Now+here Man's Blog

Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

A Mantra Surfer

2006-09-18 00:28:15 | surfin'


昨日に引き続き、本日日曜もサーフィン。
チサン~クソ下。
クソ下というのはションベンウンチ処理場があるから。(あったから?)
名前は悪いけど、ボードウオークと芝生があり、オイラはここのロケーションが大好きなのだ。
とてもキレイだよ。
で、チサンというのはご存知チサンホテルの前ということ。

今日ここは昼前にミドルサイズまで上がった。
うっすらしたウネリでテイクオフするとドンドンサイズが上がり、
エッジの利いたアップスーンダウンができた。
思わず満面の笑みと、身体中に鳥肌が出るくらい興奮した。
走っても走っても波は崩れず、一定のフェイス角度でオイラをショアまで運んでくれた。
ターンするごとに加速して、ターンの切り返しのときは無重力状態で股間が少しスーっとする。

これには思い切りはまる。
ウエーバーなら必ずはまる。
サーフィンはウエーブに本当に近い。ウインドにはハルカに遠い。

サーフィンはパドルが全て。
パドルができない人やパワーのない人は鍛えない限り、
あの極上の浮遊感を味わうことができない。
あれを早く体験しないとサーフィンは継続し難い。
そうなるとサーフィンは時間があるとき、やりたいときにやる、暇つぶしの趣味道楽になっちゃう。

趣味道楽でいい波に乗れたら最高だよね。頭の波に乗っちゃうし、まわりが乗せてくれる。
でもそんなことはあり得ない。
サーフィンはかなり根性の入ったピュアスポーツなのだ。ウインドと同じくらい。

オイラは道楽で乗るサーフィンは非常に危険だということを知っている。
そして努力しないとサーフできないことくらいは知っている。
努力の結果でサーフできているので、オイラは嬉しい。サーフが楽しい。
初めて海に感謝できる。波に頭を下げられる。
海に入るときと出るとき、海に頭を下げる気持ちをオイラは持っている。
オイラは海が怖いのだ。世の中で一番怖いのは海なんだ。


サーフィンのあの浮遊感は
そこそこの波のでかさと掘れ方と波を見る眼力と上半身のパワーが授けてくれる。
どれが欠けても味わえないだろうな。
そしてどれかが欠如すると長く続けることは不可能だろうな。

サーフィンというのは波に乗る行為で、波に乗せてもらう行為じゃないんだね。
天気図を知り、波の性質を知ることが、サーファーの海と接するための礼儀。
怖さを知り、謙虚になって、自らを鍛えることが自分自身へのサーファーズルール。
つきつめるところのアロハスピリットだと思うけど。

精神のあり方とは、死の存在を知り、自然の神々が荒ぶることを抑えるための、
マントラへの回帰法である。
それはハワイアンの宗教原点がインドである所以である。→だそうだ。なんだ?そりゃ!

以前の話。
『あなたはウインドサーファーなの?』と聞かれ、即座に首を縦に振ることはできるけど、
『あなたはウエーバーなの?』と聞かれ一瞬返事に躊躇することがあった。
なぜかと言えばそのころ波にまともに乗ってなかったし、コンディションを選んでいた。
それに海の怖さを目に見える景色からしか判断できず、
身をもって知る海の恐怖を知らなかったからだ。
だからオイラはウエーブしてるとはムネを張って言えなかったのだ。

『オレはサーフィンしてるよ』と言えたのも最近だ。ほんの数年前。
横に走れて初めて他人にサーフィンしてると言える様になった。
台風の日に乗って初めて自分はサーファーになったと思ったりした。

ウエーバーとかサーファーというのは、そのスポーツをする人のことだけを言うわけじゃなくて、
海に対する態度がある基準や水準を上回ってる人のことを指すんだね。
スポーツの楽しみ方は人それぞれだけど、
そういう判断基準や水準はたぶん未来永劫変わらないような気がする。

もちろん、海の捉え方だと思うけど。
スポーツかレジャーか趣味か特技かね。
オイラは何かな~。人生の大きすぎる一部であることに間違いはない。