セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

老々介護の終わり

2010-08-21 | セカンドライフ
ブログの中にも何度か記録した姉の長い介護は終わりに来た。
嫁として22.23歳の若い娘が田舎の長男の嫁として嫁いで43年無事に舅・姑を送り出した。
あと数日で92歳になる所だった。安らかに・・・・・安らかな日々ではあった。

姑母は、17年程前にアルツハイマー病に侵され徐々に記憶を無くして行った。
姉夫婦が○●記念で子供達から旅行をプレゼントされ晴海から小笠原へクルーズをした際に
深夜、私の家の電話が鳴った「2人が帰って来ないんだけど・・・・」と心配そうな声。

私はてっきり、行き先も言わないで出かけたのかと思い姉を責めた。
「そうですか?すみません。実は今、小笠原と言う所に2人で出かけたんですよ。☓日には
帰りますからね。大丈夫ですよ」と返事をしたが
私も何となく納得出来ない気分だった。

翌日も深夜に同じ電話・・・又翌日もと言う具合だったが、声も張りが有りまさか、病気に侵され始めて
いるとは思いもしなかった。

私は晴海ふ頭に見送りも、出迎えもしているので「全く呑気な夫婦」なんて思っていた。
帰港して私が姉を咎めると「まさか!」と唖然としていた。
きちっと日程も伝えて出かけているし・・・・と。そうよね嫁が内緒で出かけるとは考えにくいし。

アルツハイマーの症状ははっきり確認するまでには時間がかかるので数年は何も手も打たず。
しかし、姉は疑っていたが義兄は実母ゆえ信じるまでには3年位かかったと言う。

長い介護の生活は続いたが姉はいつも「うちのお母さんは素直だから私の言う事は『はい』と
聞いてくれるのよ」なんて割合い軽い気持ちでいたが、段々病状は重くなるばかりで、お箸も
持てなくなる日が来た。
姉は出来るだけ家で面倒をみたいと頑張っていたが、熱を出し肺炎となり、何度も何度も
繰返したが病院で力尽きて、帰らぬ人になった。


葬儀会場にはお元気だった頃の一家の写真が10枚程並べられていた。
とても気丈なご両親だったので、若く、のんびり気がきかない、世間知らずの姉の苦労は大変な
物だったと想像に難くない。

田舎の長男のもとに嫁ぐと言う事は大変な事と言う理解も無い時分に周りに決められ嫁いで
しまった姉。
5人兄弟が全員家族7人で生活する中に入って行った姉。全員の洗濯物、食事、お弁当も作っていた。
兄弟は未だ高校生、中学生だった。

一度その姿を見て私が涙が出そうになって必死にこらえた事が有る。
お姑さんも、明るくて私にもとてもよくして下さったが、立場が違えばなさぬ仲的な・・・

昨日も、お舅・お姑さんのご兄弟、本家分家の他に義兄の兄弟全員とその子供達、姉の娘達家族が
全員勢ぞろいしていた。宿泊もするそうだ。

「とても優しいお婆ちゃんだった」と姪達は涙を流し、義兄の妹さん(60歳)も
「母は優しい人だった。私も未だ老々介護中です。何度も実家に帰ったけど(家出)、母に我慢
しなさいと言われ通しで、もう私も遂に還暦になってしまいました」と大粒の涙をこぼしていた。

家族皆に愛されていた方なんだなーと感心した。ずっとベットに釘付けの方だったけど
未だ未だ惜しまれる命。
肉親と言うのはこんなものだなと納得した。
「息をしているだけで、存在しているだけで子供達の励みでした」と。

血縁の情ってこんな形が正常なんだと・・・・血縁の皆さんの本音だと思う。
大勢の親族に見送られ旅立ったお姑さんは幸せな最期だったと思おう。

暗いニュースが多い中ホッと救われる情景。
私は立場が違うので姉には「ご苦労様でした、お疲れ様でした」と言うしか無かった。