あいらのひみつ箱

2006年の年明けとともにジュリーに堕ちました。日の浅いファンが 勝手な思いを書き連ねるゆるいブログです。

TOKIO

2009-01-05 18:14:37 | シングルレビュー
A:TOKIO
作詞:糸井重里/作曲:加瀬邦彦/編曲:後藤次利
B:I am I(俺は俺)
作詞:仲畑貴志/作曲・編曲:井上堯之
(1980年1月1日発売)



新年第一弾の曲レビューは「TOKIO」にしました。
実は、ロイヤル2の中で一番レビューが書きづらいなと思っていて後回しにしてたんですけど、
思い切って自分なりに書いてみよっかなと。

東京ドームではネクタイを鉢巻にして宴会部長よろしく歌ってくれましたよね~。
12月という時節柄、忘年会で「キャー、沢田部長~」な感じで「イケてる上司妄想」に耽った方も
多いかと存じます。(←私だけ?
(ご存知の方も多いと思いますが、私は結構モフ許容度高め、今じゅり(ドーム時点)OK派です。
OKとはもちろんそういう意味でのOKです。)

しかしホントにこんな上司がいたら、2次会のカラオケはBOXの部屋割りで血みどろの戦い
ですよ。
「あたしたちぃ~沢田部長の歌、聴きたいですぅ~
「はあ?秘書課ウザー。沢田部長はうちら企画部の部長なんで
「でもさっき、お肉食べながら(←効果的)あたしたちと2次会約束したしぃ~」
とかなんとか。

でも沢田部長、女子には冷たそうですよね。
母ちゃんが一番だし。(←ラジオのダメージが効いてる
「あっ、部長、お疲れ様で~す。」
「君たち。私はお疲れ様って言われるの嫌いだから。以後言わないように。」
みたいな?



・・・・・・ハイ?
あ、いつまでも妄想でグダグダ言ってんなと。
ソウデスネ曲レビューでしたね。



えー、発売当時の80年1月、私は6歳だったので、少しぐらい覚えていてもいいはずなんですが、
記憶ない・・・です。
そんで90年のカブキロックスの「お江戸~O・E・DO~」はしっかり覚えてます。
悲しいおなごが眠る町♪って。いらんがな・・・

セールス的には前作のウルフの不調を挽回したようですが、大ヒットのイメージに比べると
それほどでもないような感じです。
(33.8万枚:オリコン調べ)
記録より記憶に残る曲だったってことかしら。
ここら辺を肌で感じ取れないのが世代違いの悲しさよね

じゅりファンになったころ、「TOKIOってベストテンとかでどんだけスゴかったのかしら~」と思いきや、最高は2位でクリスタルキングの「大都会」を抜けなかったと知ったときはビックリしました。


シンセザイザーピコピコのテクノポップで、インパクト勝負の曲のように言われがちですが、
よく聴いてみるとそれほどテクノじゃないような。
シンセは飾りで、ギター、ベースが基本のオーソドックスな構成じゃないでしょうか。
後年のライブDVDなどではカズさんのギターもカッコイイです。

編曲の後藤さんが実力を遺憾なく発揮、第22回日本レコード大賞編曲賞を受賞しておられますが、
作家陣の中であえて私は作曲の加瀬さんに一等賞をあげたいです。

海に浮かんだ光の泡だと お前は言ってたね
見つめていると 死にそうだと
くわえタバコで 涙落とした


こんな短いBメロのフレーズに虚空の刹那を凝縮したこのメロディー、
ここのメロディーがこの曲の中で一番好きです~!
これがあるからポップなだけじゃない、ドラマティックな曲になってると思うんです。
(あー、もちろん勝手な解釈ですんで。はあ?と思われた方はスルーして~)

伴奏はアレンジャーがベーシストだけあってベースがキモになってます。
バッチュニンもそうですが、後藤さんは「自分が弾いて気持ちいい」のアレンジをしたと想像。
さすがさりぃの弟子!いい仕事してます。
そしてピアノのリズムが軽快で心地良いですよね~。

そして、じゅりの歌ですが、どう評価していいのか・・・
歌手としての力量うんぬんが取りざたされるようなタイプの曲じゃないですよね。
まあ、後年のカバーやモノマネなんかを聴くとじゅりのうまさはわかりますが、この曲では
聴かせるより見せる、って感じでしょうか。
サビの繰り返しはやや単調すぎて歌う姿がときに辛そうに感じます。(ゴメン・・

タケちゃんマンな電飾パラシュートはポンチすぎてドン引きされた方も多いようですが、なんの、
お顔の美しいこと。時期的にはウルフの次なんだもの、当然よね。
衣装の装置に固定されているため振り付けは間奏以外ほとんど手のみ。
それでついつい美しい顔と指ばかり見てしまうのでした。


なお、ウィキの解説に「このパラシュートのアイデアは沢田本人が提案した。」とありますが
これは有名な事実なんでしょうか?
きっとそうなんですね・・・また「芋の煮えたもご存じない」でした
ああ、ファン失格っす・・・

私はパラシュートはタケジさん主導で考案したデザインに、じゅりはあくまで受身的に
「やります」と言った、みたいなことだと勝手に思ってしまっていたのです。何でだろ?

そんであちこちのサイトや動画を見まくって調べたところ、2001年1月20日の
「LOVELOVE愛してる」でご本人が

「パラシュート出すのは僕が・・・なんか(企画で)空飛ぶイメージってなってて、
最初、カウボーイの姿で出ようということになったんだけど
『いや、パラシュートかなんか出したほうがいいんじゃないの』って言って

と語っておられました。
じゅり自分で言ったんですね。
このパフォーマンスがもとで10年一緒にやってきた井上堯之さんと袂を分かち、井上バンドも
解散しちゃいましたけど・・・
でも、じゅりが自ら選んだことですものね。
辛かっただろうけど、大義において後悔は無いことでしょう。


そして歌詞なんですが、完全にアテクシの理解力の限界を超えております。

「咥えタバコで涙を落とす」「夢を飼う恋人」「やさしい女」

都会的で虚勢を張っているけれど
心に秘めた夢があり、本当は繊細で脆い・・・

この詞の世界で描かれているのは、そんな女性なんでしょうか。
それとも、その「女性になぞらえた虚像」自体が、TOKIOというスーパーシティーへの
オマージュなんでしょうか。

「海に浮かんだ光の泡だと」いったいどんなシチェーションでこう言って涙を落としたのか
わ、わからん・・・光の泡って・・・宇宙空間から東京を見るとそんなんかしら?


やさしい女や悲しい男を内包して浮遊するTOKIO・・・東京生まれ東京育ちなのに、
幻想的な歌詞の世界観をさっぱり感じとれないアテクシでございました。
(やっぱ、山手線の外側は東京のうちに入んないのかしら~)


やっぱりまとまらない!長くなってすんません!