あいりのCinema cafe

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大人の見る絵本 生れてはみたけれど(ビデオ) 

2005-07-11 18:44:25 | 邦画 (69)
umarete

監督:小津安二郎
原案:ゼェームス・槇 (小津安二郎)
脚色:伏見晁
撮影:茂原英朗
衣裳:斎藤紅
出演:斎藤達雄(父 )吉川満子(母)
    菅原秀雄(長男)突貫小僧(次男)
    坂本武(重役)早見照代(夫人)
    加藤清一(子供)小藤田正一(小僧)
    西村青児(先生)  1932年、日本

ネットでのお知り合い、牧野さんに勧めて貰って見た。感謝!
なあんと、70年以上も前の小津作品、モノクロでしかも、無声映画!
旧かなづかひ。(笑)
映画を読んでるという感じなんだけど、実に面白かった。
大人や特に子供の心理を丁寧にコミカルに捉えている。

大人の世界を子供の目から見たらどう映るのか。。
昭和の初め、兄弟二人はまだ小学生で、この頃は小学生でも制服に革靴。
普段は下駄を履いている!
あっ!それに男女共学ではない??
酒屋の小僧さんなんか今や存在しないもの。
子供たちが子供らしくおおらか。

郊外に越して来たけど、そこには乱暴者のいじめっ子がいて、子供たちの世界もまたそこそこ大変なのだ。
中に、背中に「オナカヲコワシテイ升ノデタベモノヲヤラナイデクダサイ」の張り紙をずっと背負っている小さい子がいるのにはお腹がよじれるほど笑った。
動物じゃあるまいし。あはは

弟役の突貫小僧(青木 富夫)←リンクどうぞが最高です。
臨戦態勢に入る前にははいていた下駄を即座に脱ぎ手に持つ。
すっかりファンになってしまった。
色んな映画に出演、きっと見かけていたはず。
何でも、撮影所に遊びに来ていたのを子役と間違われて映画に出演したという珍しい経歴を持つ。(笑)

父親の勤める会社の重役宅で活動の映写会があり、そこの息子を通じて兄弟も入れて貰うが。
画面には会社で専務におどけた顔をしてご機嫌を取る父親の姿があった。
兄弟の顔色が変わる。

当時は父親は威厳を持っていたし、子供たちも父親を尊敬していた、なのに。
兄弟は傷つき、父親にお父ちゃんは偉くなれ、勉強をしろと言うけど、ちっとも偉くないじゃないかと食ってかかり、おしおきにぶたれる。

子供たちの寝顔を見て父はつぶやく。
「こいつたちも爪を噛みながら一生を暮らすのか・・」

母親はそっと涙を拭っている。
あれ~?私も目頭が熱くなる。
サラリーマンの哀しさなんて70年前も今もちっとも変わらない。
貧富の差も今も昔もどうしようもないこと。

叱った後、父親は優しく子供たちに接するのを忘れないのがいい。
朝ごはんも食べず庭でふくれている子に、父親の言葉とおり母はおにぎりを持っていってやり、父子は仲良くおにぎりを食べる。

専務が車で来た時、兄弟は、少し困った顔の父親に行って挨拶するように合図する。
子供は子供なりに理解していくんだな。

子供たちの間では父親の地位の差なんていつまでもこだわらないのがいい。
肩を組んで仲良く登校していく。

頻繁に画面を横切る電車は明日への希望のシンボルなのかな。
台詞なんかなくても、(字幕はあるけれど)心に沁みるということに驚いた映画でした。

TB送信:マイ・ラスト・ソング







マラソン (劇場)

2005-07-08 20:21:49 | 韓国映画
m6-in

監督:チョン・ユンチョル
脚本:ユン・ジノ、ソン・イェジン、チョン・ユンチョル
撮影:クォン・ヒョクジュン
編集:ハム・ソンウォン ナム・インジュ
音楽:キム・ジュンソン
出演:チョ・スンウ(ユン・チョウォン)
    キム・ミスク(キョンスク・チョウォンの母親)
    イ・ギヨン(ソン・チョンウク ・コーチ)
              2004年、韓国
公式ページ 
5才の心を持つ20才の青年チョウォン
「ボクは走っているときがいちばん幸せ!」

映画のキャッチコピーから内容は想像できて、ためらいながら見に行った。
予告編を見てあの『ラブストーリ』のチョ・スンウの映画を久しぶりに見たかったし。
私の職業(笑)は母親業だし、訳あって障害のある子供を持つ母親の気持ちが少しだけ分かるので、チョウォンの母親の気持ちに共感すること多々。

実在の青年を描いた映画です。
今までに、この題材を真っ向から描いた映画があったかな。
描くべきことはしっかりと丁寧に描いていて、決して、泣いてください的でない力強い映画だった。

チョウォンはチョコパイとジャージャー麺としまうまとマラソン、音楽に合わせて踊るのが大好き。
5才の心を持つ20才の青年チョウォン。

このような子供を母親という仕事柄、見てはいるけど本当のところは知らなかった。
雨、水、風、ああいうふうに感じさせ、覚えさせるのか。
ああ、なんて大変。
お化粧っ気のない母親に苦労のあとが見えて。
彼らが誘拐防止のため他人から食べ物を貰わないのも初めて知った。

動物園で母親がしようとしたことはショックだったけど、魔が差すのも分かる気がした。
若い母親が一人で担うには重荷過ぎる。

純心無垢なチョウォンの心と表情は見る者の気持ちを暖かくし、笑わせてくれる。
私はたくさん笑った。

それから、このお母さんは強い。
心無い大人にチョウォンが侮辱されたり乱暴されると、猛然と反撃するのにはスカッとする。

飲酒運転でボランティアの罰を受けた自堕落な生活を送る元マラソンチャンピオンの男に、母親は息子のコーチを頼む。
あなたに20年間罰を受けてる気持ちが分かりますか。(それは少し違うと思うけど;)
望みはあの子よりも一日だけ後に死ぬこと。(涙)
でも、この悲痛な思いはのちに変わるのだけどね。
そして、このコーチはたぶんチョウォンが母以外に初めて心を開いた他人となる。

チョ・スンウはチョウォンを完璧に演じたと思う。
でも、演技に嫌らしさが出ていないのは彼の素朴な感じの個性のせいかな。
特徴を出すために高い声で話す。
心のうちを表現できない彼の”指”の動きに注目。

風や雨を感じて楽しげに、宙を飛ぶごとく走る姿が本当に気持ちよさそう♪
似た役をソル・ギョングが『オアシス』で演じたけど、チョ・スンウのがいいな。ゴメン;

しまうまは草原にいて、子供を一頭だけ生み育て・・・
完走を目指すマラソンで彼がしまうまと一緒に走る場面は幻想的。

音楽も流れるように綺麗です。
さて、若い人はこの映画をどう感じるのかしら。

ここから結末に触れています。
**************************************************

お母さんは僕を迷子にさせたでしょう。
手を離したでしょう。
チョウォンは知ってたんだ!

いくつも忘れがたい場面はあるのだけど。

だらしない監督がうっかりチョウォンを走らせてるのを忘れ、その止める手を振り切って、今、約束の100周目を走るところだから。。
流石に心配する監督の腕を無言でむんずと掴んで自分の心臓に当てるチョウォン。
この姿にまぎれもなく20の青年の怒りと尊厳を感じた。

この子たちは周囲の人間に関心を示しません。

監督と彼が一緒に走って満足気に草むらに二人で寝そべった時、チョウォンは監督に飲み物をそっと差し出す。
彼が初めて他人への心遣いを示した瞬間。
彼の指がためらいを表してるけど。

いつか息子を想う気持ちは母親の夢と癒しになってしまっていた。
息子が彼女の全て、生きがいになっていたのだ。
チョウォンのお陰で周りの人々もまた育てられたのだよね。

マラソンを止めようとする母の手を今度はチョウォンが離す時。
それは母からの巣立ちの時。
二人の表情に、暖かい感動がじんわりと胸に広がった。

あんなに練習してできなかった笑顔。
彼の顔が満面の笑みで覆われる。

これで母親も自分の人生を歩めるようになれるだろうか。
チョウォンのことで頭がいっぱいで、母親は夫やチョウォンの弟をかまう余裕をなくし崩壊寸前だった家庭。

でも、最後に男同士の会話が聞こえた。

mara

TB送信:any's cinediary、東風blog (tongpoo blog)、ラムの大通りRabiovsky計画

★『まめどまめじゃーなる 』
さんからTB頂きましたが、表示されないのでここに記載します。










お早よう 

2005-07-03 16:18:26 | 邦画 (69)
oha

監督: 小津安二郎
脚本: 野田高梧 小津安二郎
撮影: 厚田雄春
美術: 浜田辰雄
音楽: 黛敏郎 

出演: 佐田啓二( 福井平一郎 )久我美子( 有田節子)
笠智衆 (林敬太郎)三宅邦子(林民子)
杉村春子 (原口きく江)沢村貞子 (福井加代子)
東野英治郎 (宮沢汎)三好栄子(原口みつ江)
田中春男 (辰造大)泉滉 (丸山明)
殿山泰司 (押売りの男)佐竹明夫( 防犯ベルの男)
               1959年、日本
BSテレビで見た映画です。
小津監督の映画はこの他には『東京物語』しか見ていませんが。

1950年代の日本、当時の清潔なこじんまりとした家が並ぶ新興住宅街。
そこに住む五つの家族と、それに関わりのある人たちの人間模様をユーモラスに描いています。
土手の向こうに見える空が抜けるように青い。
当時はこんなに空が青かったかな。

子供たちは初めは何の音かと思えばオナラ合戦なんかして遊んでいる。
出てくる人たちのおおらかさにまず驚く。
各家とも玄関に鍵なんてかけていない。
私の実家も当時は鍵などかけてなかった。(笑)
ガラガラ、奥さん、回覧板ですよ~てな具合である。
隔てがないだけに、口が災いして小さないざこざは起きるのだけど、決してどこかの騒音おばさんのような大事にはならない。

テレビがそろそろ各家庭に普及し始めた頃。
林家の子供二人はテレビを買ってくれないと両親に文句を言う。
この時代も父親はきちんと威厳は保っているけど、子供たちは言いたいことを言うんだな。
父親は会社帰りに近所で一杯ひっかるのが楽しみの様子で、勤勉に働き寡黙である。
笠智衆が寡黙だけど、優しくて茶目っ気もある父親を演じていてなんだか嬉しい。

子供たちの口答えがひどいのでついに父親から”無駄口をきくんじゃない”と叱られる。
兄弟はその日からハンストを初め、学校でも口をきかなくなる。
子供にだって意地がある。特に次男の小学生が実に子供らしくて可愛い。
でも、テレビがないと家族が茶の間に集まって、それぞれ何かしながら会話している。
いい風景です。

兄弟が英語を習いに行く先生(佐田啓二)の台詞が興味深かった。

「世の中は無駄な言葉でなりたっているんじゃないのかな。
お早よう、の挨拶やお天気のこととかさ」

佐田啓二は言わずと知れた中井貴一さんの実父、まことに美男で横顔などは流石、貴一さんによく似ている。

この時代はまた、そこそこの部屋数があれば同居人がいたものだ。
林家にも美人の妻の妹、節子(久我美子)がいる。
翻訳家の英語の先生が林家の節子に好意を持っているのを知る母親(沢村貞子 )はすかさず言う。

「大切なことはなかなか言えないのにね」

あはは、それも真実だ。
物はなかったけど、のんびりした時代。
まだまだ郊外でも野っ原で蓮華を摘んだり、川で水浴びができた。

もう一人、印象的な人物は口の立つ娘(杉村春子)を持つ猛者母、三好栄子。
「なんだい、自分一人で大きくなったような顔しやがって、どうしてああいう人間になったもんかね」
子が子なら母も強くて押し売りもタジタジ。(笑)
『東京物語』でも親の心、子知らずがテーマだったのを思い出す。

ラストは佐田啓二と久我美子が朝、駅のホームで電車を待っている。
さりげなくお天気のことなんか話しながら。

工場の大きな煙突から上る煙に高度成長期の日本を見る。