なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

真綿で首作戦!?

2009-02-08 15:53:54 | Weblog
 今NHK囲碁講座は石田芳夫さんでテーマは「やさしく考える定石」です。
 この「やさしく」と言うのが良いですね、講師が若くしてタイトルを取った頃の印象は「しっかりした計算に基づいて、余計なことはやらない」と言うようなスタイルで、周りからは「算盤で碁を打つ」みたいな雑音もありました。
 まあ算盤よりかなり評価が上のコンピューターですが、批判との是非はともかくそれまでになかった形を見せてくれたのだと思います。
 私にとっては、常に憧れの棋士でしたし、今でも変わっていない。
  ただまあ、今回のテーマについては「やさしく」という部分で楽しませてもらっています。

 話は横道にそれますが、お隣の国のハングルは表音文字で例えて言えば発音記号が文字になっている感じです。
 日本の平仮名カタカナも表音文字ですが、これらは全て単音えお表しますが、ハングルの場合は一音節を一文字で表している・・・そして感じを排除してハングルだけで著述された場合・・・。
 仮に日本語で平仮名だけの文章があったら、相当読みにくいでしょう。
  王朝時代の女性文学と比較できないでしょう。
 カタカナばかりの文章は、まるで軍国時代の作戦命令書ですが、この場合は漢字+カタカナであるので、カタカナ混じりの文に慣れれば何とかはなりそう。
  尤も、善悪は別にして後者は「同音意義」を排除して絶対に間違いが起こらないことを位置されていると思われる。
 今で言えば法律関係の文章でしょうか、一般には回りくどい表現とか、一いち注釈付きの文章に感じられますが、基本は「読み間違いが起きないこと」にあると思います。
 実は、私はこういう表現が嫌いではない。
  法律も軍事も関係ないのですが、話し言葉とか文章でどちらとも読み取れるものに多少の違和感を感じるので、一つのことが一つの意味と言うことが好きです。
 これは中高時代に、数学を教えてくれた先生が幾何学が得意で、言葉の「定義」と言う部分がやかましかったので、回答もこの部分に神経を使う習慣ができたようです。
 要するに性格が単純ですから含みのある表現が苦手なんですね。

 ところが、ジイサマになりますと周りからかまって貰えなくなるわけで、その分一人遊びが上手くないといけなくなるのですね。
 ネットで碁を打って、本を読むのが趣味ですから問題はあまりないのですが、やはり影響でしょうか、言葉遊びが多くなります。
 と、言う事でやっと「同音意義」の振り出しに戻ります。
 「やさしく」は優しくあるいは易しくと書けますが、講義のタイトルは勿論後者でしょう。
 「難しい変化は極力避ける」ということで、難しい説明をしても読者の理解を得られないと言うこともあるでしうが、基本が大事と言うことでもあるでしょう。
 「定石が右上から左上に発展する時、左上に自分の勢力があるか無いかが重要」こういう説明が良いですね・・・簡単な基本的な考え方を表す言葉を(あまり多くなく)お題目がかわりにして、基本を徹底するとか繰り返すことで身につけるとかすること、あるいは振り返ることが大切ですね。

 ところが、このあたりから「言葉遊び」の世界が始まります。
  私が碁会所で打っていた頃、時折やってくるビジターで強い人がいました。
 本来私などがお相手するようなひとではなかったのですが、初めての時は「互い先でどうぞ」と言われて・・・雰囲気で相当な使い手のムードがあり、「では遠慮なく」とは言ったものの「先でお願いします」になりました。
 しかし30手も打たないうちに、「先で・・・」が間違いだと気がついて投了。
  どこが違うかって言うのは上手く説明できないのですが、「動きに無駄が無い」と言うか「こちらの動きに相手が揺らぎが無い」と言うか・・・オーバーに言えば大きな岩に素手でぶつかっているような感じがしたのです。
 その人は、決して難解な手を放つわけではないし、こちらの虚を突くわけではない。
 しかしつけいるような隙はないし、反対に「ここに打たれたら難しい」と思っているところは見逃してくれません。
 いや直接攻撃が来るのではなくて、一手かけさせられるような攻め方ですね。
  そういうことが1回あれば先のリードは吹っ飛びますし、2回あれば立場が逆になるわけです。
 要するに「優しく打っている」のに、どんどん差がついてしまう・・・あるいは自分の不備・欠点に気がつかされて修正している間に置き去りにされてしまう。

 強いってこういうことなのかと思いました。
  勿論プロ同士ではこういうことは起きないでしょうが・・・強さにばらつきが大きいアマの世界での出来事です。
 まるで剣豪がセンス本で真剣の相手を負かせるような・・・
 「簡明な作戦」「易しく考える」「優しく構える」・・・これらは私にとって憧れであるのです。
 何かしようとしても、そのパワーが相手に跳ね返って自分で自分を痛める、そうかと言って何もしなければジリジリと差を付けられる・・・それでいて相手は穏やかに微笑んでいるみたいな、きっと名づければ「真綿で首を絞める」が当てはまるような気がします。

 NHK囲碁講座の「やさしく考える定石」という講座名だけで、頭の中遊ばせてもらいました。