、一番下の姉などは不平を言っていましたが、私の場合は兄とは11才も違うのと、体格が違ったので”お下がり”の対象にならなかったためかも知れません。
 いや、一番大きな理由は食べるものかも知れません。
 親の考え方としては「貧しくても食べるものには不自由させない」みたいなところがあったのですが、逆読みすれば「食べ物だけは」だったのでしょう。
 豪華なものとは縁がありませんが、それでも”おなかいっぱい”食べていたから、エンゲル係数が高かったはずです。
  そういう習慣の中で育ったので、「ともかく、おなかいっぱい食べる」習慣がついてしまったようです。
 当時でも「腹八分目」とか「腹も身のうち」と言う言葉はあったのですが、おなかいっぱい食べないと食べた気がしないという食習慣があったはずです。

 今の食事とは量が全く違う・・・よく韓ドラで食事シーンを見るとテーブル一杯にいろんなおかずが並んでいますが、あんなに種類は無かったが、大家族がテーブルを囲んで、大きなお皿にメインのおかずが山盛りにあって、常備菜とか家でつけた漬物が並んでいたのですから、どちらかと言えばそのイメージに近いかもしれません。
 今は夫婦と息子が一人で、一人ずつのお皿にちまちまと・・・何と言っても私の場合は量も種類もコントロールされているわけで、本能的な欲求を理性で抑え込んでいる食事を繰り返しているとも言えます。
 食べたい物を食べたいだけ食べられる幸せはたぶん二度とは戻ってこないでしょうね。
 と、言う事で今の私の座右の銘は「死なない程度に生きていく」。
  お医者さんに叱られながら薬と検査の手助けで・・・マア、何と暗い話ですが、現実はそれほど深刻に感じてはいないのですから、自分で言うのも変ですが能天気な性格が救い?でしょう。
 それでも、毎朝の通勤時にはうらやましいことはあります。
  自転車での通勤コースは市民のジョギング・散歩コースになっているのです。
 私にはジョギングの趣味はありませんが、走らないのと走れないのでは意味がだいぶ違います。
 自転車で走るのは問題ありませんが、それでも全速力の持続走は問題ありでしょう。
 歩くのも、速歩の持続は無理でしょうし、もし走ったら数百メートルで危険信号がともるに違いない。
 試しにやってみる勇気もありませんが、ともかく「死なない程度に生きている」のです。
 マア、好きな碁が打てて観戦できるのですから、多分幸せなんでしょう。
 
 夕べも夜中にネット碁の観戦をしていました。
 深夜にいつものMさんの碁を観戦していた・・・はずなんですが・・・気がつくといつの間にか終局していて結果が出ています。
 いつものごとく、いつの間にか眠っていただけですが。
 慌ててネットの対局室を退出して、対局待ちの部屋を覗くとそのMさんと、もう一人お馴染みのNさんが”対局待ち”となっています。
 MさんとNさんが対局しないのは?・・・たぶん現在の点数差が14点なので、2子の手合いになるからでしょう。
 さて、時間は午前4時半ですが、『一局打ってみようかな』と考えたのですが『いま対局希望ボタンを押すとMさんとつながるか、それともNさんかな?』と考えました。
 やってみれば、ホストのパソコンが条件・早い順に選んでくれるでしょうが・・・『その前にトイレに行って準備を整え・・・』と戻って見ると、Mさんの名前が消えていました。
 対局者リストにも名前が無いから接続を切ったようです。
 と、見ているうちにNさんも退出・・・
  『もしかしたら』・・・『私が目を覚ますのを待っていてくれたのかも知れない』。
 終わった対局室に留まっていたのですから、接続状態で眠っているのはミエミエです。
 私が目が覚めたら打ってやろうと待っていてくれたのかも知れません。
 それが、対局室から退出したのに、対局希望を出さないのでMさんもNさんも待つのをやめたのかも・・・
 勝手な想像をする、幸せな人間です。

 家のドアに新聞が差し込まれる気配がします。
 いつもは3時半なのに、今日は土曜日なので遅いのかも知れません。
 さてさて、私ももう一眠り。