愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

日本国民の思考停止を狙う日米軍事同盟深化派の落とし穴、国民的マスメディアの構築こそ墓場の準備に!

2013-10-04 | 日記

伊勢神宮のスリカエ儀式については、昨日記事にしました。あのゴマカシ・政治利用の儀式を逐一報道する日本のマスコミは、異常でした。それを不思議に思わない日本もそうです。ところで、こうした事実を目の当たりにして、ラジオ放送の開始時を思い出しました。以下の記事をご覧ください。 

IJBL2: 昔の日本のラジオ放送に関して書かれた本 2012年7月11日

天皇の声》放送局の反革命的出発点

同時に、2日、東京で行なわれたTPP参加阻止の集会が黙殺されたことを告発しなければなりません。一つには、大海人皇子、後の天武天皇が伊勢神宮(伊勢大神の祠)に戦勝祈願したように、安倍首相は五穀豊穣信仰の総本山である伊勢神宮に、TPP・消費税・憲法改悪のたたかいための戦勝祈願に訪れたのでしょうか。もしそうだとすれば、とんだスリカエです。違うとしても、それは、伊勢神宮の神様の本来のあり方を否定するものです。

そもそも、安倍首相は靖国神社参拝の場合もそうですが、神道のことを本当に判って参拝しているとはとても思えません。それは、以下の理由によります。河合真如「常若のふるさと」(『別冊太陽 伊勢神宮 悠久の歴史と祭り』には、以下のように説明されています。

皇大神宮(内宮)の祭神は、祖先神として崇敬されている天照大神。あらゆる生命体に恵みを与える太陽にもたとえられ神である。豊受大神宮(外宮)に祀られるのは、豊受大神。農業をはじめとする産業の守護神である。命と暮らしを守り育む神を祀る両宮を中心に神宮には百二十五に及ぶ宮社が存在。年間の祭りは、千五百を数える。(引用ここまで

どうでしょうか。伊勢神宮自身が、本来の神の本質から離れていないでしょうか。それは、伊勢神宮は、近代日本の膨張政策の最終段階として、八紘一宇論の具体化である大東亜共栄圏づくりを正当化するための思想の装置でした。天皇制政府は、伊勢神宮の思想を国民とアジアに強制することでアジアと日本国民をそれだけ殺したのでしょうか。このことをマスコミはいっさいスルーしました。

伊勢神宮の神様を信頼するとすれば、きっと伊勢神宮の神様は怒っていることでしょう。このように伊勢神宮の神様の本質と真逆の政治を行なおうとしている安倍首相に対しても、違うぞ!安倍!って怒鳴っているかもしれません。いや神様ですから、どうでしょうか。

というように、伊勢神宮の本質的な側面を、マスコミはいっさい黙殺して、戦前と同じ手法・手口で、儀式をスリカエ・安倍首相の憲法違反を問題にせず報道しているのです。それと同時に、伊勢神宮の神様のもつ本来の本質を具体化している国民の運動も黙殺しているのです。ここに最大のスリカエ・ゴマカシ・トリックがあります。以下の記事は、いっさい報道されませんでした。ご覧ください。

消費税増税阻止に5000人超/かつてない運動 全国で/東京・日比谷で国民集会2013年9月28日(土)

消費税大増税ストップ 国民集会/日本共産党 市田忠義書記局長の連帯あいさつ2013年9月28日(土)

道理のかけらもない 強く抗議し、撤回を求める/首相の消費税増税表明 志位委員長が談話2013年10月2日(水)

消費税増税 力合わせ4月実施中止へ/共産党が宣伝2013年10月2日(水)

TPPから食と命・暮らし守る/JA全中・生協などが集会/「秘密交渉だ」共同広げ阻止2013年10月3日(木)

国民への約束は完全に反故にされた―TPPからの即時撤退を/JA全中・生協などの集会 志位委員長のあいさつ2013年10月3日(木)

憲法9条署名 住民過半数に/大阪市西淀川区/人口9万7千人で4万9千人余集約2013年10月3日(木)

“99%が困っちゃう” 社会保障削減と消費税増税反対/首相官邸前アクション2013年10月3日(木)

どうでしょうか。こうしたマスコミの実態がどのような意味を持つか、以下の指摘は、現代日本に、もっとも当てはまるような気がします。このことは、本来は、1945年8月15日に実証されていたことです。ソ連・東欧が、日本から学ばなかっただけの話です。ということは、現代日本は、戦前の日本からも、ソ連・東欧からも、何も学んでいないことになります。以下お読みください。

聴濤弘さんに聞く 社会主義を考える ②ソ連・東欧崩壊の国内的要因」『経済』(97年2月号)より

 ―なぜソ連・東欧は崩壊したのか、その国内的要因についてお話をうかがい、時間があれば、そういうソ連・東欧の体制をどうみるかについてもうかがえればと思っています。

 最初の印象-モノトーンな社会

 そうですね。崩壊の国内的要因は、結局ソ連がどういう社会だったのかということにもなりますので、両方をあわせた話になると思いますが、前回と同じく、実感的な話からはじめたいと思います。

 私は一九六〇年から六四年までの四年間、ソ連で生活をしたことがあります。一九六〇年というのは、まだ世界の共産主義運動の不団結があらわになる前ですし、ソ連共産党の覇権主義的なわが党への干渉もまだ始まっていない時期でしたから、ソ連は社会主義のすばらしい国だと思って行っているわけです。そこで最初に驚いたのは、毎日の新聞、テレビ、ラジオのニュース、どれをとっても、経済の話ばかりだということです。経済の話といっても、どこそこの工場でトラクターを何台作って目標を達成した、どこそこの村のコルホーズで小麦を何トン収穫した、ジャガイモが計画どおり掘れたとか……。

 トップニュースが別のニュースというときは、主として政府首脳の外交活動です。それも儀礼的な、きわめて官報的なものでした。それからたまに開かれるソ連共産党中央委員会総会のニュースです。日常的には政治問題のニュースはありません。犯罪も全然報道しない。

政治や犯罪はニュースにならない?

かつてイタリア共産党機関紙「ウニタ」のソ連特派員で、『ソ連邦史』(大月書店)の著者として日本でも知られるボッファが、『大転換』という本を一九六〇年に出しています(その第一部の邦訳が『スターリンからフルシチョフヘ』として一九六一年、三一書房から出ている)。そのなかでボッフアも、どうしてソ連では政治ニュースがないのかということに注目しています。ある地方党機関に行ったとき、この地域の政治問題は何かと質問したら、“政治問題はない”という返事であった。わが国においてはもう階級闘争はなくなりました。“政治問題というのは階級闘争の問題ですから、政治問題というのはありません”という答えだったというのです。それで話といえば、生産活動のことばかりで、たいへん驚いたとボッファも書いています。

(略)

民主主義の欠如した社会の沈滞

―政治の面では、国民が無関心になっている社会、沈滞した社会ということですね。

 そうです。自由のない社会というのは、無気力な社会をつくります。そのことが、なにかあれば政権がすぐ崩壊してしまう、そういう客観的条件をつくっていたと思います。私は、ソ連での政権崩壊が民主主義の抑圧に反対する直接的な大衆デモの結果としておこったものではないだけに、このことを特に強調したいと思います。

 それではどう社会を停滞させたか。いろんな面からいうことができますが、実感したことを二、三いいたいと思います。

 ひとつは、情報が管理されているため、世界のこともソ連白身のこともわからなくなってしまうことです。ペレストロイカがはじまったころ、私は歴史学のうえでペレストロイカの旗手といわれていたソ連の学者と話し合ったことがあります。そのとき日本にいてさまざまな文献が読めるわれわれのほうが、よくソ連史を知っているのではないかと思いました。ドイッチャーやカーのものなどを読まないと、わからないことだらけなのが当時の状況だったのですが、そういうものを読んでいないわけです。これではソ連国民は世界の進歩からも、ソ連自身のことからもとりのこされてしまうわけです。

 芸術面でも同様で、一九八七年にペレストロイカの視察にソ連にいったとき、テレビをみているとモスクワ芸術座の俳優たちが討論会をやっていました。自分たちは何年たってもチェホフの「桜の園」とか「三人姉妹」などしか演じていない。ソ連の国民の生活を描いたものをやったことがあるか、これで芸術か、と議論していたのは大変興味がありました。またソ連に有名なモイセーエフ歌舞団というのがありました。六〇年代にはじめて見たとき、キューバ革命の踊りなどを取り入れ大変感動しました。ところが二十数年たって八七年に見たとき、キューバの踊りを含めて出し物がまったく同じなのには、本当に驚きました。

 政治的には、人民の代表機関であるといわれる最高ソビエトの活動のあまりのひどさです。だいたい年に二度招集され、一回二~二日程度で、一日に何十件という案件を議論もなしにあげてしまう。新聞には官報のような報道がされるだけです。これでは国民は訓練されません。政治から離れてしまうだけではなく、社会でおこる問題について考え思考する能力を奪ってしまう。社会が停滞するのは当然です。

 それから、これはすでにのべたことですが、企業・職場で労働者が経営参加から排除されてしまっています。これでは、社会にたいし、また経済生活にたいして責任ある自覚など労働者のなかにうまれてくるわけがありません。労働者のイニシアによる増産のニュースも報道されますが、かつてのスタハーノフ運動(社会主義競争運動)のように官製のものという印象をまぬがれえません。経済活動が社会の中心問題として日々とりあげられながら、労働者自身からは自覚的イニシアが生まれないというのは、社会を停滞させます。

 その他いくつもありますが、すべてこうしたことが、ソ連社会の進歩をすすめる力を奪ってしまったといえます。(引用ここまで

どうでしょうか。現代日本のマスコミは、自らの資本の論理を貫徹させ、マスコミに課せられた「公正性」を放棄し、一方的な情報を垂れ流しているのです。このことの意味は、皮相な利益追求型に侵されているマスコミを示しています。同時に「新自由主義」などと、何か新しい資本主義であるかのようにスリカエる資本主義とマスコミが見えてこないでしょうか。

このことは、ジャーナリズム本来のもつ人権と民主主義の尊重によってこそ、日本の資本主義とマスコミの求める本来の利益が、すなわち出資者である資本家・株主に還元されるという資本主義の原則すら放棄していることが判ります。東電などの株主総会をみれば、実によく判ります。企業の社会的責任の放棄が社会全体に不利益をもたらすのです。

そういう意味で、日本の資本主義は、自らの経済システムそのものの自己否定の段階に入っていると言えます。このことは東電にしても、みずほにしても、JR北海道などなど、巨大企業のガバナンスの崩壊と、多国籍企業化した財界の利益優先の原発輸出という特異な思想と非正規雇用の野放しと内部留保独り占めなど、もはや、封建社会を克服する際の使われた市民革命のエネルギーすら棄ててしまったと言えます。

それでは、こうした局面をどうやって変革していくか、それは、現在の資本主義のリーダーたちの先輩たち、すなわち市民革命の担い手たちが使ったイデオロギーを使うということでしょう。民主主義です。この思想を生かすためには、民主主義を活かしていくことです。具体的な運動です。その運動のみが、日本における新しい民主主義の制度をつくりだしていくことでしょう。

それは日本国憲法の原則を社会の隅々にまで行き渡らせる理論と運動と制度という装置です。そのためにも、国民無視のマスコミに代わる国民的マスメディアの構築です。昨年の官邸前行動を創りだした情報革命とそのエネルギーです。「しんぶん赤旗」と共産党の革命的刷新です。聴濤宏さんの指摘を、以上のように受け止めて読んでみました。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。