たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

折りたたみ杖を使ってみました

2021年11月15日 14時35分49秒 | 日記
 アマゾンで注文したキティちゃんの折りたたみ杖、昨日の夕方さっそく使ってみました。右足のへの負担はいくぶん軽くなるように感じますが杖を持つ右腕が痛く、へんに左足にも力が入ってしまうようです。PTに正しい使い方の指導を受けた方がいいのだろうと思いますが医者に行くのも時間とエネルギーが必要だし、そんなにつらいなら手術しかないと言われるのがいやなので行きたくありません。

 朝日新聞に、人口股関節に置き換える手術をしてよかったいう投稿が掲載されたようです。友人がおしえてくれたので一読しました。生まれつき両足脱臼、一般的には殆どが女性だとされているようですが、男性にもいらっしゃるんですね。3歳で最初の手術、乳幼児の時に適正な診断を受けられたということなのでしょう。

 このまま生きるのはつらいと感じます。このままでは体がこわれしまうと感じます。手術しないで一生を終えたいとがんばるのは愚劣でしかないのかもしれません。体操をがんばってもなくなった軟骨が戻ってくることはないので、結局生き延びるためには手術しかないのかもしれません。死ぬまで働かなければ自分を食わせていくことはできないので死ぬまで働くためには手術、手術すれば死ぬまで働ける。誰にも必要とされない自分が、そこまでして生きる意味があるのか、なんのためにそこまでして生きなければならないのか。初診で診断名を告知されたと同時にいともかんたんに手術というワードを出され、どんな手術なのか具体的な説明がなにもないまま考えてみるよう言われたので、処刑台にのぼるよう宣告されたという感覚しかありません。おそろしいし、その間完全に無収入、緊急連絡先もない、術後しばらくは外に出られない?天涯孤独のわたしがどうしてこんな困難を超えることができるでしょう。手術を決めるなんて、医者やPTにしたら簡単なことなのでしょうが大変なこと。当事者の会の投稿を読むと、こわくなって直前にキャンセルしたという方、手術したことを後悔しているという方も現実にいらっしゃる、リスクがゼロではない、処刑台に上る決心をしなければならないような心持ちです。

 席を譲ってくださいみたいに見えてしまうのがいやで、帰りの大混雑の電車の中、高齢化率の高いバスの中で折りたたみ杖をどうしようかと思います。特に疲労している帰りは使わないとつらいのですが仕事でお疲れの方々の前に立って譲ってくださいみたいに見えてしまうのは申し訳ない。でも立ち続けるのはつらい。全く外に出ることなく、歩くこともなくじっとしていればいいというものではなく、外に出ないと、歩かないと筋力が落ちて動きが悪くなりますが使い過ぎると疲労で痛みと痺れがひどくなります。通勤は週に3日が限界。小さいところに在宅勤務の環境を整えられるだけの体力は皆無で、頭はまだ動いていますが在宅ワークはできません。一年後に明日食べるものにも困る状況になるわけではありませんが「特別に」厚生年金の受給開始となるまでまだあります。どこまで持ちこたえられるのか、死ぬまでにあといくら必要なのか、どんよりしすぎてまともに勘定したくありません。週3日勤務は最低限キープしたいですがそれもわからない。これからどうすればいいのか、これからどうなっていくのか、思考がとまっています。ガンのように日々進行していく疾患ではありませんが、生まれる前から決められていたこんな苦労、わたしはいやや、これを乗り越えることで学ぶことがたくさんあるとか、乗り越えられる人にしか試練を与えられないのとかそんなん知らん。残念ながら選ぶことができなかった遺伝という血・・・。

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