たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

百日紅

2024年08月26日 15時39分40秒 | 日記

 かつて自死遺族の会に参加したあと気持ちを落ち着けるためゆっくりと紅茶を飲みながらパスタを食べた店、4年前おそらくコロナ騒動により閉店となってしまったのをバスの中からみかけましたが、先日久しぶりで近い所にいったらタリーズコーヒーが入っていました。趣のある佇まいの建物に外資発祥の大手チェーン店。タリーズコーヒー自体は嫌いなわけではないですが不似合だと感じました。そこにしかない場所が外資に乗っ取られていく。なくなってほしくない場所には時々いってお金を落とすことが大事ですね。自死遺族の会の話は自覚しているよりも心と頭が披露していたと思います。チェーン店にはない昔ながらのソファ席でほんとにゆっくりさせてもらいました。あらためてありがとうございましたという気持ちになりました。

 あと4週間ほどで、1994年9月に妹が家で首吊って亡くなってから丸30年が過ぎるということになるでしょうか。どういう性なのか、どういう巡り合わせでこういうことになったのか、結局どこにも辿り着くことが出来ず心はさまよったままで苦しいなあと思います。この事実から逃れることはできません。どう受け止めればいいのか結局わからず共に生きていくには許容できる範疇を越える事実。人はどういう死に方をしたかではなくどう生きたかが大切なのだとか、神様は試練を乗り越えられる人にしか与えないとか人に言われてきたし認知行動療法ではそういうことになりますが、この事実と一緒にここまで生きてくるのは重かったです。わたしは現場を見ていません。現場をみたのは第一発見者の母親と警察官と母親が電話したら来てくれた実家のおじさんおばさんか。発見された時は紐が切れて下に落ちていたとだけ弟から聞かされました。それ以上詳しいことは聞いたことがあるのかもしれませんが何も思い出せません。自死遺族の会の中には第一発見者となった方もいらっしゃいます。もしわたしだったらと想像すると背すじが凍りつきます。気が狂ってしまってその後普通に生きることはできなくなっていたのではないかと思います。それでも生きている方も社会の表にはでませんがいらっしゃいます。10代、20代、30代の死因の第一位は自殺なのですからたくさんいらっしゃるということです。

 生まれる前からの右足股関節脱臼により死ぬまでトアラセットをのみ続けるしかない人生。こんなものを何錠ものみ続けることは気持ち悪くって無理なので痛みで歩くことができなくなった時にはそこで終わりかなあと思っています。妹の分まで自分が生きなければならないという気負いはもうありません。それは若かったから思えたこと。終りが見てきた今はいかに人生を終えていくべきかと毎日考えます。わずかずつわずかずつ荷物減らし。こんなに荷物を残したまま死ぬことはできないのでまだ死ぬことはできないなあと思います。自分で死ぬこともわたしにはできないだろうとは思います。でも今の日本のままだと老後の金を貯められなかった人の自己責任なのでそういう終りになるしかないのかもしれません。

 死を含めて生。幸福論とか人間論とかいかに生きるべきかとか西欧発祥の哲学書を何冊か読んでもなにもわからず、でも再読してもう一度整理し直そうとは思いますが仏教とか禅とか実は殆ど何も知らないので知りたいと思うこの頃ではあります。日本人の宗教観、人生観ってどうなっているんでしょうね。もともと深いものがなかったのかもしれませんが、コロナ騒動でさっぱりわからなくなりました。

 

この記事についてブログを書く
« 第六章OLを取り巻く現代社会-... | トップ | 自民総裁戦出馬の河野氏、会... »

日記」カテゴリの最新記事