「大鹿村騒動記」遺作となった。(オオシカムラソウドウキ)
主役の原田芳雄さんの命日は2011年7月19日既に三回忌。
映画・大鹿村騒動記(オオシカムラ)試写会にて
今年6月に姉と旅をした、長野県大鹿村の事がずっと頭に残っていた。現地に300年の歴史を持つ「村歌舞伎」を題材にした映画。旅から帰ってからずっと頭から離れなかった映画。
きっとテレビでやるのに違いないと思っていた。テレビ欄は比較的毎日見ているのに、何と目に留らなかった。用事も有ったし出かけなければと思っていた矢先友達からメールが入った。「今日午後1過ぎからから7chで大鹿村騒動記をやります。留守かな?」と。「え~~っ?」直ぐに録画予約を入れたが、もし撮れていないと困るので用事を取り止めじっとテレビの前で座って観る事にした。
たった一秒のタイミングで待ちに待っていた物をキャッチできるなんて。感動が止まらない。
友達は私が行った大鹿村の名称までも覚えてくれていた事にも感激。以心伝心だったのかしら?
この映画の時の原田さんは、まさか二年後に試写会舞台挨拶で歩けないほど痩せて、車いすに乗り娘さんに押して貰って登場なんて・・・・お気持ちを、お譲さんが代読していた。ご本人と思えない程の変わり様。
大鹿村は緑の奇麗な時に行った。「秋の山は又奇麗ですよ」と言われていた。村歌舞伎は秋の農作業が全部終わって、秋祭りにやるので自然は紅葉の中にあり、言われた通り真っ赤に染まっていた。
ロケした場所を幾つか教えて頂いたので目を凝らして確認した。
南信州の山の奥深い村で、300年も続く芸能が有る事にも感動したが、村の人達が一体となり「おらが村の自慢」と言える事にも羨望を感じた。
映画は原田芳雄さんの追悼としての上映だったが、故三國連太郎さん、忌野清志郎(挿入歌出演)の出演も懐かしいものだった。
三国さんの息子さん、佐藤浩市さんも共演していたので、ご本人も感無量だった事だろう。
私の亡義姉は原田芳雄さんのお宅で、毎年恒例のお餅付きに友達と行くのが大好きだった。「芳雄ちゃん芳雄ちゃん」と話題にしていたっけ。何度か誘って呉れたのに、私も何かと気忙しく、遠慮してしまったのが今考えると惜しかった。が留飲は下がった。
皆さんで、今頃お餅付き大会で楽しんでいる事でしょう。
主役の原田芳雄さんの命日は2011年7月19日既に三回忌。
映画・大鹿村騒動記(オオシカムラ)試写会にて
今年6月に姉と旅をした、長野県大鹿村の事がずっと頭に残っていた。現地に300年の歴史を持つ「村歌舞伎」を題材にした映画。旅から帰ってからずっと頭から離れなかった映画。
きっとテレビでやるのに違いないと思っていた。テレビ欄は比較的毎日見ているのに、何と目に留らなかった。用事も有ったし出かけなければと思っていた矢先友達からメールが入った。「今日午後1過ぎからから7chで大鹿村騒動記をやります。留守かな?」と。「え~~っ?」直ぐに録画予約を入れたが、もし撮れていないと困るので用事を取り止めじっとテレビの前で座って観る事にした。
たった一秒のタイミングで待ちに待っていた物をキャッチできるなんて。感動が止まらない。
友達は私が行った大鹿村の名称までも覚えてくれていた事にも感激。以心伝心だったのかしら?
この映画の時の原田さんは、まさか二年後に試写会舞台挨拶で歩けないほど痩せて、車いすに乗り娘さんに押して貰って登場なんて・・・・お気持ちを、お譲さんが代読していた。ご本人と思えない程の変わり様。
大鹿村は緑の奇麗な時に行った。「秋の山は又奇麗ですよ」と言われていた。村歌舞伎は秋の農作業が全部終わって、秋祭りにやるので自然は紅葉の中にあり、言われた通り真っ赤に染まっていた。
ロケした場所を幾つか教えて頂いたので目を凝らして確認した。
南信州の山の奥深い村で、300年も続く芸能が有る事にも感動したが、村の人達が一体となり「おらが村の自慢」と言える事にも羨望を感じた。
映画は原田芳雄さんの追悼としての上映だったが、故三國連太郎さん、忌野清志郎(挿入歌出演)の出演も懐かしいものだった。
三国さんの息子さん、佐藤浩市さんも共演していたので、ご本人も感無量だった事だろう。
私の亡義姉は原田芳雄さんのお宅で、毎年恒例のお餅付きに友達と行くのが大好きだった。「芳雄ちゃん芳雄ちゃん」と話題にしていたっけ。何度か誘って呉れたのに、私も何かと気忙しく、遠慮してしまったのが今考えると惜しかった。が留飲は下がった。
皆さんで、今頃お餅付き大会で楽しんでいる事でしょう。